作:◆eUaeu3dols
あなたは彼女を覚えてる?
忘れているなら、思いだしてあげて。
忘れられるのはとてもとても哀しい事だから。
だから、みんなに思いだしてもらうの。
私が殺した少女の事を。
落ちる先は湖。
湖には水面。
水面は鏡。
鏡は扉。
扉の向こうに誰が居る?
扉の向こうに何が在る?
彼女は闇夜で殺された。
彼女は海辺で殺された。
彼女はメスで殺された。
夜は異界が近づく時間。
闇夜に異界が隠れてる。
海は神様が住まう場所。
海に呑まれたお供え物。
メスの用途はなおす事。
裂かれた人の病を癒す。
そして誰か、覚えているか。
殺された少女の名前を覚えているか。
魔女は言う。
「あの子の魂のカタチは『陸往く船のお姫さま』。
王子様に誘われて陸を進むようになっても、船を降りたわけじゃない。
だって、“彼女こそが船だから”」
――そして船は、海と陸とを橋渡す。
「あなたが魔女になれなかったのは残念だよ」
其処は異界。
水面の鏡面から飛び込んだ、鏡の異界の何時かの何処か。
澱んだ水の臭いと、耳が痛くなるほどの静寂に包まれた世界。
「カタチを与えてあげる事さえ遅くなって、本当にごめんね」
ピチャピチャと湿った音がする。
魔女の手首から滴る一筋の紅い血を、白い少女が舐めている。
「ふふ……しばらくはそれで保つかなぁ」
魔女は血を水面に滴り落とした。
水面は鏡。鏡は門戸。血は鏡の世界に滴り落ちた。
門戸は鏡。鏡は水面。血は水面から海へと流れ……
海に呑まれた『陸往く船のお姫さま』へと贈られた。
魔女の生き血はヨモツヘグリ。
なりそこなった哀れな子に、仮の体を与えてあげる。
そうして魔女の使徒が一人生まれた。
――いや、生まれようとしていた。
「…………」
ピチャピチャと音が響き続ける。
白い少女は魔女の手首から血を舐め続け……突然、びくんと痙攣した。
「…………あれ?」
魔女が僅かに怪訝な表情を浮かべ……次に目をまん丸にして驚き、それを理解した。
そして、悲しげに目を細めた。
深い慈悲と哀れみをその瞳に湛え、白い少女を悲しげに、ほんとうに悲しげに見つめる。
「この島では、可哀想なあなた達に仮初めのカタチを与えてあげる事もできないんだね」
魔女の血を飲む事で仮初めのカタチを得られたはずの白い少女の輪郭が、儚いまでに揺らぎだす。
今さっきまでの様に、その姿が白い塊に還りゆく。
魔女の使徒は水子だった。
生まれることさえ出来ないままに、その姿が崩れゆく。
「あなたのカタチは崩れちゃうね」
「…………」
白い少女は揺らぎながら、微かに笑みを浮かべていた。
それは魔女の使徒の笑み。
必死に与えられたカタチに縋り、生き延びようとするように。
その笑みは少女が本来浮かべられる物ではないけれど、
在り続けようとするこの足掻く意志は、きっと少女の物だろう。
与えられた居場所を離すまいとするこの想いは、きっと少女の物だろう。
「無理だよ。ここでは、無理」
少女の体の揺らぎはどんどん激しくなって……
気づけば彼女の背丈は小柄な詠子の胸ほどになっていた。
足は、膝は、既にカタチを失って、白い肉塊へと成り果てていた。
「髪をもらうよ」
魔女は魔女の短剣を手に握り、少女の短い髪を、一房だけ切り取った。
「ごめんね。今のわたしに、あなたが帰る場所は作れない」
「…………」
できそこないは喋らない。魔女の使徒に意志は無い。
けれど。
「……イヤ」
白い少女の唇から言葉が漏れだした。
「イヤ! おいていかないで!」
魔女の使徒にもなりそこなった、だから残った、少女の想い。
人になろうにも死んでいて、死者になろうにも在り続けて、
できそこないとしても不完全で心が残り、魔女の使徒になる事も世界がそれを赦さない。
何処にも居場所が無い少女。忘れ去られた白い少女。
どこにも居場所が無いのが悲しくて、自らを殺めた魔女にすがりつく。
「忘れないで! おいていかないで!」
「大丈夫だよ」
魔女の言葉は甘く、安らぎに満ちていた。
「あなたはまた死者に戻るけど。覚えている人は居ないけど」
魔女は囁く。
「きっとあなたの居場所を作ってあげる。
あなたのカタチを作って上げる。
あなたを呼び戻してあげる。
だから心配はいらないよ」
そして、白い少女は今度こそ白い肉塊に成り果てた。
できそこないは異界に消えて、それは最早死者と等しい。
この世界にいる限り、死者の法は超えられない。
「それにしても、残念だねぇ」
魔女は誰にともなく呟いた。
――“船”を失った魔女の体は、湖の岸に流れつく。
「あなたが力を貸してくれたなら、この世界でもあの子を魔女の使徒に出来たのに」
異界はいつしか闇に呑まれ、魔女の心は闇の中で呟いた。
――船を失った魔女の体は、傷付き凍え、弱っていた。
「でもそれがあなたのルールなら、仕方ないことだけど」
返事は何処からも返らない。魔女は一人呟いた。
――魔女の体は吸血鬼達の助力によって、幸運にも救われる。
「ねえ、神野さん」
そこは闇の中。そこは闇の底。そこは闇の奥。そこは闇の淵。そこは――
【D-8/民宿/1日目 16:00】
【十叶詠子】
[状態]:夢の中、体温の低下、体調不良、感染症の疑いあり
[装備]:『物語』を記した幾枚かの紙片 (びしょぬれ)
[道具]:デイパック(泥と汚水にまみれた支給品一式、食料は飲食不能、魔女の短剣、白い髪一房)
[思考]:夢の中
[備考]:ティファナの白い髪は、基本的にロワ内で特殊な効果を発揮する事は有りません。