作:◆7Xmruv2jXQ
彼女にとって、その接触はまったくの予想外だった。
休めもうと近づいた建物には先客がいて、危険を冒して移動しなければならなかった。
“親”に連れられて結局住宅街までやってきて。
適当な民家で体を休め、しばらくして誰かが近づいてきた。
その相手が彼だったのは、運命としかいいようがない。
相手は困惑し、憤っていたけれど。
朦朧とした意識を総動員して、最後になんとかメッセージを託した。
彼は気づいてくれたようだった。
本当に良かった。
これで希望が繋がった。
どうか、私がほんとうにいなくなってしまわないうちに。
お願い、私を――――
A.M.6:45。
甲斐氷太は自分のスタート地点、D−3エリアへ戻ろうとしていた。
早足に進んだせいか、緑の草原はすぐに姿を消し、薄汚れたコンクリートの群れが目立ち始める。
朝の陽光は街の雰囲気を一変させていた。
白く照らされた街並には廃墟然とした面影はない。
民家そのままの郵便局。
聞いたことのないコンビニ。
砂場と滑り台だけの公園。
夜には気づかなかったが、比較的緑も多く、のどかな田舎町といった雰囲気である。
甲斐は自身の逃走経路を出来るだけ正確に頭に描き、逆に辿って民家を目指した。
途中で煙草の自販機の前を通り、進むこと二分。
ウィザードらと別れた民家の裏手に到着する。
庭の草が荒れ果てている点は他の家と同じだが、明らかに踏みつけた跡がある。
甲斐が逃げる時に通った跡だ。
視線を上げれば開いたままの窓。
うろ覚えではあったが、どうやらちゃんと戻ってこれたらしい。
甲斐は土足のまま窓から家の中に忍び込んだ。
フローリングの床に着地すると、ブーツがカタリと音をたてる。
中の様子は甲斐がいた時と変わっていないようだった。
這いつくばって床を見ると、うっすらと足跡らしきものが見える。
足跡は二人分で、サイズは両方とも同じくらい。
ウィザードと連れの女のものと見ていいだろう。
足跡は玄関の方へと続いていた。
連れの女が銃を抜いた瞬間逃げてしまったので、甲斐は二人がどちらへ逃げたのかも知らなかったのだ。
最悪、二人分の死体が転がっていることも覚悟はしていたが、その心配は杞憂に終わったらしい。
「はっ。こんなとこであいつがくたばるわきゃねえか。とりあえず玄関まで見送るかね」
安堵しながらも甲斐の表情は芳しくない。
なんせ玄関から先は当てがないのだ。
この島内を無策に歩き回らなければならないというのは、考えるだけで憂鬱だった。
襲われる危険性も増すし、なによりめんどくさい。
ウィザードとの再戦のためなのだから我慢は出来るが、その作業量を想像すれば気が進まないのも仕方がなかった。
未来を憂いてため息をつくと、足跡に沿って歩き出そうとして、
「なんだ、こりゃあ……」
一瞬で甲斐の視線が鋭くなる。
ウィザードたちの足跡に重なるように存在する、別の足跡に気づいたのだ。
それも向きは逆向きだ。
数歩分重なってから、逆向きの足跡は横の階段へと分かれていた。
「二階に誰かがいるってことか。人数は……判別できねえな」
甲斐は小声で呟くと迷うことなく階段へ向かった。
この時、甲斐の頭にはなぜか逃げるという選択肢はなかった。
まるで鉄が磁石に引かれるように、ごく自然に階段を上っていった。
あるいは予感があったのかもしれない。
この先に見過ごせない何かが待っている――――そんな予感が。
すでにかなり音をたてている。
向こうも気づいている可能性は高いのだ、今更隠密行動もないだろう。
ズボンのポケットからカプセルを一錠取り出して口に含む。
飲み込まずに舌の上にカプセルを留めると、甲斐は一気に階段を駆け上がった。
外観から判断するに二回は一部屋だけだ。
相手はそこに潜んでいるはず。
「なんだ?」
二回にたどり着いた甲斐は奇妙なにおいを感じた。
