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第421話:死色の抱擁

作:◆E1UswHhuQc

 十二時。昏倒し続けるハックルボーン神父は、朦朧とした意識の中で放送を聞いた。
 すべてを聞き終わり、失われた者達の一人一人に涙し、神父は起き上がった。
 敬虔なる神の使徒として、すべてのものに神の救いをもたらさねばならないというのに――
「十三名」
 失われた者達の人数を呟き、神父は苦悩する。
 神よ、自分に聖罰を。
 自分がいるというのに、彼らを貴方の御許へと導く事が出来ませんでした。
 膝をつき、両手を組んで神父は懺悔する。桁外れの信仰が可視波長まで及ぶ聖光効果をもたらし、周囲を浄化した。
 古傷から血が噴き出て床と壁を血に染める。聖罰を受けたのだ。
 神に栄光あれ。
 懺悔を終えた神父は、周囲を見渡した。彼を気絶させた無頼の輩は既に何処ぞへと立ち去り、少年の姿も見つからない。
 神父は一人。だがやることは決まっている。
「万人に神の救いを」
 悔いを残したまま死に、死者の魂が現世で彷徨うことのないように。
 この拳で、神のためにあるこの拳で。
 迷えるものたち全てに、救済を与えよう。
「万人に神の救いを」
 すべては神のために。アーメン。

                 ○

 歩き回った末に、神父はそれを見つけた。

「ほらミリア! 牛肉だぞ!」
「狂牛病だね!」
「鶏肉もある!」
「鳥インフルエンザだね!」
「豚肉だ! しかも無菌豚!」
「うわあそれなら安全だよアイザック! さすがだね!」
「さすがだろ! そろそろブラック達と合流しようぜ!」
「そうだねアイザック! 要は喜んでくれるかな?」
 商店街の一隅にある、無人の肉屋の店先。
 そこで商品を弄んでいる、二人の男女。
 二人の所業を見て、ハックルボーン神父は神に祈った。
 神は申された。
『汝、奪うなかれ』
 神父はのっそりと、二人の背後の立つ。と、二人のうち女の方がこちらを見つけ、
「――きゃああああああああ!!」
「どうしたミリア!?」
 悲鳴を上げた。
 鼓膜を震わす甲高い悲鳴をものともせず、神父は右の拳を振り上げる。
「あなたに神の――」
 仲睦まじい男女だったというのに、なぜ神の言葉に逆らい罪を犯すのだろうか。
 男が振り返り、こちらを見て驚愕の声をあげる。
「ひ、一人っ! ってことはグリーンが言ってたとおり、敵だな!?」

「どうしようアイザック! とうとう悪役登場だよ!?」
 怯えの表情ですがる女に、男は一本の刀を取り出して、
「心配するなミリア。この超絶勇者剣があれば、どんな相手でも真っ二つだ!」
「――祝福あれ!」
 一歩で踏み込んだ神父の右拳が、男の台詞をさえぎって左頬に直撃した。
 ごきり、という致命的な音で、男の首が不自然な角度に曲がる。首の骨が折れたのだろう。
 間髪入れずに神父の左拳が男の右頬を打つ。
 鉄壁の信仰と日々の鍛錬に裏打ちされた打撃力が、男の首をちぎりとり、肉屋の中に吹っ飛んだ。
 神父の首の根から血が吹き出し、神父の両の目から涙がこぼれた。
 苦痛の涙であり、歓喜の涙でもある。
 ハローエフェクトとRHサウンドの、光と音による昇天が迅速に行われた。不死者アイザック・ディアンといえど、魂が昇天してしまえば再生はできない。
「ア――」
 女が、がくがくと震えながら銃を抜いた。
 男の首は吊るしてあった豚肉の腸詰に絡まり、奇怪なオブジェとなっている。
「アイザックぅ―――――――!!」
 ろくに照準もつけない銃撃が、神父を襲った。
 放たれた七発の鉛弾のうち、当たったのは四発。左腕、右脚、左肩、右胸の四箇所。
 銃という武器は臓器に直接当たって破壊せずとも、その衝撃だけで人をショック死に至らせることのできる武器だ。
 だが、ハックルボーン神父の鋼の信仰心を折ることは出来なかった。
 ガチガチと、弾が切れてなお執拗に引き金を引き続ける女に近付く。
 命中した四発の弾丸は、神父の行動を妨げることにすら至らなかった。女はようやく気付いたのか、弾切れの銃を手から離した。神父は右の拳を大きく振りかぶる。
「あ、あいざっ……」
「祝福あれ」

