remove
powerd by nog twitter

   

ningyo’s BOOK COLUMN

2003.12.13

カンディード(Candide)
ヴォルテール著
吉村正一郎訳
岩波文庫

 哲学書に分類されてます。それになんといっても著者が学校の授業の思想史で出て来るような方ですから、すこうし身構えて読み始めたのでした。
 ところが読んでびっくり!すいません、私はラブレーを生んだフランスという国を甘く見ておりました!
 確かに岩波文庫の解説にあるとおり、

「ルソーとともにフランス革命を推進してきたヴォルテールが,主人公カンディードの運命に託して当時の政治・社会・思想を批判した諷刺小説である.カンディードはさまざまな困難に出会い,いくたびか破局に陥りながらも屈せず,働く喜びを次第に体得してゆく.作品を貫く気品と機智と明晰さはフランス文学のよき伝統を発揮する」

という本には違いありません。しかしながら、またこれは壮大なホラ話系の傑作でもあったのです。

 主人公カンディード(無邪気・天真爛漫の意味)は大きな城の中で、城主の縁者として心根優しく成長する。彼は城の中で「すべては善である」と教えるバングロス師の教えを忠実に受け止め、信じている。しかしある日城の美しいキュネゴンド姫との抱擁を城主に見られて、城を追い出され、カンディードの苦難の放浪の旅が始まる。

 ヴォルテールは18世紀当時の支配階級に受け入れられていた「この最善の世界においては、すべては最善に仕組まれている」 というライプニッツの楽天主義をやっつけるためにこの本を書いたといわれています。

 「すべてのものは何らかの目的あって作られているのだからして、必然的に最善の目的のためにある。・・・中略・・・石は切って城を建てるために形作られている。ゆえに御前は見事なお城を持っていなさる。この地方で最もえらい語領主が最も良い館に住まわれるのは理の当然なのだ。してまた豚は食うために作られているのだからして、われらは年中豚を食う。かるがゆえに、すべては善しと主張したのでは愚昧である。すべからく一切万事最善であると申さねばならぬところだ」(P14〜15 バングロス先生の言)

 ライプニッツといえばニュートンのライバル!彼の主張が本来どうであったのかはここでは明らかでないですが、ここでは確かに支配者に都合よさそうな論理。そして城を出たカンディードは人間の醜さと不幸をいやというほど味わい、見ることになる。それでも天真爛漫でちょっと馬鹿なカンディードはバングロスに再会した後も、まだそれを捨てません。議論も捨てません。楽天主義バングロスと対照的なペシミストマルチンとも出会います。そして皆々打ちそろって最後まで何かというと哲学を、世界を論じ合っております。その間にキュネゴンド姫は城を襲われ、家族を殺され、陵辱され、傷つき、そして男たちの間を転々とします。めぐり逢い、別れ、そして大団円でようやく二人は結ばれるのですが、そのくだりのおかしさと来たら涙が出るほどです。

 そして最後にカンディードがたどり着いたところは

 「何はともあれ、私たちの畑を耕さねばなりません」(172ページ)

という現実の肯定と、わが手による実践でした。ヴォルテールは現実でも社会的不正に対する闘争の人であったという事を納得させるような終結であります。

 それにしても面白いお話です。ある部分は千夜一夜、ある部分はガリバー旅行記、ある部分はドン・キホーテ・・・連想されるものはどっさり。それに全編を貫くニヒルではないシニカルさ。
 でも革命家の熱気はあまり感じられない。「カンディード」は革命のためには面白すぎる。

 

 

本のインデックスへ