ざらついた鉄の匂い……血の匂いだ。
負傷しているのか、それとも誰かの返り血か。
甲斐は口内のカプセルはそのままに、視線を一際鋭くした。
皮ジャンを脱いで丸める。
相手がゲームに乗っていた場合、間違いなく待ち伏せされている。
即席のダミーだ。
甲斐は肩膝を立てた姿勢でノブに手をかけた。
ひんやりとしたスチールの感触が全身を冷やしていく。
……冷静になれ。
……イメージ通りに動け。
二呼吸分おいてから、甲斐は扉を開けてダミーを放り込んだ。
一拍おいて自分も頭から中へ飛び込む。
カーペットの上で前転を一回。
ヒュオッと空気を裂いて、頭上を何かが横切ったのを感じる。
飛び込む形でなければ危なかった。目が闇に慣れているのか、ダミーを見破っている。
内心冷や汗をかきながらも甲斐の行動は迅速だった。
回転を終えるや否や横に飛んで距離を空けると、紙一重で第二撃も空を切る。
自己防衛のための行動というには狙いがあまりに正確だった。
相手は確実に殺すつもりで来ている。
(相手はゲームに乗った奴か)
ならば遠慮はいらない。
全力で叩き潰すまでだ。
一挙動で立ち上がり、甲斐は前方を睨んだ。
部屋は闇に沈んでいた。
カーテンは閉め切られ、一筋の光さえ入ることはできない。
その空気は暗く、冷たく、重い。
カプセルを奥歯で挟みながら甲斐は全身を緊張させた。
全身が沸騰したように熱いのに、芯は氷のように冷えている。
夜のアンダーグランドで、幾度も味わった感覚だった。
命をコインに賭ける感覚。
エッジの上で踊る感覚。
それを思い出し、甲斐は歯をむき出しにして笑った。
甲斐の前方に、影が二つ。
一人は壁にもたれぐったりとしている。
もう一方は立ち上がっていて、右手に何かを持っていた。
先ほど頭の上を通過した凶器だろう。
鈍器か、刃物か。どちらにしろ当たるのは拙そうだ。
ようやく目が慣れてきた。
二つ影が、二人の少女へと溶けていく。
「お前らがどこの誰かは知らねえが、容赦しないぜ?」
甲斐が不敵に宣言する。
さあ、宴の始まりだ。
悪魔を喚べばウィザードは気配に気づくだろう。
カプセルを求めて近づいてくるか、逆に逃げるかは知らないが、絶対に追い詰めてみせる。
そして、もう一度……。
甲斐の目が強く力を放つ。
甲斐はカプセルを噛み潰そうと、奥歯に力を込めて――――
「甲斐、さん?」
いきなり名前を呼ばれ、その動きを止めた。
おもわず口から零れたカプセルがカーペットの上に落ちる。
誰だあいつは?
なんで俺の名前を知っている?
いや、落ち着け。久しく聞いていなかったが、今の声は……。
甲斐は混乱を沈めようと声の主を見た。
凶器の剃刀を構えたまま、真剣な眼差しで甲斐を睨む女の後ろ。
壁に寄りかかっていた少女が、ゆっくりと起き上がる。
「お前……海野、か?」
甲斐の声には戸惑いの色が濃く現れていた。
それほどに、少女の容貌は変わっていた。
艶やかだった髪はくすみ、肌の色も青白い。
眼光はどこか妖しく、見るものを惹きこむような魔力があった。
なにより、その少女は襟元まで真っ赤に汚れていた。
なにをすればあそこまで汚れるのか、甲斐には思いつかないほどに。
認識が追いつかない。
名簿で名前を見たときから、この探偵少女は主催者と戦う道を選ぶと思っていた。
例え勝ち目がなかろうと誰かを殺すくらいならそうするだろう。
それが、“探偵”海野千絵のはずだ。
――――狂ってる。
現実とイメージのギャップが埋められない。
「海野。お前、誰かを殺ったのか」
声が乾いているのを自覚する。
甲斐の問いに、少女は俯いたまま答えなかった。
甲斐が続けて問おうとした瞬間、頭で考えるより速く体が動いていた。
身を捻りながら足を跳ね上げる。
左肩に熱い痛み。
同時に爪先が柔らかいものを抉る感触。
(くそ、なにやってんだ俺は!? 敵を前にしながら隙をつくるなんてよ!)
