作:◆lmrmar5YFk
クレアは樹上から、包丁を手にした青年を眺めていた。
自分と似た、明らかな血の匂いの空気を周囲に持つその青年を。
…ところで、懸命なる読者諸兄は既に気づいていることだろう。
そもそもなぜ、クレア・スタンフィールドが今、この場にいるのかと。
走り出した彼が考えていたのは『一刻も早く城に行く』事の筈であり、彼の平時からの性格を考えれば迂回などする訳もない。
それなのに、こんなところにいるのはおかしいではないか―。
貴兄達がそう思うのはもちろんだし、何があって進路を変更したのかを知りたいのも尤もだ。
しかし、この間に起こった話はクレアにとって相当に不名誉なエピソードであるので、知りたいというのなら、それなりの覚悟を持ってして聞いていただきたい。
―貴兄の記憶を失わせんと、『葡萄酒』が襲って来たところで、こちらは一切関知できないのだから。
…おっと、脅かすのはこの程度にして、そろそろ彼がここにいる理由を簡単に説明しよう。
それは、ひとえに彼の身に起こったちょっとした不幸によるものだった。
海洋遊園地を抜けたクレアは、南東の方向へほぼまっすぐに走っていた。本来、彼はそのまま最短距離を通って城へと向かう予定だったのである。
しかし走り始めてすぐに、彼は一人の少女を発見した。正確には、彼の人類にしては発達しすぎている視覚が発見してしまった。
彼女は、井戸(このゲームのはじめにクレアが抜け出したあの井戸である)の横に一人で立ちすくみ、休憩を取っているところだった。
転びでもしたのか、身に付けている衣服は泥などが付着してやたらと汚れている。しかし、見たところ怪我などは無いようだった。
クレアは彼女から離れた位置に体を隠し、様子を伺っていたが、別段怪しそうな動きもないのを見てとる。
パンや水を口に運び、時折地図を眺める以外には何をするわけでもない。
辺りに気を配っているのは感じられるが、そのくらいはこのゲームの最中なら当然のことだろう。
…ただの女みたいだな。ゲームに乗ったわけでもなさそうだ。
そう思い、目を離そうとしたまさにそのとき―
少女はおもむろに服を脱ぎだした。
井戸のそこにわずかに残っている水を釣瓶でくみ上げて、汗をかいた体を拭こうとしているのだということは理解できた。
距離と視力を考えれば、彼女の視界の中では、周囲に誰もいないのだということも理解できた。
しかし、それを見たクレアはなぜか一人でやたらと慌てふためいた。
(…なっ!)
クレア・スタンフィールド。アメリカ全土をおびえさせる天性の殺し屋であり、『世界最強』との呼び声も高い青年。
彼はシャーネと恋仲になるまで、一人として恋人が出来た事はなかった。
そして、そのシャーネとはいまだ口付けすらもろくに交わしたことのないプラトニックな関係だ。
これらの情報から当然結論付けられるのは―クレアはこれまで女性の裸を直に見たことがなかったという事実。
彼は、眼前で繰り広げられるそのラッキーな光景を、まじまじと見詰めた。
…まあ、最強の『葡萄酒』も所詮男だということだろう。
…しかしこの幸運。こういう所が彼曰く、『世界は俺の都合のいいようにできている』なのだろうか…。
ひとしきり目の前の少女を見ていた後、クレアははっと我に返った。
(すまない、シャーネ…! …とにかくすぐ助けに行く!)
クレアは再び放たれた矢のように飛び出した。
しかし、どうしても少女の側を通ることが出来ず―仕方なく脇へと迂回した。
もっとも、彼の走る速度なら、彼女に気づかれずに近くを通ることはかなりの確立で可能だったし、たとえそうでなくても、多少大回りして直線ルートを通ればよかったはずだから、やはり多少の混乱は残っていたのだろう。
はじめてみた女体の神秘と、婚約者に対する申し訳なさとで。
もっとも、当の本人は、
「…まあ、いい。考えてみれば、ナイトは正々堂々と正面から城の門をくぐるものだからな。眠り姫が起きるまで俺は茨の道を行くさ」
などと、彼の主観では崇高な、しかし傍から見れば言い訳にしか聞こえないことを呟いていたが。
【F-2//井戸前/一日目6:38】
【クレア・スタンフィールド】
[状態]:絶好調
[装備]:大型ハンティングナイフx2
[道具]:デイパック(支給品一式)
[思考]:城に行く 姫(シャーネ)を助け出す
【李淑芳】
[状態]:通常
[装備]:不明
[道具]:デイパック(支給品一式)
[思考]:不明(仲間との合流?)
2005/04/10 修正スレ31