酸欠


この文書は、keyの作品であるKanonのシナリオを基にした二次創作です。


前書き

実は麦畑からの続編という感じです。

このSSで扱われている、消防関連の活動についての考証は多分に不十分な点があるかと思われます。お気づきの点は是非ご指摘くださいますようお願い致します。また、その他にも考証が不十分な点があればご指摘いただけると幸いです。


プロローグ

3人暮らしの終焉とあゆの帰郷

祐一、舞、佐祐理の失われた時を取り戻すための3人の生活はいつしか終わりを告げ、それぞれの道を歩み始めた。

佐祐理の選択

3人で生活する一方、家族と共にカウンセリングに通い一弥の死の責任は、佐祐理だけにあるのではなく両親も含めた家族全体の責任である事、そして当時の倉田家の家庭環境では子どもを二人も育てられない状況であったことを受け入れていった。そして佐祐理にとって、目下の男性や親しい男性を呼び捨てにする事は特別な事ではなくなり、一人称が佐祐理から私へと変化していた。

そしてみんなを幸せにするために、父の後を継いで議員となるべく、社会勉強のため久瀬系ホテルの支配人となっていた。

舞の選択

舞も運動能力の特に優れた美しい女性へと成長した。モデルやタレントの話も持ちかけられたが、母子家庭の家計を支えるべく安定した職業である公務員となる道を選んだ。舞はその類稀なる運動能力が評価されレスキュー隊員となっていた。それだけでなく火災予防運動の際のキャンペーンガールまで勤めていた。

祐一の選択

佐祐理のアドバイスで精神科に通っていた祐一は、あの冬の出来事によるPTSDをを克服していた。高校時代の舞人気者化作戦で、宣伝活動の面白さに目覚めていた祐一は、この街の広告制作会社へ就職し、フリーカメラマンとなってこの街に戻ってきていた、あゆとともに仕事をして行く日々を送るうちに2度目の恋仲になって行った。

あゆの帰郷

あゆはリハビリと猛勉強、そして厳しい修行に耐え、チャンスをつかみとってフリーカメラマンへとなってこの街へと戻って活動していた。はじめてこの街に戻ってきた時に撮った舞のポートレートが、プロカメラマンへの登竜門とも言われるコンテストで最優秀賞を獲ったのである。そして、仕事がきっかけで再び共に過ごすようになった祐一と2度目の恋仲になって行った。

香里の選択

妹を病で失った香里は、病と闘うべく医師になる事を目指した。しかし、『危篤の患者に対して、君が妹さんにとったような態度をとらないと言えるか?』進路指導時に担任の石橋に医学部志望である事を告げたときに言われた言葉だった。『医者は常に患者の死と向き合わなければならない。それでもいいのか?』追い討ちを掛けるように言葉が続けられた。

そういわれると、自信を持って医師になるとは言えなかった。それに家庭の経済的事情もある。

結果的に、地元の国立大学の法学部を卒業して、いわゆるキャリア官僚になっていた。そして、自ら志願してこの街の消防局に配属されてきた。

この街に帰ってきて石橋に言った言葉がある。『あれからずっと考えました、確かに私には日々弱ってゆく、死に逝く患者に接する事はできない。でも、救える命は救うべきだということが結論です。ですから、署員には全力を尽くしてもらいます。そのためなら多少の無茶には目を瞑ります。』

北川の選択

トップレースのメカニックを目指して大学の機械工学科に通っていた北川は、何故か、高所作業、すなわちはしご車の操縦の腕が一流だった。どうも大学時代にアルバイトでクレーンの操縦をしていたらしいのだが、どう考えても超法規的行為としか考えられなかった。

結局、メカニックになる夢は叶うことがないまま、募集時期の遅かった消防官の試験を受け、はしご車の操縦士になっていた。

名雪の選択

インターハイで好成績をおさめた名雪には、あちこちの大学からスポーツ推薦の話が舞い込んできた。母親の恩に報いるべく、その中から最も費用が安くて、しかも奨学金も貰える大学を選んだ。が、企業スポーツ活動のリストラが進み、なかなか実業団への就職が叶わなかった。

