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第490話:白天の破壊 夜色の空

作:◆E1UswHhuQc

 頭に響いてきた音がある。
(……これは)
 パイフウは身を強張らせた。聞き覚えのある、嫌味な声だった。

『諸君、第三回放送の時間だ――』

(放送――もう、そんな時間)
 視界は依然霧に閉ざされているが、先行する子供達もが立ち止まったのを気配で知る。
 恐らくは、別行動を取っている“潤さん”とやらが気になっているのだろう。
 そしてそれは、こちらも同じだった。
(……ほのちゃん……)
 少女のことを、想う。
(……呼ばれないわよね……?)
 沁み込んで来る感情――恐れを理性で殺しながら、パイフウは願う。
 火乃香が生きていることを。
 そして同時に思考する。今が殺し時だ、と。
 “潤さん”が生きていれば、安堵によって隙が生まれる。死んでいれば、嘆きによって隙が生まれる。
 どちらにせよ、殺すならば――
(今が、チャンス)
 思考の間にも、声は無情に名前を読み上げていく。死者の名前を。
『――031袁鳳月、032李麗芳――』
 呼ばれなかった。
 生きている。
 火乃香は生きている――
「……よかった」
 安堵の為に呟きが漏れたが、問題はない。距離があるし、相手も放送を聞くのに集中しているはずだ。
 パイフウはウェポン・システムを構え、外套の偏光迷彩を切って――この霧では意味がない――子供達との距離を詰め始める。
 気配だけでは場所が特定できないが、声でも出せば判る。銃声でこちらの場所も気取られる可能性があるが、それは構わない。一人でも多く殺さなければいけないのだから、多少の無茶は覚悟の上。
 殺せる。
 見ず知らずの子供を殺すことに罪悪感を覚えないでもないが……
(貴方たちも死にたくはないでしょうけど――わたしにも、大事なものがあるの)
 胸中で呟いて、パイフウは歩を進めた。


        ○


 予感はあった。だからこそ、絶望しない。

『――043アイザック・ディアン、044ミリア・ハーヴェント――』

 別れていた二人の名を放送で呼ばれても――つまりは二人の死亡を知らされても、フリウは絶望を抱かなかった。
 代わりに胸中で渦巻いているのは、諦観だった。
 当たって欲しくない予感が当たる。約束されて欲しくなかった未来が約束されて過去となる。
 人によってはそれを絶望と呼ぶのかもしれない。
 どちらでもいい。そんなものに区別をつけても意味はないのだから。
 隣の少年も、似たようなものだろう。足元にいる犬のようなドラゴンとやらも。

『――084哀川潤、085萩原子荻――』

 どうしようもないことが起きて、どうしようもなくなった。それだけのことだ。
(大したことじゃないよね)
 虚ろな穴の穿たれた思考で、フリウは結論づけた。
 死は、誰もが等しく持っている。持っている限り、奪われることは覚悟せねばならない。そして持っているならば、それを更に増やそうと誰かのそれを奪うことだって出来る。誰にでも。
 死ぬこととは、誰もが知らない内に結ばれた契約のようなものだろう。自分が奪われたくないから、奪うことを禁じてルールとした。越えてはいけない一線として刻み、それを誰もが守ってくれると信じて、自分もまたそのルールを守る。
 誰かが、越えてはならない一線を越えてしまった。禁忌たることを行ってしまった。
 それであの三人は死んだ。
 誰にでも、出来ることなのだ。
(一番弱いはずのあたしにだって、できちゃうこと。あたし以外の誰がやったっておかしくない)
 アイザック・ディアン。ミリア・ハーヴェント。高里要。哀川潤。チャッピー。
 誰にだって出来る。誰にだって出来てしまう。誰もが越えることの出来て、越えてはならない一線。

