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ningyo’s BOOK COLUMN

2003.10.16

バスター・キートン自伝
わが素晴らしきドタバタ喜劇の世界
My Wonderful World of Slapstick 

バスター・キートン著
藤原敏史訳
筑摩書房 リュミエール叢書

自らを職人と呼ぶ天才喜劇人の語る映画史

 チャップリン・ロイドと並ぶ映画初期の喜劇王、キートンの映画をはじめてみたのは忘れるほど前のテレビの深夜映画で「セブン・チャンス」だった。驚愕した。
 それまでチャップリンはいくつも見ていて、サイレント映画はそういうものと思っていたが、キートンのアクションはまったく味わいの違うすごいものだった。そのスピード感にはただただ圧倒されるだけだった。それ以来虜になった。何とか他のものも見ようと意識的にさがすようになり… 最近やっと「かなり見てます」といえるくらい見られるようになった。
 チャップリンには独特のリズムを感じる。古いフィルム・スピードとか、ゆがみとも一体となったような彼自身の持つリズムであると思う。それに対するにキートンの身体の持つスピード感はまったく別物である。どこか硬質で直線性を感じさせる身体の動き。(うまい言葉が見つからない)ともかく彼は傑出した演技者であり、監督であり、ギャグ作家であった。ボードヴィルの芸人の家に生まれ、その世界で育ち、幼少から「キートン一座」の花形であった。その上に映画のメカニズムとマジック ―物理的な制約から自由になること― を知り尽くして数々の傑作喜劇を撮った。
 ただ立っているだけで彼自身が天性持っている優雅さと寂しさ 人間の存在の根本にあるものを訴えるように思う。「警官騒動」「白昼夢」などではどうにもならない不条理が笑いと共に襲ってくる。「カメラマン」「寄席100人芸」で見せた現実の制約を突き破る映像。何が笑いを生むかを、人の心の動きや冷たさまでも知り尽くしたような洞察・演出(リメイク作品は数あるが、どれも彼のオリジナルを越えるものはない)。「将軍」「蒸気船」などで見せた大屋台崩しの迫力。何よりその芸!サルまで演じる。

 一目見て「すげー!!!!」の一言だった私には信じられないことだが、キートンは一時期 「過去にスターだった貧乏なアル中」 にしか過ぎず、その作品もまったく忘れ去られた時期があるという。チャップリンと違って作品の権利が彼自身の手許になく、映画自体もすべて失われたと思われたそうだ。50年代から再評価され、作品も発見されよかった…としか言い様がない。もし本当に失われていたら、なんという損失だったことか!

 1957年にキートンの伝記映画として「バスター・キートン物語」が公開された。しかしその内容は偉大なコメディアン・監督・コメディ作家の足跡を描くものではなく、一度どん底まで堕ちたアル中の元スターが立ち直るまでというものだったらしい(未見)。主演のドナルド・オコナーは「雨に歌えば」で壁を天井まで歩いてしまっていたあのミュージカルスター。キートンとオコナーの映画見てみれば、資質の違うのは一目瞭然。監督は作家に転進したシドニイ・シェルダン。
 本の中では否定的なコメントをしていないが、キートン本人も思うところがあってか、その映画の後でラス・ヴェガスでのレヴュー出演の傍ら、ホテルの部屋で何週間もまとめ役を相手にこの自伝を語りおろしたという。(1960年出版)したがって文章自体が彼の芸であるという側面があり、本当の味わいを知るにはできれば原書で読むのが一番なのだろう。そして語られたこと、語られなかったこと… 例えば不幸に終わった結婚については最小限に留められ妻の名前さえ一度も出てこないし、伝記映画の監督シドニイ・シェルダンについてはまったく触れられていない。要するにイヤなことは極力避けている。事実関係は他の研究者の書いた評伝とつき合わせて見るにしても、そのギャグや映画についての記憶の正確さ、描写の鮮やかさには驚くばかりだ。一つ一つ、映画にしろ、いたずらにしろ、その記憶は精密。そして1895年生まれの彼の生後すぐ始まる輝かしいボードヴィルや映画のスターたちとの交流。フーディニ、コハーン、アル・ジョルスンをはじめとして綺羅星の凄まじい羅列。その人たちが彼の教育者だった。あえて語らなかったことがあるとはいえ、巻末付録の訳注・フィルモグラフィーも含めて情報量の豊富さはたいしたもの。3200円と、自分では高くて買えず、図書館で探し出した本だが、値段に見合った内容ではある。