そんな中、地元の街の消防隊からマラソンの国体選手が出たと聞き、地元の街の消防局に就職する事となった。が、一日のほとんどを寝て過ごしている名雪に、まともな業務が勤まるはずもなく、広報要員として使うくらいしか使い道が見当たらなかった。

だが、その神経の図太さと、ちょっとやそっとの事では驚かない精神力の強さ、それに高校、大学と陸上部長を務めていたリーダーシップの強さに目をつけたレスキュー隊長は、レスキュー隊にスカウトした。すると、意外にも幾つもの手柄を挙げ、今や小隊長を任されるまでになっていた。


披露宴

今日は俺とあゆ、今日からは相沢あゆの結婚披露宴だ。会場となるホテルの支配人である佐祐理さんの計らいで、最上階の特別室で新婚初夜を迎えられることになっている。一般的な披露宴には相応しくないが、俺とあゆでたいやき屋の模擬店をやって参列者皆に振舞っていた。

中でも俺達があの冬に通っていた、たいやき屋の親父は大変喜んでくれ、わざわざ屋台まで貸してくれた。

俺達と親しい参列者は秋子さんと香里、それにあゆの養父母だった。消防士3人は当直勤務で抜けられなかったのだ。

また、あゆを森の中から救い出した斉藤は、今は大学の助手をしているが、教授のお供で海外出張中だったが、森の中で泣き叫んでいた男の子と血塗れで倒れていた女の子が結婚するという、記念すべき式典に出られない事を残念がっていた。

夕方には宴も終わり参列者達が帰ったあと、俺達は佐祐理さん案内されて部屋へと向かった。

佐祐理
「ここからの眺めもなかなか素敵でしょう。」
あゆ
「うん、あの木の上からの眺めみたいで、とても綺麗だね。」
祐一
「おいおい、この部屋から落ちたりしないでくれよ。」
あゆ
「分かってるよ、それにちゃんと窓があるから落ちたりしないもん。」
佐祐理
「お二人とも、もうお熱くなっていますね。」
祐一
「全然そんなことはありませんよ。」
佐祐理
「そうですか、では二人で熱くなる前に、非常口と避難経路の確認はお願いしますね。」
祐一
「スプリンクラーとかもあるし、滅多に火事なんて起きないでしょ。」
あゆ
「でも、ボク、ロケ先で酷い目にあったから確認しておくよ。」
佐祐理
「念には念を入れてお願いしますね。特に今日は社長も泊まっているのですが、何だか機嫌が悪くて。」

佐祐理さんが言うには、ここはよく社長の久瀬が使っているらしい。今晩もいきなり使わせろと言い出したらしいが、佐祐理さんの機転で何とか別の部屋に収まったようだ。どうも久瀬はよからぬ連中と付き合っているらしい。

祐一
「久瀬か。分かった、ちゃんと確認しておくよ。」
佐祐理
「お願いします。では、ごゆっくりどうぞ。何かありましたらフロントまでお電話ください。では、失礼致します。」

通された部屋は、居間と寝室、そして浴室と洗面所とトイレが別々に用意されている、いわゆるスイートルームというやつだった。

何故かダブルベッドではなくセミダブルのツインだったが、小柄なあゆ相手に今晩を過ごすには十分だろう。


火災

俺はあゆと終えた後、眠りに着いたが、不思議な事にあの冬のたいやきの芳ばしい香りが漂う中を、あの森に向かってあゆの手を引いて歩いてゆく夢を見ていた。

その頃、火災発生を知らせる館内放送がけたたましく鳴り響いていたが、俺達は未だ夢の中を漂っていた。

久瀬達と俺達以外の宿泊客が全て避難した事が確認できていた。火災報知器の表示は火元は久瀬の部屋だった事を示していた。久瀬達の部屋は下層にあったが、そのフロアはほぼ全焼していたため、俺達の救助のため下から上がるのは危険だった。さらに、非常扉を開けたまま避難した客がいたため火勢は上層階へと広がりつつあった。

最初、久瀬達と俺達を救出するための2チームが編成されたが、宿泊客の確認をしていた佐祐理さんが、異様な姿の久瀬達を発見したので、救出が必要なのは俺達二人だけという事になった。後に分かった事だが、久瀬達は大麻パーティーをやっていて火事を出したらしい。