『――その調子で励んでくれたまえ』

 『越えられる』ことだって、誰にでも出来る。
 あの三人は越えられてしまった。もう居ない。還って来ない。奪われたものは、取り返せない。
 だからこそ――
「進もう」
 渇いたような声で言った。視界を妨げるように横たわる霧が、その声を呑み込む。
 口に出してみて、その台詞が何の意図も持ってないことに気付く。フリウは苦笑した。
 意図などない。やりたいことも、なすべきことも、なにもかもがないのだから。
 黒髪の少年が、小さく言う。怯えを抑えたような声音で。
「どこに?」
 問われて初めて、フリウは行き先を考え始めた。
 この島に、もはや安全な場所など存在しないだろう。
 ならば最低限、雨風を防げる場所がいい。屋根のある建造物。つまりは当面の目的地だった、
「学校で、いいかな」
 呟きが白い霧を歪ませて、
「――危険が危ないデシ!」
 白竜の叫びが、白霧を切り裂いて。
 少年が、白竜に突き飛ばされたのを感じた。
 破裂音。
 高速で――避けるどころか視認することすら難しいほどの速度で飛んできた何かが、白竜を貫いた。
 白い霧に妨げられる視界に、赤い花が咲いた。
 それは何だろうか、と見れば、
「――チャッピー……!?」
 チャッピーが赤いものをぶちまけて、宙を飛んでいた。
 ミリアが持っていた武器。彼女らが言うところの『銃』による攻撃だろうと、フリウは予測する。
 ともかく敵を見極めようと立ち上がりかけて、
「フリウ、駄目――」
 少年が黒髪を振りかざし、かかった鮮血を飛ばしながら、こちらを突き飛ばし――
「――ぁ」
 銃声。




        ○




 体当たりでフリウを突き飛ばし、一緒に地面を転がる。かつて無礼な男に捕らえられた時と同じように。
 銃声が響き、何かが高速で大気を突き破っていった。
 ……危なかった。
 安堵と同時に、怒りが生まれる。
 立ち上がり、霧の白界の先にいるはずの相手を睨む。
「なんで」
 呟きを殴るように三度目の銃弾が飛来し、霧を巻いてどこかへと抜けていく。
 四度目、五度目。銃声が連打し、同じ数だけ霧に渦を描く。その渦さえも長くは残らない。風に乱され、消えていく。
 再度、呟きを漏らした。
「なんで……」
 奥歯を噛み締める。砕けてもいいほどに噛み締めるが、痛みは来ない。
 肩に重みを感じて振り向けば、フリウが厳しい瞳でこちらを見つめる。
 足に触れたのはロシナンテ。白い毛皮のほとんどを赤く染めて、しかし気丈な瞳を向けてくる。
 その両方に頷きを返して、要は大きく息を吸い、目を閉じた。
 霧に閉ざされた白い視界から、真っ暗な闇が視界に変わる。
 天変する。
 体が変わる――人にあらざる姿へ。四足を持った獣の――麒麟の姿へと。
 霧を祓うように黒いたてがみを一振りし、フリウへと視線を向けて体を傾ける。
 彼女は驚いた様子だったが――、乗ってと一声かければ頷きを返した。
 人の重みを体で感じたと同時に、視界の隅にいた白い仔犬――仔ドラゴンの姿が変わる。ドラゴンと呼ぶに相応しい巨体へと。
 負っていたはずの傷はいつの間にか消えている。
 要は穢れ無き白色を持つ竜と視線を合わせ、同時に頷いた。首を上げ、暗くなり始めた空を見上げる。
 暗雲に包まれた空。黒の絵具を水でとかしたような曇天を仰ぎ見て、二人が飛んだ。
 飛ぶ。心地よい感覚が体を支配する。
 背には少女。隣には白竜。
 失った人はいる。もう逢えない人はいる。
 だがそれでも――
 下を見た。大地がある。街があり、森があり、川があり、海がある。それらを覆っていた霧は、いつの間にか消え去っている。
 ……なぜだろう。
 疑問はあったが、それよりも気になるものを見つけた。
 一人の男。
 見たことのある顔で、テレビに出ていた悪い人たちが持っていたような、拳銃をもっている。
 ……あれで、撃ったんだ。
 怒りが生まれた。
 が、それを動きとする前に、隣の白竜が動作で止めた。
 ……うん、そうだよね。
 やられたからやりかえす。そんな簡単な理屈ですらだれかを殺してしまえるから、あの人たちは死んでしまった。
 いのちをうばうことは、いけないことなのだ――
 空を駆ける。
 自由な空。暗い雲を抜け、欠けた月の光を浴びて、夜の風と戯れる。
 どこまでもいける――
 なんでもできる――

