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「ハムレット」を読もう

シェイクスピア著
福田恆存訳
新潮文庫

2002.12.25

世に隠れもないシェイクスピア悲劇「ハムレット」
今回はクラシックな福田訳で

 

To be, or not to be, that is the question--
Whether 'tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles,
And by opposing end them.
生か、死か それが疑問だ
どちらが男らしい生き方か
じっと身を伏せ、不法な運命の矢弾を耐え忍ぶのと、
それとも剣をとって、押し寄せる苦難に立ち向かい、止めを刺すまで後には引かぬのと

私のハムレットのイメージはちょっとオジサン
ローレンス・オリヴィエが近いかな。
皆さんのハムレットはどんなイメージ?

ハムレットの物語
中高生と語るハムレット


「デンマーク王子のハムレットは、ウイッテンバーグの大学に留学中でしたが父王が急死して帰ってきました
「それで、お母さんの王妃様は元夫の弟で現在の王様とさっさと再婚してしまいました。ハムレットはすごくそれがいやです。
「そんなときに友人のホレイショーが父王らしき幽霊が出ると知らせてくれました。
「それでハムレットが幽霊を待っていたら確かにそれは父王の幽霊で、現王のクローディアスに昼寝中に耳に毒を入れられて殺されたのだと聞かされました。
「懺悔できずに死んだので、昼は地獄の業火に焼かれ、夜はさ迷い歩く幽霊になってしまったのでした。

「地獄って夜は休みなの?

「かもね。ハムレットは幽霊に復讐を誓わされました。
「それ以後、ハムレットは狂ったふりをして変なふるまいをする人になってしまいました。
「重臣ポローニアスは、それが自分の娘オフィーリアへの恋ゆえだと考えました。
「クローディアスは、ハムレットを探るために大学からギルデンスターンとローゼンクランツという2人のハムレットの学友を呼び寄せました。
「ハムレットは幽霊の言ったことが本当かどうか確かめるために、旅役者に王殺害の場面を劇で再現させます。
「自分が兄王を殺したときと同じシーンを見てクローディアスは真っ青になって劇をやめさせます。
「ホレイショーとともにそれを確認したハムレットは復讐の決意を固めます。
「一方、母親のことで女性不信真っ只中のハムレットは父親に操られるオフィーリアに向かって”尼寺へいけ”とののしり倒します。
「劇中劇の後、クローディアスは罪に悩み、懺悔しようとします。そこで復讐を果そうとしたハムレットですが、これでは地獄にさまよう父親以上の苦しみは与えられないのでやめます。
「その後、物陰でハムレットの様子をうかがうポローニアスを刺し殺し、早々と父を忘れ、叔父と結婚したことで母親を責めまくります。
「ハムレットというのは、人間が一番顔をそむけていたいものを突きつけていくキャラクターなのです。

「最悪〜

「クローディアスはハムレットをイギリスに送って殺そうとします
「そこへノルウェーの王子フォーティンブラスがポーランド征服のため、デンマーク領を通過します。
「そのほとんど価値のない土地を自身の名誉のために命をかけて争う軍勢を前にハムレットも決意を固めます。

「何の?

「自分の理性をブレーキにしないでやるべき復讐をちゃんとすること!
「ハムレットにののしられ父を殺され、オフィーリアは気が狂って、川に落ちて死んでしまいました。
「一方、ポローニアスの息子、オフィーリアの兄レイアーティースがフランスから帰ってきます。

「おいしそうな名前

「レアチーズ連想したわね。はじめクローディアスに父の復讐をしようとするけれど、うまく丸め込まれてハムレットを父と妹の仇と思うようになります
「イギリスで殺されそうになったハムレットは途中で王の手紙を偽造して、自分の代わりに一緒に旅立ったギルデンスターンとローゼンクランツをイギリス王に殺させて、帰ってきます。

「ひどっ!

「帰ってきたところでオフィーリアのお葬式。ここでハムレットは取り乱してオフィーリアへの気持ちを露わにします。

「もう遅い

「さて、王はハムレットを殺すために一計を案じます。レアーティーズと件の試合をさせ、毒を塗った剣と勝利の杯の中に仕込んだ毒で何が何でも殺してしまおうというのです
「でもハムレット強し!ぜんぜん傷つかない!

「だと思った

「あせったレアーティーズは試合でないときに後ろからハムレットを傷つけます。
「ハムレットに飲ませるはずの勝利の酒は王妃が飲んでしまい、剣が取り代わってレアーティーズも毒で傷つきます。
「王妃は苦しんで死に、死を覚悟したレアーティーズは王の計略を暴露します
「怒ったハムレットは毒を王に飲ませて殺し、ホレイショーに生き残って真実を皆に伝えるように言い残して死にます

「そこが問題かい?

「死んでから悪く言われるのはいやでしょう。なんたって名誉のための復讐決行みたいだし。
「4人の死体が転がったところへ登場するのがフォーティンブラス王子 デンマークは彼が受け継いだのでした。

「そんな話だったの!いっぱい死人が出るんだね。

「王の一族と、ポローニアスの家族全滅の上に、学友二人死ぬのかな
「さて、このハムレットいくつぐらいだと思う?

「25歳くらいかな

「いや30歳 オフィーリアの墓堀の勤続年数とおんなじ

「えー少し歳多めにいったのに
「結構てか、かなりおじさん!

「オフィーリアはごく若い感じだけどね

「ロリコン?!

 

ハムレットは30歳!