下から上がる事が困難である事と、俺達が最上階にいることから、ヘリコプターを使って救出する事になった。突入隊は名雪たちの小隊、部下は瀬波と笠美だった。屋上にロープで降下した後、屋上に通じる階段から入り、そのまま俺達をヘリコプターで吊り上げる手はずだったが、最上階にも既に火の手が回り始め、迂闊に扉を開けばバックドラフト現象により一気に火勢が強まる恐れがあった。

だが、突入しないわけにも行かないので、笠美の提案で、屋上の扉の前をビニールシートのテントで覆い、まずその中に中に突入隊が入る。次に突入隊が建物に突入したら直ちに屋上の扉を閉鎖する事で、過剰な空気の供給を抑える作戦が取られた。その結果、若干火勢は強まったものの大事には至らなかった。

名雪は佐祐理さんから部屋の位置情報とマスターキーを受け取っていたので、扉を破らずに俺達の部屋に入る事ができた。が、俺たちの部屋も既に酸欠状態だった。

名雪
「要救助者2名発見、いずれも全裸で酸欠状態の模様です。直ちに空気マスクを装着します。廊下は火勢が強く、要救助者を搬送するのは危険な状態です。窓からはしご車で降ろすのが安全策と思われます。」
隊長
「了解した。その部屋の窓は空くようにできているか?」
笠美
「ちょっと待て。この部屋の窓は開かないようにできてる。」
瀬波
「ということは破るしかないという事か。」
名雪
「隊長、この部屋の窓は開きませんので破ります。」
隊長
「了解した。窓を破ってくれ、下の人間と機材は退避させる。じゃあ水瀬、あとは現場の指揮を頼む。」
名雪
「了解しました。」
笠美
「窓を破る前に、延焼防止の為ドアを目張りしましょう。」
名雪
「じゃあ笠美、目張りをお願い。瀬波は窓を破って。」
笠美
「小隊長、要救助者への空気補給は?」
名雪
「私の面体と補助マスクで何とかする。」
瀬波
「でも、酸欠状態で大丈夫ですか?」
名雪
「伊達に長距離走はやっていない、わたしの心肺能力は十分だ。」
笠美
「無謀すぎる気もしますが、やるしかないでしょう。」
瀬波
「よし、じゃあ俺は窓を割るから、その前にうまく目張りしてくれよ。」
笠美
「分かった。」
名雪
「じゃあ私は二人を救護する。後は頼む。」

俺の夢の中で、例の木の近くまで行くと名雪が立っていた。『ここから先は行っちゃだめだよ』そう言って俺達の前に立ち塞がった。そして、『祐一とあゆちゃんは未来を手に入れたんでしょ。ここから先に行ったら、せっかく手に入れた二人の未来を無くしちゃうよ』

瀬波
「全然割れません、まるで防弾ガラスのようです。」
笠美
「こちら、突入隊。窓が全く割れません、支配人に確認したいのですが、この部屋の窓は防弾ガラスですか?」
隊長
「支配人さん、あの部屋のガラスが全く割れないらしいんですが、どんなガラスか分かりますか?」
佐祐理
「今、図面を確認します。…残念ながら強化ガラスです。」
隊長
「仕方ない、外からの放水圧で割れるか試してみよう。」
笠美
「水瀬隊長もかなり酷い酸欠状態ですので、早くお願いします。」
佐祐理
「この部屋はスイートですので、お客様がいない、向かって左側の部屋に向けてお願いします。」
隊長
「分かりました。北川、放水の準備だ。」
北川
「了解。最上階の左から3番目の窓で良いですね?」
佐祐理
「はい、お願いします。」
隊長
「笠美、瀬波、外から窓を破る、隣の部屋に退避しろ。」
笠美
「了解」
瀬波
「了解」
北川
「では放水します。」
笠美
「瀬波、空気残量は?」
瀬波
「あまり多くないな、お前の方が多いぞ。」
笠美
「分かった、では小隊長におれのサブマスクを装着する。」

