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ningyo’s BOOK COLUMN

2002.9.9

ナインティーズ 時代の曲がり角で
橋本治著
小学館

 9月11日がやってきます

 また9月11日がやってきます。2001年の9月11日、私もあの映像に震えていた一人です。どうしようもできない、すさまじい現実の進行をいつもの場所でただ見ているという体験は衝撃でした。日常にいきなり戦争が飛び込んでくる、あんな映像は映画でしか見ないはずだという、いわば”(私がそうだと思っていた)世界の暗黙のお約束”があっけなく消し飛びました。今までも自宅のテレビで空爆をみるようなことはあったけれど、それはそうなることが分かっていて見るものでした。突然、予期しないものの衝撃は大きく、1941年の真珠湾攻撃の突然さというのも、一般のアメリカ市民にとってはこんなものであったのだろうかとも思いました。それで「テロリストに裁きを!」という声は気持ちは分かるけれど、「やり返す権利がある、そのためには責任のない一般人の犠牲も仕方がない」にはやはり戸惑ってしまう。
 あれからアフガニスタンへの攻撃があり、タリバン政権は崩壊したがテロ主導者といわれるビン・ラディン氏はいまだ所在不明で、アフガニスタンも国内定まらず、パレスチナ情勢もいよいよ深刻です。アメリカは怒ったままで、「我は正しい」みたいなところは変わってない。日本がどうしたいのか、なんだか見えてこない。

 いつもがノー天気に生きているせいか、まじめなことを考えようとしてもきちんとまとまらないのですが、この本を読んだ時に、この10年間のいつにでもジャストフィットしそうなのに驚きました。1991年出版、後半は湾岸戦争さなかに書かれています。まだ日本がお金持ちの余韻の残っていた時代で、読み返す度にほんとに何もしてこなかったんだな、と気持ちがずぶずぶ沈んでいく本です。

ちょっと引用が長くなります。(PARTU 34より)

 日本がファシズム国家で、その”悪い日本”を滅ぼすために、”正しいアメリカ”は毎夜毎夜、空から爆弾を落としていった。
 あれで日本からファシズムがなくなったんだから、爆弾を落としてくれたアメリカには感謝しなくちゃいけない。何しろ、あんなに爆弾を落とされて、罪もない”民間人”が無差別に焼き殺されて、それでもなおかつ当時の日本人は「こんな戦争やめろ!こんな戦争やめさせろ!」と自分たちの政府に言えなかった。(中略)空襲にさらされてるイラク民衆がなにを考えてるかなんて、日本人が一番よく分かるよね。分かるはずだよね。
 「クソーッ!チクショー!鬼畜米軍め!ここは神国だ。絶対に我々が負けるはずないんだ!」ってことを、アラビア語で言ってるんだよね。それでこわくて震えてて、泣いてるんだよね。「こんなことは絶対にいやだ」って言って、でもそういう言葉をかみ殺してるんだよね。(初版第3刷 292ページ) 

 湾岸戦争時に「イラクは第2次世界大戦時の日本だ。だから攻撃(一緒にイラク市民を殺すこと)に加担できない」と橋本治は言っています。アフガニスタンがテロ事件後世界の注目を浴びたことで、当時の難民高等弁務官 緒方貞子さんはかなり強烈な発言をしていましたがどれくらいの人が覚えているでしょうか。

 兵隊出さない卑怯者と罵られるのはそんなにいけないことかな。では何ができるのか。うまく言えないんだけど、日本がどっちへ行くのかみんなが考えないとまずくない?一応民主主義なんだし。 

 

 

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