「――慈悲ではない。慈悲などではないのだよ」
 聞き覚えのない、闇の音色を帯びた声が響く。
 だが、それが聞こえているということが、理解できない。

「本来ならば『彼』の役目なのだがね。君の庇った少女も知る、獣の業火」

 ふと気付く。背負った少女の重さが、無いことに。
 そういえば、あの男。撃ってきたあの男に、なぜ見覚えがあったのか。
 誰だったか……

「あれによる傷は深い。正直なところ、『零時迷子』の少年には感謝している」

 ふと気付く。隣を飛んでいた白竜の気配が無いことに。
 ……思い出した。
(僕がまだ蓬山にいたころ、僕を捕まえようとした……)
 無礼な男。こんなところにまで来ていたのだろうか――

「『現実』にこんな真似をされては困るが――」

 ――そんなはずがない。
(ああ、そうか)
 認める――確かに、そんなことはない。
 そして――やはり、こんなことはない。
(命はこんな簡単に奪えてしまえるから、だから)
 自覚してしまえば、すべては終わる。あっさりと。
 空は綺麗だった。雲の上に在る、月の出る夜空。
 その夜空が、嗤う。

「――『幻想』ならば、好きに見てくれて構わないよ」


 ――だから、奪ってはならないのだ。

 空が、





        ○






 立ち上がりかけた姿勢から突き飛ばされたことで、地面を二回ほど転がった。
 回る視界の中で、フリウは見せ付けられた。
 飛んできた何かが少年の頭に直撃し、破砕する。
 少年は実は人間ではないらしいと聞いていたが、砕かれて飛び散るものは人間と大差ない。
 白い霧の中、黒い花びらに赤い花弁の花が咲く。
 鮮やかな赤色は血液。肉片が硬質さを持って地面にめり込んだのは、骨がついていたからか。散じる髪の毛は焦げてちぢれている。嗅覚を蹂躙し始めているのはその臭いだろう。あるいは、端的にいって屍臭か。
 頭が吹き飛んで生きていられる人間が――いや、生物がいるはずもない。
 今、二人が死んだ。
 頬に飛んで来た要の血を拭い取って、舐める。血の味。死の味。怒りが生まれた。証明出来ようもない怒りが。
 許せるはずがない。
 射線の先に、敵はいる。フリウは尻餅をついた体勢から起き上がり、念糸を紡ごうと集中する。
 念糸にとって距離は大した問題ではない。集中し、糸を繋げ、思念を込めれば念糸は発動する。
 例え霧に阻まれていようと、相手がいるのであれば、念糸は紡げる。
(――いる!)
 繋がったのを信じて、フリウは思念を込めた。