わたしは夢を見ていた、雪うさぎを持って祐一を待っている夢。あゆちゃんと祐一が恋をしていたなんて知らなかったから。本当の未来はあの二人のものなんだよね…私の未来は…えっ笠美…

北川
「ポンプの圧力をもっと上げられませんか?」
隊長
「無理だ。」
北川
「隊長、割れません。最後の手段を。」
隊長
「うむ、仕方ない。川澄、例の作戦を実施する。」
「…、分かった。アンテナ、うまくやれよ。」
北川
「アンテナ言うな、この牛丼女が。ちゃんと吊ってやるから、うまく突入しろよ。」
「…、言われなくても分かっている。」

舞は、斧と剣が合わさったようなツールを持って、クレーンの先から数十mはあろうかというワイヤーで繋がれ宙吊りにされた。北川の操作でクレーンの先端はホテルの屋上をはるかに上回る高さまで達した。

そして、舞が合図を送ると、北川の操作で、舞の体が空中で振り子のように揺れる。反動をつけて標的の窓に舞はツールを叩き付けた。

一度目の突撃で表のガラスに傷が付き、突撃する度にひびは大きくなり、何度と無く窓への突撃を繰り返した結果、ついに窓は割れた。

最後の突撃では、舞は体を丸め、舞自身の体重で窓をブチ破り部屋に突入した。

舞は体を固定していた素早くワイヤーを外して、カーテンレールに引っ掛けていた。そして、北川にゴンドラを上げるよう合図した。そして、脱出時にけが人が出ないように窓の破片を全て叩き落した。

突入隊と祐一とあゆがほぼ全員酸欠状態になっていたが、舞の突入が間に合い、全員一命を取り留めた。が、名雪は完全に酸欠状態、祐一とあゆは全裸であり、炎上している下層階付近を無事には抜けられそうも無かった。

笠美の話ではバスタブに水が張られたままになっていたので、シーツを濡らして祐一とあゆを包んで二人同時にゴンドラで降ろす事にした。あゆは小柄だから、定員オーバーでも何とかなるだろうという舞の考えだった。これには、隊長も北川も賛成した。

問題は名雪だ、自力で動く事もできない名雪を救出するには、重いレスキュー用装備を外して誰かが背負っていかなければならない。最も体力が残っているのは舞だった。当然舞が名雪を救出する事になる。

しかし、瀬波と笠美も相当へろへろである。そこで、あゆ達と名雪を降ろした後、舞が再び部屋に戻って、ゴンドラに瀬波と笠美を乗せ、舞は例のワイヤーを使って脱出する事になった。

しかし、北川にはあまり自信が無かった。何故なら、突入させた事は何度かあるが脱出させるのは初めての経験だからである。

しかし、それは杞憂だった。クレーンを十分な高さまで上げた時点で、舞が自分で飛び降りたからであった。『無茶する奴だな』正直そう思ったが、後が怖いので口には出さなかった。

だが、舞は笠美が施した目張りが剥がれかけているのを見て、咄嗟に飛び降りたのだった。舞が飛び降りた直後に目張りが剥がれ、バックドラフト現象により最上階が爆発的に炎上したのを見て、北川は舞のすごさに感心していた。

その後、祐一達が泊まっていたフロアにも完全に火の手が回り、ホテルは廃墟と化した。その様子を、佐祐理さんはじめ、従業員達や久瀬以外の経営陣達は呆然と見詰めていた。

隊長
「皆、よくやった。」
瀬波
「ええ、全然窓が割れなくて、本当に死ぬかと思いました。」
笠美
「そうですね、これも川澄さんと北川さんのおかげです。」
「ありがとう、牛丼2杯と北川に何か奢ってやって。」
笠美
「ええ。」
北川
「俺は別にいいぞ。」
瀬波
「遠慮しなくてもいいですよ」
北川
「だったら水瀬小隊長に、百花屋のイチゴサンデーを奢ってやってくれ。」
隊長
「そうだな、水瀬は無謀だけどよくやったよ。」