 チャップリンについて、自分について語っているところは注目。

 チャーリーと私がそれぞれ映画で演じた人物に共通点があるといわれるたびに、私は困惑してしまう。私から見れば、このあいだにはまず根本的に大きな違いがあるとしか思えない―チャーリーの放浪紳士は浮浪者で、浮浪者の哲学を持っている。彼は彼なりに愛すべき人物なのだが、それでもチャンスさえあれば抜け目なく盗みも働く。一方私の演ずる小男は労働者で真っ正直な男だ。(135ページ)

  (チャップリンとキートンの1920年の会話 そのころチャップリンは共産主義を貧困を無くすものだとしていたらしい)
 「僕が求めているのは」とチャーリーはテーブルを叩きながら熱弁した。「すべての子どもたちのために十分な食べ物と、足には靴、頭の上に屋根があることなんだ!」
 当然ながら私はびっくりして、一、二分考え込んでから、こう尋ねた。「でもチャーリー、そう思わない人になんてあったことある?」
 チャーリーは呆然としていた。次の瞬間、彼の顔はあの素晴らしい微笑みに変わり、それから自分のことを笑い出した。私自身はこれまでほとんど政治に関心なしで生きてきたし、この旧友が同じようにしていたらよかったのに、と思わずにはいられない(299ページ)

  チャップリンの不幸は彼が自分自身のことを真に受けとめはじめた時からはじまったのだと思う。それは彼が「巴里の女性」を作ったあとのことである。ほとんどの人は忘れてしまっているだろうが、映画の中で暗示を使ったのはこれが最初だった。
   〜中略〜
 こうして映画の歴史が作られた。しかしチャーリーの見事な演出を讃える雪崩のような賞賛の山は、彼の頭までおかしくしてしまったんじゃないか、私にはそう思えてならない。批評家はチャーリーを天才―私は誰よりも先にこのことを認める―だと言った。そしてこの時から道化の天才チャップリンは、知識人のように振る舞い、考え、語ろうとするようになったのである。(300ペ-ジ)

 キートンもチャップリンも共に、「オムツが取れる前から化粧タオルに触ってきたような人間」であり、そして「今日のこの時代ほど、たくさんの人が恐怖や心配事を忘れるためにも、チャーリーの浮浪者のような存在を必要としている時代はないのだ」から、アメリカに帰り、「映画をつくるという約束をぜひ守って欲しい」とキートンは言う。
 彼自身については、職人であり、週給3000ドルのスターでも、週給100ドルのギャグ作家でもコメディに関して働くことに変わりはないと言い切る。運命の辛い仕打ちも「人生はアッパ―カットだらけだということはわかっていた」(313ページ) そして演技者の仕事は入場料を払った観客にやっていることをすべて理解できるものにすること、という謙虚さを持ち続けた。

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 「大学生」と「警官騒動」のラストに共に墓が出てくる。「大学生」はハッピーエンド、「警官騒動」はバッド・エンド。映画の出来としては「警官騒動」が上だと思うが、私は「大学生」のラストが好きだ。やはり人生かくありたい…好きな人とどこまでもサイド・バイ・サイドで…共に永遠の眠りについても。 ともかく私はキートン映画を愛している。作品の値打ちは、その作品が語ることだ。ああ、残っていてよかった。
 

 

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