「っ……」

 念糸の手ごたえと同時に、かすかなうめき。
 フリウは念糸を繋いだ方角へと駆け出す。
 視界を阻む霧を煩わしく思いながら、走る。
 息は荒い。荒くすることで、不快な霧を少しでも吸い込めると信じているかのように、フリウは走る。
 と、地面から突き出た石につまづき、倒れ掛かる。瞬間、先ほどまで頭のあった位置を何かが通り過ぎていった。
「こっの……!」
 崩れた体勢を戻して駆け出しながら、再度、念糸を紡ぐ。今度は手ごたえはあっても声はあがらなかった。
 だが、どうでもいいことだった。ただ、攻撃の来た方へ、念糸を繋いだ方へと走る。
 見えたものは。
 一人の女だった。白い外套を羽織り、両腕が異様な方向へと捻じ曲がった、黒髪の女。折れた腕で、地面に落ちた銃らしきものを拾おうとしている――
 フリウはその銃らしきものに念糸を繋ぎ、捻った。人を殺す――いや既に殺した――武器が、ただの鉄屑へと変貌する。
 女の判断は迅速だった。
 折れた両腕を無視して、こちらへと飛びかかってくる。が、痛みのせいか、やはり動きは鈍い。
 蹴りが来た。怪我人とも思えない威力の蹴りを、フリウは交差させた両腕で受け止めた。
 激痛と、聞きたくない音とが響く。外側になっていた右腕にヒビが入ったのだろう。
 女は蹴り足を戻して、上に振り上げた。踵落しの初動。その瞬間に、フリウは体ごと女に体当たる。
 左半身を庇った右半身での体当たりは、当然のように傷ついた腕に響いた。
 絡み合って地面に倒れ、起き上がる前に念糸を紡ぐ。傷ついた腕の痛みが集中を邪魔するのを何とか堪えて、フリウは相手の右脚を捻り折った。もう何回目か判らない、人体を壊した手ごたえが伝わる。
 やはりうめき声はなかった。フリウは三歩を下がり、苦悶をあげる女と視線を合わせる。
「――殺すなら殺しなさい」
 言葉の裏には強さが見えた。
 四肢のうち三つまでを折られても、女の切れ長の双眸には強さが残っている。
 形の良い朱唇が言葉を紡ぐのを、フリウは他人事のように見ていた。
 自分の喉が震えて音を出すのを、フリウは他人事のように聞いた。
「殺す?」
 吐き出された言葉は単純なものだった。殺す。一線を越える。既に越えた。
 怒りのままにここまでやったが、具体的に何かをするまでは考えていなかった。
 この女を殺す。簡単なことだった。念糸で首を捻ればそれで終わる。あの水晶の剣を持った大男のように。
 破壊精霊を開放するのもいいだろう。一撃で、全てを壊す。あの赤い瞳で炎を放ってきた男のように。
 生かしておけば、また誰かを殺すかもしれないのだから。
 それとも――このまま、何もせずに立ち去るか。
 この女を殺したところで、既に殺された二人は還って来ない。それに復讐なんてものを、彼らは望まないだろう。
 生かしておいても、両腕と片足を折られた女では、誰かを殺すよりは殺される対象にしかならないだろう。
 どちらも、フリウ・ハリスコーにとって大した違いはない。
 殺すのは――賢い。ここで彼女を殺せば、この後の犠牲を減らせる。
 生かすのは――愚か。ここで彼女を生かしても、この後に死ぬ可能性が高い。
 だがどちらも同じこと。
(どっちも同じ……ことなら)
 こちらの決意が定まったのに、気付いたのだろう。女は片足を引き摺りながら、逃げ出した。その足は遅い。
「通るならばその道。開くならばその扉。吼えるならばその口」
 歩き出しながら、水晶眼に念糸を繋ぐ。口から紡ぎ出す開門式が、霧の中を滑っていく。
「作法に記され、望むならば王よ。俄にある伝説の一端にその指を、慨然なくその意志を」
 霧の中を走る女は、白い外套のせいでそろそろ姿が見えなくなってきていた。フリウは歩調を早め、女を追う。
「もう鍵は無し――」
 蹂躙するための最後の言葉を言う前に、フリウは一瞬だけ考えた。
 本当に、これを選んでいいのか。
 一瞬だけの思考は、一瞬に応えられるだけの答えしか生まない。
(――どっちも同じなら、いいじゃない)
 決め付けて、フリウは開門式の言葉を吐き出した。
「――開門よ」