ある変化

火災の件で久瀬のところに来た佐祐理さんは、久瀬がスーツケースに色々な物を詰め込んでいるのを目にした。

佐祐理
「久瀬さん、何してるんです。」
久瀬
「君と違って、色々忙しいものでね、これから海外へ出張さ。もっとも、君はとんでもない不祥事を起こしたのだからそれなりの責任は取ってもらうよ。」
佐祐理
「久瀬さん、いえ久瀬、あなたは重罪人です。あなたがこれから行く場所は拘置所です。」
久瀬
「君、僕に向かって久瀬とは何だね。従業員風情に呼び捨てにされる筋合いは無い。」
佐祐理
「いえ、あなたは今朝の緊急取締役会で解任されました。もっとも、あなたは大麻でいい気分になっていたから分からなかったでしょうが。」
久瀬
「何だと、僕に無断でそんなことができると思っているのかね。」
佐祐理
「ええ、これは、会長であるあなたのお父様も含めた、あなた以外の、取締役全員の総意ですから。それと、申し遅れましたが、私が本日より当ホテル社長として経営再建に取り組む事となりました。あなたが大麻パーティーをやって大火災を起こしたのですから、当然民事でも損害賠償請求があると思ってください。」
久瀬
「くっ…」
佐祐理
「刑事さん、彼が大麻パーティーをやって火災を起こした犯人です。」
刑事
「では、ご同行願います」」
久瀬
「覚えてろよ、佐祐理。この借りはきっと返すからな。」
佐祐理
「久瀬さん、罪を重ねるのは止めてください。お父様も悲しみます。」

久瀬は刑事に連行されて行った。


夢の跡

酸欠により緊急入院していた祐一とあゆだが、大きな後遺症も無く、無事に二人の新居に戻っていた。

祐一
「なあ、あゆ。」
あゆ
「何?」
祐一
「あの火事のときに、不思議な夢を見たんだ。」
あゆ
「どんな夢?」
祐一
「昔、よく森に行ってたろ。」
あゆ
「うん。」
祐一
「森へ行く道の途中で、たいやきの匂いがずっとしてたんだよ。」
あゆ
「うん。」
祐一
「あゆが落ちた大木の手前で名雪に止められたんだ、この先に行っちゃだめって。」
あゆ
「ボクも同じ夢を見たよ。」
祐一
「不思議だよな。」
あゆ
「そうだね。」
あゆ
「そういえば、名雪さん自分の空気マスクを外して、僕たちに使っててくれたんだって。」
祐一
「そうなのか?」
あゆ
「うん。」
祐一
「あいつも無茶な事するな。」
あゆ
「うん。でもおかげでボク達助かったんだし、ちゃんとお礼言わなきゃね。」
祐一
「そういえば、北川と舞のコンビが、アクション映画のようなやりかたで部屋に突入してくれたから、助かったんだってな。」
あゆ
「やっぱり、舞さんってすごいね。ちなみに北川さんって誰?」
祐一
「高校時代の同級生で男だ、アンテナってあだ名で呼ばれてる。」
あゆ
「ふぅーん、そうなんだ。」
あゆ
「そういえば名雪さん大丈夫かな?」
祐一
「伊達に走っちゃいないからな、もう回復したって。」
あゆ
「名雪さんも強いんだね。」
祐一
「…、そうだな。体も心も強いよ。名雪は。」
あゆ
「そうだね。」

その後、俺達は実家で静養中の名雪に礼を言いに行った。

秋子
「あら、ふたりともいらっしゃい。」
祐一
「秋子さん、お久しぶりです。」
あゆ
「おじゃまします。」
秋子
「まあ、玄関で立ち話も何ですし、リビングへどうぞ。」

俺達はリビングに通され、お茶を淹れてもらっていた。名雪に礼を言いに来た事を言うと、秋子さんが名雪を呼んできた。

祐一
「名雪、ありがとう。」
あゆ
「名雪さん、ありがとう。これ苺のショートケーキだけど受け取ってもらえるかな?」
名雪
「あゆちゃんありがとう。苺のショートケーキなんて久しぶりだよ。」
秋子
「じゃあみんなで分けましょうか、お茶も淹れてきますね。」