 ハムレットというのはなっが〜いお芝居で、全部はしょらずに上演すると5時間以上かかろうという芝居です。それで演出によってどこがカットしてあるかを見つける楽しみもあります。
 オフィーリアの墓堀とのやり取りのなかでハムレット30歳を読んだ時は驚きました。やはりそれまで憂愁の若き王子というイメージで考えてました。30歳といったら今でも子どもの一人二人いてもおかしくない、いや当時はもっと人間は早く成熟を求められたんではないだろうか、剣も強いし、まあ、留学中ではあるけれど・・・ 一方でオフィーリアはどう考えても女性としての成熟以前という感じだからハイティーンくらいかしらん・・・

 幽霊に復讐を誓わされてもちゃんと劇への反応をみて確かめようとするところがえらいじゃないですか。言われたことを鵜呑みにせず、自分で確かめますもの。幽霊も、後から出てくるシーンでも「わしの言うことを疑うのか」なんて怒ったりしないし、「お母さんはそんなに責めるな」なんてとりなしたりして。日本の復讐ものと意識ちがう。

 30男の狂気というのは若い男の狂気より迫力あってまがまがしいだろな、で、30歳で若い女の子に本気で恋してるし、それで信じられなくなって「尼寺へ行け」とめためたにしちゃうけど、その年齢を考えるとあのシーンはすっごくサディスティックにして危ない感じがするぞ、とか。

 それにハムレットは簡単に女性不信の塊になってしまうのに、ホレイショーに対する信頼は最後まで揺るがない。フォーティンブラスの勇気にも簡単に共感を持ってしまう。男は「信頼できる・できない」に分けられても、女は全部ひとくくりかいっ!とか・・・でもハムレットが感情を高ぶらせるのは「尼寺へ行け」や、「操はなくても、あるようにお振る舞いなさい」と母に言うシーンだったり、女性がらみの場面ばかりなのよね。本当に取り乱す唯一のシーンはオフィーリアの葬式だけだし。

 ハムレットが母に対して言い放つ、「そのお年では、情念の焔も鎮まり、分別のまえにおとなしく席をゆずるのが当然。」とか、「操はなくても、あるようにお振る舞いなさい」などのセリフを、30歳の息子をお持ちのお母様がたはどうお聞きになるのでしょう。夫を殺した男と結婚したことは息子に責められても仕方がないけど、他は「大きなお世話だ」でございますよね〜。シェイクスピアったら、クローディアスに「后こそ、この身にとって命そのもの」と中老年の恋愛を思いっきり語らせて、30歳のハムレットに激しく(ほとんど常軌を逸して)攻撃させてるなんて、すごい。

 それでも成熟を現実との妥協に落としてしまうよくある「大人への成長」を拒否し、人間の気高いものを追い続けて、装った狂気と自分の理性の葛藤のなかで気高さを抱いたままに滅んでゆく(というふうに読めます、私には)王子ハムレットは人間の求めるものの姿であると思うのです。

 

「わたくしは如何にして自分の理解力を心配するのをやめて
シェイクスピアをミーハーに楽しむようになったか」

 浅学非才はもとより承知の上です。ミーハーファンにもシェイクスピアの楽しみを分けて!

 シェイクスピアは麻薬のようです。

 私とシェイクスピアの出会いは小学校の図書館。子ども向きにシェイクスピアのあらすじを書きなおした「シェイクスピア物語」だかなんだかの本でした。有名なラムのものだったかどうかは覚えていません。つまんなかったです。「ベニスの商人」はシャイロックがなんだか気の毒だったし、「真夏の夜の夢」「嵐」は意味わかんなかったし、「ロミオとジュリエット」は早とちりの悲劇か?としか思わなかったし。「要するに難しいものなんだな」と納得しておしまいでした。それが成長して劇をみたり、要約でないものを読むようになって見方が一変。おもしろい!それでもシェイクスピアは斎戒沐浴後、端座して読むもの、みたいな意識はどこかにしぶとくチョコッと残ってますが。
 悲劇でもところどころ緊張を逃がしてくれる仕掛けはしてあるし、だからといってそれが悲劇性を壊してしまうわけでもない。喜劇で真実を貫く言葉はふんだんに用意されている。そこは現実空間でなく、劇の空間であるから架空のものが人間の真実としてその世界に響き、それがうねりとなって見るものの心を翻弄する。キャー、恥ずかしい! ガラにもないこと書いていますが、見て楽しい。読むのも楽しい。それだけです。

 で、誰がなんと言っても(誰が?)シェイクスピアは人生の美しさ、惨めさを劇中に見事に描いていると思うわけです。(うう、恥ずかしい、えっらそう・・・)きちんと読んでいるのはちょっぴりです。「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「オセロ」「真夏の夜の夢」「テンペスト」。これくらい。そのセリフは一度取り付かれるとそれを繰り返さずにいられなくなり、それを使えそうなシチュエイションに出会えたらいいな、なんて思うようになります。もちろん恥ずかしいので本当に使ったことはないです。

 

映画も・・・

  映画もいろいろあります。サー・オリビエの苦悩のハムレットもさすがなんですが、メル・ギブソンのハムレット(フランコ・ゼフェレッリ監督)、納得できておもしろいです。なんたってアクションスターでもあるメル・ギブソンがハムレット。セリフはこってりでなく、さらっといきます。グレン・クローズが美しいガートルードお母様で、男に愛された女の弱さ、かわいらしさみたいなものが「そうだよな〜」。女としての華やかさでオフィーリア(ヘレナ・ボナム・カーター)に勝ってるし。オフィーリアというのは本を読んでいるだけでも、自分より立場の弱い人間が周りにいないという女の子で、痛々しい。それがあの骨細そうなカーター。いかにも「ああせい、こうせい」と言われっぱなしでとうとう狂気に入っていくのも「そうかもね〜」 それにラストの死に様がみんなさまになってます。

 ケネス・ブラナー版は正統派にしてわかりやすく、見たいと思ってるソビエト製のも評判です。
 まだまだいっぱいあります。楽しみは尽きません・・・

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