「フリウしゃん駄目デシ!!」



「成れ――ぇ?」
 呼び止める声に、フリウは振り向いた。振り向いてしまった。
 破壊しか映らない水晶眼に一瞬だけ映ったのは、
「……あ」
 血塗れでこちらに向かって叫んだ白竜の姿だった。血塗れで、よろめいて、それでも生きていた彼。
 だが。

『我が名はウルトプライド――』

 音も無く現れた銀色の巨人が霧を破って拳を打ち下ろす。
 朱の混じったちっぽけな白い彼に、破壊が叩き込まれる。

『我は破壊の主――』

 その存在の生存を安堵する間もなく、破壊精霊はそれを破壊した。
 血が飛び、肉が舞い、赤黒く染まった白の毛皮が霧の中に踊る。
 その全てすら、破壊の拳が砕いていく。
 後には、破壊痕しか残らない。

『我が言葉は――』

 何も残らない。銀色の精霊が雄叫びを上げる。
「え――」
 思考が停止し、フリウは何もない場所を見続けた。破壊精霊の宿る水晶眼で。
 精霊は、何もないその場所を執拗に殴りつける。何度も、何度も。
 犯罪の痕を消そうとするかのように。
 だが、破壊精霊でそれをすることに意味はない。破壊精霊ウルトプライド。太古の魔神。強大な力しか持たないこの精霊は、破壊しか出来ない。破壊することしか。
 地面が幾重にも穿たれ、振動で霧が晴れた頃になってようやく、フリウは閉門式を唱えた。
 水晶眼ではない、何の力も持たない右目で、惨状を眺める。
 地面に刻まれた破壊痕は、墓標のように見えなくもない。
 小さく、うめく。
「そっか」
 呼気だけで放たれたそのうめきは、また視界を埋めつつあった霧の中に溶け込んだ。
 暫くしてから、フリウは虚ろを含んだ声音で言った。一線を越えた言葉を。
「同じことなら、壊しちゃえばいいんだ。全部」
 ゆっくりと、フリウは歩き出した。破壊痕を背に、何処へとも知れぬ場所へと歩を進める。
 足取りは軽い。雲の上を歩くかのように。あるいは薄氷の上か、谷間に張られた綱の上か。似たようなものだ。
 ヒビの入った右腕が痛みを訴えている。熱を伴った痛みが体を蝕んでいるのを無視して、フリウは喉を震わせた。
 口から滑り出る言葉は、なぜか自分のものではない、誰かの言葉のように感じられた。
「壊せばいい。こんなお遊びも。それに乗る人たちも」
 そして自分も。
 フリウ・ハリスコーは歩き出す。一線を越えた先を、真っ直ぐに。
 まずはあの女を壊そうと、そう考えながら。