 拳がミリア・ハーヴェントを恋人の元へ送る寸前に。
 何かに止められたように、急停止した。神父が止めたのではない。
「――だからヤなんだよ。地味すぎる」
 声は、女のもの。
 声の方を振り向けば、肉屋の向かいの魚屋の看板、“魚々っと! 新鮮組!!”と書かれたそれの上に、一人の女が悠然と立っていた。
 彼女は瞳に怒りの炎を映し、びしっと右手の人差し指で神父を指し、叫んだ。
「よくもそのバカを殺ってくれたな……『地獄の宣教師』、いや『殺人神父』!!」
 目を凝らせば、女の左手から伸びた――複数の糸らしきものが、神父の右腕に絡み付いてその動きを阻害している。
 神父は無言で、右腕にさらに力を込めた。
 異常に膨れ上がった筋肉が絃の幾本かを引き千切るが、すべてを引き千切ることはできなかった。
 だが、神父の身体は神父のものではない。すべては神のものなのだ。
 神に栄光あれ。
 熱量を持つまでに至った聖光と更に膨張した筋肉が、残っていた絃すべてを引き千切った。
「逃げたりするなよ殺人神父。地獄の果てまで追い詰めるぞあたしは」
 女の宣告に、神父は静かな視線を向けた。
 人類最強と超弩級聖人の視線が交錯し……神父は、厳かな声音で告げた。
「罪人よ。神の愛を畏れるな」
「とぁ――――っ!!」
 哀川潤は全力で跳躍した。

 跳躍の方向は、真上。上方向以外のベクトルを持たないスーパージャンプを見ても、アイザックを殺した巨漢――神父は驚きすら見せない。
 上昇限界点に来たところで、彼女は左手の曲絃糸を引いた。神父ではなくその後ろ、肉屋の看板に絡ませておいた糸だ。
 空中に居る状態でそれを引けば、身体は引っ張られて前に進む。
「ライダァ――――キィィィィック!!」
 垂直ジャンプからの飛び蹴りを、神父は両手で受け止めた。
 砲弾のような衝撃が神父の腕、胴、脚へと伝わり、踏みしめたアスファルトが砕かれた。
 神父が脚を掴もうとする前に、哀川潤は神父の掌を蹴って跳躍回避。
 無駄にムーンサルトなど決めつつ、神父から数歩離れたところに降り立った。殴り合いには邪魔な曲絃糸を外して捨てる。
 半瞬にも満たない睨み合いの後に、爆音が響いた。
 両者が渾身の力で踏み込んだ為に、アスファルトの地面が砕けたのだ。
 常人なら数歩の距離を、人類最強と超弩級聖人は非常人たる己の力を全力で用いて縮める。
 拳を振りかぶった神父と対照的に、それを紙一重で避けた潤は身を屈めて神父の懐に飛び込んだ。
 平常ならば、ガチの殴り合いだろうと哀川潤は神父に負けず劣らない。
 だが、今の彼女は右肩を負傷している。殴り合いでは分が悪い。
 ゆえに哀川潤はハックルボーン神父の拳をかいくぐり、懐に飛び込んだ。
 左の肘を突き出し、疾走の運動力と全筋力のすべてを込めて打つ場所は心臓。
「おあああああっ!!」
 咆吼と同時に打撃した。
 肉を穿ち骨を砕き臓を破る一撃が、神父をえぐった。
 それは確実に胸骨のほとんどを砕き、心臓に致命的な損傷与えた。
 だが、神父の信仰までは砕けなかった。
 血の塊を吐き出した口で咆吼を叫び、繰り出した膝が哀川潤を吹っ飛ばした。
「ぐっ!?」
 両腕を交差させてなんとかガードしたが、膝蹴りを受けた両腕の骨にヒビが入る。
 しかし痛みを堪え、体勢を立て直そうとする。だが神父が慈悲深き表情で慈悲深い拳を放とうとしている。今度は間に合わない。
 その寸前に。

