remove
powerd by nog twitter

   

ningyo’s BOOK COLUMN

  

時の娘
ジョゼフィン・テイ著
小泉喜美子訳
ハヤカワ文庫

 ロンドン警視庁のグラント警部は犯人追跡中マンホールに落ち、身動きならずに病院のベッドにいる。退屈でたまらない彼のために、友人の女優が持ってきた肖像画のうち、彼は王位簒奪のために幼い甥2人を含む数々の暗殺をした稀代の悪人として有名なリチャード3世に目をとめた。悪人には見えない。警部は若い協力者を得て、捜査する者の目で事実の検証をはじめる…

  この、古い歴史上の事件の謎解きを扱ったこの小説は、ミステリの古典と言われ、江戸川乱歩が絶賛を寄せ、またこの本に刺激されて高木彬光氏が「成吉思汗の秘密」などをかいたことは有名。(ジンギスカンの本はちょっと…でありましたが)
 ミステリジャンルの中の安楽椅子探偵…実際は病院のベッドの中で、持ち込まれた資料のみで頭を働かせて事件を解いていく、という推理ゲームの粋を行くもの中でも、確かに傑作。歴史上の名声によるのでなく、信頼できる資料とそれ以外を峻別し、関係者の人物像と事件へ迫っていく。それにグラント警部の捜査のプロとしての目と、健全な常識家のスタンスには実に好感が持てるので、彼といっしょの立場で安心して次へ進めることができる。題材が歴史でもあり、ミステリの好き嫌いに拘わらずどなたにでも強力にお薦め可能な作品。

 ミステリについては、一読興奮!とお薦めすることにして、これを読むと誰でもある感慨に捉われずに入られないだろう。タイトルの「時の娘」は「真理は時の娘なり」という言葉からだそうだ。また「歴史の審判を待つ」「真実は時が明らかにする…」なんていう言葉も聞くけれど、「本当にそうだろうか?私たちには何がわかるのか?」と。

 歴史と言うのは勝者の歴史であるといわれる。確かに東に目を転じても、殷の紂王に妲己(だっき)、夏の桀王には末喜(ばっき)という亡国の美女の名前は似すぎてない?とか、日本でも征服王朝ではないかと言われている継体天皇の前天皇のした悪い事の日本書紀の記述は、中国史書の真似みたい、と思ったりしないでもない。亡ぼされた政権の最後の王は悪し様に言われるのが運命なのかもしれない。

 おまけにシェイクスピアである。シェイクスピアの「リチャード三世」はピカレスクロマンの極めつけに面白い。最高峰なのである。美内すずえの漫画「ガラスの仮面」の中の舞台「二人の王女」でオリゲルドが自分が謀略で葬ってきたものたちの亡霊に責められる場面で「リチャード三世」を連想したのは私だけではないだろう。このようにシェイクスピアの作り上げた「リチャード三世」像は神に愛されなかった、そしてすべてを巻き込む悪の牙を持つ魅力ある悪漢の典型として生きてしまっている。これもまた真実のリチャード3世にとっては残念なことではあるだろう。

 そしてこの本の中で歴史の捏造の例としてひかれるのが「トニイパンディ」である。ある小さな事件が、政治的に利用され、大きく喧伝される。それが嘘だと知っている人間が黙っているうちにそのことは伝説になってしまう…ということを、グラント警部たちは「トニイパンディ」と呼ぶ。政治的な目的でなくても、人間は自分が聞きたいようなことを選んで聞いてしまうようだ。自分が信じていることを否定されることは、自分の世界の一部分を壊されるように思うらしい…だから思う。歴史上の出来事は、それが持つ歴史的意義以上のものが、果たしてわかっているのだろうか…

 読み終えて、誰しもヨークの市民たちが「われらの良きリチャード王」と呼んだリチャード3世に好意をもたずにいられないだろう。シェイクスピアの戯曲でも彼の勇敢さは否定できない。
 またこの本は、推理作家でもある訳者の訳がとても良いと思う。

====================================

 おまけ

 ☆ グラント警部の目をひいたリチャード3世の肖像のあるWEBページ
     死刑執行人もまた死す 王たちの最期ヨーク朝

 ☆ シェイクスピア「リチャード三世」の有名なリチャード三世のいかす最期のセリフ
  KING RICHARD III
      A horse! a horse! my kingdom for a horse!
  CATESBY 
      Withdraw, my lord; I'll help you to a horse.
  KING RICHARD III 
      Slave, I have set my life upon a cast,
       And I will stand the hazard of the die:
       I think there be six Richmonds in the field;
       Five have I slain to-day instead of him.
       A horse! a horse! my kingdom for a horse!

2004.4.25

  

本のインデックスへ