     ○


(甘かった)
 パイフウは折れた片脚を引き摺りながら、少しでも距離を離そうと体を動かす。
 子供だから。他人だから。知り合いが死んでいたから。
 子供だから甘く見た。他人だから手加減した。知り合いが死んでいたから苦しまさずに殺してやろうと思った。
 背後から、雄叫びと爆音が響く。
 非力な子供なら殺すのは楽。
 見ず知らずの他人なら容赦する必要もない。
 知り合いが死んで哀しんでいる連中なら、その隙を突けばいい。
 だというのに――
(甘かった!)
 その代償としての負傷が、体を苛んでくる。痛み。熱。恐れ。
 気で治療すれば少しは楽になるだろうが、それが出来るような状況ではない。
(一人でも多く――殺さなければ、いけないのに)
 天然痘に冒されたエンポリウム・タウン。そして火乃香。
 他の全てを皆殺しにしてでも、守りたいと思うもの。
 連続する地響きと大気の振動に身体が共振し、折れた骨の痛みが増す。
 痛みは無視できる。それと同じように、感情を無視することも可能なはずだった。
 可能であるはずのことができない。なぜか。
(それは――)
 震動が収まった。そもそも何が起こっていたかも判らないが――恐らくは、あの少女。
 フリウと呼ばれていた少女の左眼に何かが隠されており、それが使われたのだろう。何かに。
 背を向けて逃げ出したあの時に、誰かが少女の背後に近寄っていたのは、知っていた。
 その誰かに使われたのだろう。少女の左目が。あの教会に居た『主』なる者と同じような感覚を受ける何かが。
(私は安堵してる。『あれ』が自分に使われなかったことを、安堵してる)
 『あれ』が何なのかは判らない。が、こちらの骨を三本も捻り折ってきた糸より、マシなものであるはずがない。
(――急ぐ必要がある)
 この霧では、距離を取ればそうそう見つけられたりはしないだろう。
 気配を探りながら、藻掻くように霧の中を進んでいく。
 先の見えない霧は、この状況に相応しい舞台装置だといえた。何があるか判らない。誰が死ぬかも判らない。
 もし――
(……ほのちゃんが、死んだら)
 それはありえない。あるはずがない。彼女が死ぬはずがない。
 それに、ディートリッヒとの取引の中には火乃香のことも入っている。火乃香が――考えたくないことだが――死んでしまったら、言うなりになっている必要はない。
 火乃香が死んでしまったら、自分が誰かを殺す必要はない――
「――え」
 気付いた。
 身体の違和感。理性と感情のずれ。その原因。
 火乃香の為に誰かを殺す。
 言い換えれば、その誰かが殺されるのは、火乃香の所為となる。
 間接的に、火乃香に殺人を背負わせることになるのだ。
(矛盾……だからこその迷いか)
 火乃香の為にすることで、彼女に罪を被せようとしている。
 それを拒否する思いがあったから、今、こうなっているのか。
「馬鹿な女ね、わたしは」
 自嘲して、荷物を置いてきてしまったことに気付く。
 武器といえばメス程度しか残っていなかったが、地図に名簿に時計、水に食糧。方位磁石に懐中電灯。
 そして――火乃香のカタナ。
 どれも入用なものだ。
 取りに戻ることは出来ない。もしフリウという少女に鉢合わせすれば、片脚の折れた身体でどれだけ抵抗できるか。
(進むしかないわね)
 進む。
 まずは当面の安全を確保し、傷を治療した後に、武器と物資を探す。可能ならば――反主催者で纏まっているようなグループに、無力を装って入り込む。そして頃合を見て、
「殺す」
 呟きが霧に流れる。
 それが実行できるかどうかについて、彼女は考えなかった。
 そんなことを考えても、楽しくない。


【C-2/平地/1日目・18:20】

【トレイトン・サブラァニア・ファンデュ(シロちゃん)(052) 死亡】
【高里要(097) 死亡】

【フリウ・ハリスコー(013)】
[状態]: 右腕にヒビ。
[装備]: 水晶眼(ウルトプライド)。眼帯なし 包帯
[道具]: 支給品(パン5食分:水1500mm・缶詰などの食糧)
[思考]: 全部壊す。
[備考]: ウルトプライドの力が制限されていることをまだ知覚していません。

[備考]:高里要の死体からやや離れたところに、無残な破壊痕が出来ています。
    破壊痕の近くにデイパックが落ちています。中身は
    支給品一式・パン12食分・水4000ml、メス 、火乃香のカタナです。

【C-3/商店街/1日目・18:20】
【パイフウ(023)】
[状態]:両腕・右脚骨折
[装備]:外套(ウィザーズ・ブレイン)
[道具]:なし
[思考]:1.傷の治療。2.火乃香を捜す 3.主催側の犬として殺戮を 
[備考]:外套の偏光迷彩は起動時間十分、再起動までに十分必要。
    さらに高速で運動したり、水や塵をかぶると迷彩に歪みが出来ます。

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第446話 パイフウ 第523話
第446話 シロちゃん -
第446話 高里要 -