秋子さんはそう言ってキッチンへと向かった。

名雪
「でも、二人が無事だったのが何より嬉しいよ。」
祐一
「何でだ?」
名雪
「きっと、祐一が選んだあゆちゃんとの未来が、これからも続く事が嬉しいんだと思う。わたしは祐一に選ばれなかったけど、わたしは祐一もあゆちゃんも好きだから。だから祐一とあゆちゃんと幸せになって欲しかったんだよ。」
祐一
「…」
あゆ
「名雪さんの期待に応えられるようにボク達がんばるよ。」
祐一
「そうだな。」
名雪
「うん、期待してるよ。」

そんな会話をしているうちに、お茶とケーキを秋子さんが持ってきた。

あゆ
「あの秋子さん…」
秋子
「どうしたのあゆちゃん?」
あゆ
「久しぶりに、秋子さんの料理が食べたくなちゃったんだけど、その…」
祐一
「俺は賛成だぞ。」
名雪
「そうだね、賑やかな方が楽しいもんね、お母さん。」
秋子
「ええ、いいわよ。夕食はうちで食べて行く?」
あゆ
「うん。」
秋子
「それじゃあ、今日は久しぶりにテーブルを囲んでの夕食ね。」
名雪
「そうだね、本当に久しぶりだよね。じゃあ、みんなで買出しに行こうよ。」
祐一
「そうだな。」

その後、皆で夕食を買出しに行き、夕食が終わった頃には、外は真っ暗だった。

だが、あゆは昔のように暗い夜道を怖がったりしなくなり、満天の星空を眺めるくらいの余裕を持っていた。

どうも暗室作業を経験した事で暗闇を怖がらなくなったらしい。


後始末

新しくホテルの社長になった佐祐理さんと会長の久瀬の父親は、俺達宿泊客や名雪、消防関係者への謝罪の行脚に駆けずり回っていた。一方、香里は…。

香里
「レスキュー隊長と検査課長、ちょっといいかしら?」
課長
「はい。」
隊長
「はい。」

レスキュー隊長と検査課長は香里に小会議室に呼び出された。

香里
「課長、まず、あのホテルなんだけど、適マークを交付してたわよね。」
課長
「はい。」
香里
「スイートルームからの脱出にすごく手間取ってたみたいだけど、そんな構造が許されると思ってるの?」
課長
「あ、いえ、その…」
香里
「簡単に脱出できる構造でなきゃだめよね。」
課長
「はい。」
香里
「じゃあ、ちゃんと検査して、だめな建物は適マークを剥奪して頂戴。これは業務命令よ。」
課長
「はい。」
香里
「次にレスキュー隊長さん。」
課長
「はい。」
香里
「隊員達はとても勇敢だったわね。」
隊長
「はい。卓越した能力と日ごろの訓練の賜物です。」
香里
「でも、アクション映画みたいな真似は止して頂戴。マスコミ対策が大変なのよ。」
隊長
「はい。でも…」
香里
「あと、要救助者の人数に応じたサブマスクを隊員全員に持たせた方が良いんじゃない。水瀬小隊長は自分の面体を要救護者に使って、自分は酸欠で死にかけたみたいだし、そういう冗談みたいな真似は止めてくれる。」
隊長
「はい。」
香里
「火災の場合も、防弾ガラスとかコンクリートの壁に穴をあけられるツールを携行することが必要ね。その辺の装備の開発交渉と予算交渉は私がやっておくわ。」
隊長
「はい。よろしくお願いします。」
香里
「上の方には、レスキュー隊員たちの勇敢な働きによって、前途ある新婚夫妻が救われたという事と、検査後に違法改造されていたのを見逃していたことにして報告しておくわ。」
香里
「あとね隊長、笠美隊員はよく扉に目張りすることを考え付いたわね。彼を消防科学研究所へ推薦したらどうかしら?」
隊長
「彼は、水瀬小隊の中で一番の切れ者ですので、あまり手放したくないのですが。」
香里
「でもね、人事ローテーションは大切な事よ。彼にはきっと才能があるわ。それを活かすべきよ。」
隊長
「考えておきます。」
香里
「そうね、いつ異動するかちゃんと考えてね。これは業務命令よ。」
香里
「あと、ホテルの支配人、倉田さんでしたっけ。彼女のおかげで死者ゼロにできたのだから、感謝状を贈らなきゃね。これは私から署長に言っておくわ。では二人とも、通常業務に戻っていいわ。」