 刃物を肉に突き立てた様な音が、神父の脇腹から響いた。
 そこに、ミリアが居る。怯えと怒りの入り混じった表情で、アイザックの持っていた刀で神父の脇腹を貫き、その先の腎臓へと切っ先を届かせて。
「アイザックの、カタキ」
 神父は刃を突き刺させたまま、ミリアの頭を掴んだ。
 そのまま引っ張るが、ミリアが刀を放そうとしないため、首がちぎれてしまった。
 首が取れてもミリアは刀を手放さない。神父は諦めて、取れてしまった首を放った。肉屋に飛び込んだ彼女の首が、先客の首とキスをする。
 神父はミリアの身体ごと刀を引き抜き、ふたつまとめて主のところに投げ返す。神は申された。汝、奪うなかれ。
「あなたに神の祝福を」
 聖印を切ると同時に聖光効果と神聖和音が発生。ミリア・ハーヴェントの魂を高次元に強制シフトした。
 そして。
 赤き制裁、死色の真紅、人類最強の請負人――哀川潤。
「……あたしが、このまま逃げるとは思ってないよなあ?」
 問いかける彼女の表情は、純粋な怒りに満ちている。
 神父に。アイザックに。ミリアに。自分に。主催者に。すべてのものに対する激怒の感情が吹き荒れる。
 魂消る様な激情が、赤色の恐怖がハックルボーン神父を射貫く。
「逃げるものか。逃がすものか。二人が死んだのはあたしの責任だ。守ると決めたくせに出来なかった。不言不実行なんて笑いも取れねえ」
 哀川潤の言葉を、神父は懺悔だと判断した。
 だから言った。慈愛に満ちた声音で、
「神はすべてを赦されるでしょう」
 言った直後、血の塊を吐いて神父が地に膝を付いた。
 人類最強の打撃を心臓に喰らい、腎臓に刃を突き立てられて、生きていられる人間はいるのだろうか。
 片膝付いた神父に対し、哀川潤は情けをかけない。

 アスファルトを砕く脚力で一息に間合いを詰め、位置の低くなった神父の頭蓋に飛び膝蹴りを叩き込む。
 骨の砕音で神父が大きくのけぞった。額から大量の血液を流し、ぎろりと目を剥き死色の真紅を睨みつける。
 そして神父は、脚を戻し拳打の初動に入った赤き制裁に。
「罪多き子羊よ」
 抱きついた。
「っ!? 放しやがれこのエロ神父!!」
 一瞬の驚愕の後に、哀川潤は神父の抱擁から抜け出そうと抗うが、信仰心に裏打ちされた超弩級聖人の腕力は人類最強の請負人の抵抗にも屈しない。
「神の愛は無限だ」
 神父は微笑んだ。ハローエフェクトを背後に、暖かい聖人の表情で。
「神はすべてを赦されるでしょう」
「ぐ、が、このっ……!!」

 ベア・ハッグ。

 哀川潤のみしりと鳴った骨がぼきりと泣いて折れる。
 同様に神父の骨も折れ、神父は歓喜の涙を流す。
 神の奇跡が二人の間に感染呪術的な連携を生じさせ、片方の傷を片方に返す。
 哀川潤が神父の頬を殴って頬骨を砕けば、哀川潤の頬骨も砕けた。
 ハックルボーン神父が抱擁で哀川潤の内臓を押し潰せば、ハックルボーン神父の内臓も潰れた。
 最期に人類最強の請負人が怒りの咆吼をあげ、超弩級聖人が神への祈りを叫んで――

                 ○

 商店街の片隅にある、年季の入った民家。
 そのリビングで、三人――フリウ、要、シロ――は三人――アイザック、ミリア、潤――を待っていた。
 分かれて探索している二人の様子を見に行った、哀川潤の指示によって。
 先ほどから振動――恐らくは戦闘によるもの――がしていたが、こちらまで響く大きな叫びを最後に途絶えていた。
 それから暫くしても彼女は戻ってこず、不安が蛍光灯の照らす薄暗い部屋を包んでいる。
 哀川潤が言い残した言葉を、思い出す。
『あたしが帰ってくるまで外に出るな。二十分して帰って来なければどこかへ逃げろ』
 約束の時間まで、残り一分。
 しびれをきらした要が、フリウに聞いた。
「フリウ……やっぱり、さっきの叫び声は……」
「……うん。多分、哀川さん、じゃなくて潤さんのだと思う」
 赤い彼女の名前を名字で言い掛けて、フリウは慌てて言い直した。
 この場にいないのは分かっているが、先ほど名字で呼んだときの剣幕は忘れらない。
「お姉しゃんは待ってろって言ってたデシけど……」
 シロが言い出しにくいその言葉を、やはり言い出しにくそうに言った。
「やっぱり――心配デシ」
 心配。
 彼女に――哀川潤に対し、もっとも縁のない言葉のように、フリウには思えた。
 壁にかかっている時計の針が、約束の時間を通過した。
「二十分、経ったデシ」
「……どうしようか」
 二人に答えることはせず、フリウは椅子から立ち上がった。
 食糧を入れて重量の増したデイパックを持ち、冷静に言う。