甲斐は流れる血をそのままに、ポケットから再びカプセルを取り出す。
それより速く、もう一人の女――――佐藤聖が動いていた。
甲斐の蹴りがわき腹を抉ったのだろう。
つらそうに押さえながら部屋に備えつけられた机へと駆け寄る。
「ああああああああああああああああああああっっっ!!」
聖は大音声で叫ぶと、あろうことか机を頭の上に持ち上げた。
机は木製のしっかりしたもので、とても女の腕力で持ち上がるものではない。
聖は重さに顔を歪め、膝が砕けそうになりながらも、甲斐めがけて机をぶん投げた。
「んなっ!?」
巨大な質量が迫り、甲斐は大慌てで部屋から外へと飛び出す。
いかにタフだろうとあんなものを食らったら一発でお釈迦だ。
(なんなんだあの女は!?)
甲斐が部屋から脱出した直後、盛大な激突音が家そのものを揺さぶった。
耳を突き抜ける衝撃に耐えながらもカプセルを手に部屋へと戻る。
しかし、机が邪魔だった。
ドアは壊れていたが、投げられた机は原型を留め、入り口の下部を塞いでいた。
甲斐が机に足をかけた時にはすでに聖がカーテンを頭からかぶり、窓から飛び降りるところだった。
一瞬で視界から聖が消える。
千絵も同様にカーテンをかぶり、後へ続こうとする。
「待ちやがれ海野!」
甲斐の怒号に千絵が振り返った。
その表情に生気は薄く、かつてカプセル撲滅に邁進していた少女とは別人のようだ。
「どういことだてめえ! ゲームに乗ったのか!? あの女はなんだ!? お前の顔の汚れはなんだってんだ!」
「甲斐さん……ごめんなさい」
「わけわかんねえぞコラ! ちょっとそこで待ってろ!」
甲斐は勢いよく机を飛び越え、窓へと疾走する。
一方の千絵は軽く跳躍すると、容易く窓枠を乗り越えた。
彼女の運動能力では考えられない動きだった。
甲斐が手を伸ばすが間に合わない。千絵の姿が下へと消える。
その寸前。
甲斐は、千絵の口元が動くのを確かに見た。
少女の口は四つの音をつくって視界から消える。
甲斐が窓から下を見れば、カーテンをかぶった人間が二人、東へと走っていくところだった。
二階から飛び降りて無事なのもおかしいが、二人とも女の脚力にしてはやけに速い。
二人はあっという間に角を曲がって見えなくなる。
取り残された甲斐は、苛立たしげに頭をかいた。
本当に頭が痛い。
千絵の赤い汚れ。二人の異様な身体能力。肩の負傷。そして千絵が最後に呟いた言葉。
「こ、ろ、し、て……か。くそ、俺にどうしろってんだ」
めちゃくちゃになった部屋の中。
埃にまみれたジャケットを拾い上げ、甲斐は悪態をついた。
【残り90人】
【D−3/民家内/1日目・07:00】
【甲斐氷太】
[状態]:左肩に切り傷(深さは不明)
[装備]:カプセル(ポケットに三錠)
[道具]:煙草(残り14本)、カプセル(大量)、支給品一式(ヴォッドのもの)
[思考]:ゲームに乗る、ウィザードと戦いたい、海野をどうするべきか
【D−3/路上/1日目・07:00】
『No Life Sisters(佐藤聖/海野千絵)』
【佐藤聖】
[状態]:吸血鬼化/身体能力等パワーアップ、左手首に切り傷(徐々に回復中) /わき腹に打撲
[装備]:剃刀
[道具]:支給品一式、カーテン(日よけ)
[思考]:なんとか森に逃げ込む。
吸血、己の欲望に忠実に(リリアンの生徒を優先)
【海野千絵】
[状態]: 吸血鬼化/身体能力等パワーアップ
[装備]: なし
[道具]: カーテン(日よけ)
[思考]: 聖についていく/殺してほしい←かなり希薄です
2005/05/05 改行調整、文章一部追加・改変