エピローグ

教授のお供から帰ってきた斉藤達を交えて、身内だけで2次会をやることになった。

斉藤
「私はオカルトを信じない方ですが、あなた達、本当に強運ですね。」
秋子
「そうね、本当に助かってよかったわ。」

さらりと言ったが、秋子さんにしてみれば、あの火事で家族を全て失う可能性もあったのだ。とても重みのある言葉だ。

佐祐理
「でも、久瀬が悪い仲間たちと付き合っていたとは知らず、あんな危険な部屋に通してしまって申し訳ありませんでした。」
祐一
「それは仕方ないさ。」
あゆ
「あんな豪華な部屋泊まった事無いから、感動的だったよ。」
佐祐理
「ありがとうございます。火事さえなければ、素敵な朝の光景も見られたんですけど…」

佐祐理
「ホテルが再建できたら、あなた達を最初に招待したいのですが、よろしいですか?」
祐一
「ああ、それは大歓迎だ。」
あゆ
「仕事をキャンセルしてでも、絶対に行くよ。」
祐一
「そりゃまずいだろ。」
あゆ
「大丈夫だよ、祐一君が稼いでくれるもん。」
名雪
「がんばってね、祐一。」
祐一
「俺が稼ぐには、お前が撮った写真が必要なんだ。」
あゆ
「そっか、うっかりしてたよ。」
佐祐理
「大丈夫ですよ、あなた達の都合に合わせますから。」
あゆ
「ありがとう。」
祐一
「なんだか悪いな。」

香里
「でも、名雪も川澄さんも北川君もずいぶん無茶したわね。下手をすれば殉死者が出てる所よ。」
名雪
「祐一もあゆちゃんも助けたかったから。」
香里
「救護用マスクの改良については、上の方に言っておいたからいずれ改善されると思うけど、レスキュー隊員が自分の身を守るのは基本でしょ。」
名雪
「うん…」
香里
「ちなみに、川澄さんと北川君はあんなアクション映画みたいな訓練をしているの?」
北川
「川澄先輩が言い出したんだ。」
「…」(無言で北川にチョップする)
香里
「どういうこと?」
「…、建物解体用のスチールボールで建物を壊した事があると、北川が言った。」
香里
「それで?」
「ボールの代わりに、私なら正確に窓を破れるから…」
香里
「…、それでアクション映画みたいな真似をしてたのね。上にはどういったらいいのかしら…」
「消防署を引退したら、北川と組んでスタントショーができる。」
北川
「俺は御免だ。」
「それは残念。」

一同、絶句していた。

秋子
「まあ、大丈夫ですよ。結果オーライということもありますし。」
名雪
「うん、そうだよね。」
香里
「そういうものなの…」

斉藤
「そういえば、美坂さん、あと何年くらいで本省に戻る予定ですか?」
香里
「それは上が決める事よ、私には分からないわ。それより斉藤君は万年助手の予定なの?」
斉藤
「うっ…、いずれ教授になって見せますよ。」
香里
「ふぅーん。まあがんばってね。」
斉藤
「えぇ、美坂さんこそ変なところに飛ばされないようがんばってください。」
香里
「大丈夫よ、私は要領だけはいいんだから。」

斉藤
「私は、そろそろ列車の時間ですのでお暇いたします。」
名雪
「私達も、そろそろ当直の時間だよ。北川君も川澄先輩も消防署に戻らなきゃ。」
秋子
「じゃ、お開きですね。皆さんまた来てくださいね。」
一同
「はい、是非またお邪魔します。」

そうして、水瀬家に秋子さん一人を残して2次会は終わった。

あゆ
「ねえ。」
祐一
「何だ?」
あゆ
「秋子さんの家に居候しない?」
祐一
「いきなり何言ってんだ?」
あゆ
「だって、あの大きな家に秋子さん一人じゃ、きっと寂しいよ。」
祐一
「…、そうか。」
あゆ
「今度、名雪さんと秋子さんと相談してみようよ。」
祐一
「そうだな。」