「逃げよう。二人とも、早く準備して」
「フリウ……?」
 不理解の言葉を投げる要と目を合わせないように、フリウは呟いた。
「あの人は多分……もう、来れないんだと思う」
「でも――」
 なおも言い縋る要に、フリウは叫んだ。
「どうしてわからないのよ!」
 痛くなるほどに拳を握り、肺腑の奥から空気をひねり出す。薄暗い室内の湿った空気に対し怒りをぶつけるように、フリウは怒号を発した。
「潤さんでもどうにもならない事なら、あたし達にだってどうにもならない!」
「フリウしゃん……」
「あの人は約束したのに守れなかった! ならもうきっと――」
「フリウしゃん!!」
 シロの叫びに、フリウの気勢がしぼんだ。
 ぎこちない笑みを作って、シロが言う。
「――きっと、ちょっと道に迷ってるだけデシよ」
「そう……かな」
「そうデシ。アイザックしゃんもミリアしゃんも、みんな無事デシ」
 つくった微笑を浮かべる白竜の言葉は、自分に言い聞かせているようなものだった。
 フリウはデイパックを床に落とし、椅子に座り込んだ。体重を預けられた背もたれが、嫌な軋みを立てる。
「フリウしゃん、まだ疲れてるからイライラしてるデシ。ボクが見張ってるから、二人は寝るといいデシ」
「でも……シロは」
「ドラゴンは寝溜めができるデシ。心配いらないデシ」
 いつまで寝ているのか、ということを、賢いドラゴンは言わなかった。
 三人の生死が分かる、正確な時刻まで――あと一時間三十分。
 主の居ない民家の無人の寝室に向かう途中で、フリウは小さく呟いた。

「怒鳴ってごめんね、要」
「ううん……」
 要は首を振った。動きにあわせて長い黒髪が踊る。
 力ない笑みを浮かべ、彼は顔にかかる髪をのけて言う。
「――本当は、ぼくも思ってたから」
 風が吹いたのか、木製家屋が軋み、嫌な音を立てた。
 フリウは口から出ようとする言葉を呑み込み、代わりに薄暗闇の湿った空気を吸って、大きく吐き出した。
 もうすぐ、夜が来る。
「おやすみ、要」
「おやすみ、フリウ」
 別々の寝台に入り、就寝の挨拶を交わして、二人は眠りについた。


【C-3/商店街/1日目・16:30】

【アイザック・ディアン(043) 死亡】
【ミリア・ハーヴェント(044) 死亡】
【ハックルボーン(054) 死亡】
【哀川潤(084) 死亡】

『フラジャイル・チルドレン』
【フリウ・ハリスコー(013)】
[状態]: 疲労。睡眠中。
[装備]: 水晶眼(ウルトプライド)。眼帯なし 包帯
[道具]: 支給品(パン5食分:水1500mm・缶詰などの食糧)
[思考]: 潤さんは……
[備考]: ウルトプライドの力が制限されていることをまだ知覚していません。

【高里要(097)】
[状態]:睡眠中。
[装備]:なし
[道具]:支給品(パン5食分:水1500mm・缶詰などの食糧)
[思考]:三人は大丈夫だろうか。
[備考]:上半身肌着です

【トレイトン・サブラァニア・ファンデュ(シロちゃん)(052)】
[状態]:前足に浅い傷(処置済み)貧血 子犬形態
[装備]:黄色い帽子
[道具]:無し(デイパックは破棄)
[思考]:三人ともきっと無事デシ。そう信じるデシ。
[備考]:回復までは半日程度の休憩が必要です。

【残り65人】

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