作:◆E1UswHhuQc
耳障りな放送の中にミズー・ビアンカの名を聴いた瞬間、鼓動が跳ね上がった。
「……馬鹿な」
耳がいかれたか管理者どもの虚言だろうと、思い込む。
森の中に吹き込む風が枝葉を揺らし、ざわめいた。
風が、吹いている。
虚ろなざわめきを響かせ、嘲笑うように吹いている、
「……っ!」
黙れ、と意志を込めて傍らの樹に拳を打ちつけた。だが木々のざわめきは止まらない。結局その行為は、数枚の葉を視界の中に散らせただけだった。
どうしようもない不愉快さが、じわじわと蝕んでくる。
風が、吹いている。
周囲の木々が嫌に高く見えた――まるで手の届かないところから、こちらを観察しているかのように。
いつだって――
「……いつだって、その瞬間はこともなげに訪れる……」
呟きを音に漏らして。
ウルペンは膝をついた。脱力した手が地面につき、土とは違う何かに当たる。
何気なく手にとって見たそれは、蝉の抜け殻だった。
掌中にあるそれを見て、く、と一息だけ苦笑を漏らす。
風が、吹いている。
木々のざわめきに混じって、足音が響いていた。足音の主は身を隠すことなど知らぬように、全力でこちらへ向かってくる。
叫びが来る。
「お――――!」
憤怒のこもった、雄々しい叫びだ。森の中に吹く風を消し飛ばすように、それは響いていた。
木々に邪魔される視界に、見覚えのある青年の姿が見え隠れしている。
(俺の殺した娘の身内の……庇護者か)
青年は――恐らく先ほどの連中から譲ってもらったのだろう――ナイフを一本、手にしていた。
それでいい。
胸中で呟いて、ウルペンはまだ掌中にあった蝉の抜け殻を握り潰した。
(もう……いや)
落ち葉を潰したような感触が手に来る。それは港町で――リリアという娘を殺した時の感触と似ていた。
(“また”――俺にはなにもない)
ウルペンは炭化銃を放り捨て、ナイフを手に取った。慣れた鋼の輝きが目に映り、意識を――感覚を鋭くさせる。
(俺にはなにもない)
青年との距離が近付いていた。
木々が根を張っている森の中は足場が悪い。青年は何度か根に足を引っ掛けかけるが、それを強い踏み込みでねじふせていた。
風が、吹いている。
風はこちらへ向かって吹いていた。追い風を受ける青年の足取りは森の中とは思えないほどに疾い。
ウルペンはただ黙して鋼の刃を構える。念糸は要らない。
ただ、青年との距離を測る。
(殺害を可能とするのは、すべて距離にかかっている――)
人を殺す距離。人と触れ合う距離。距離。距離。距離……
青年の表情を直視出来るまでに近付いて、気付いた。
彼の放つ怒りの半分は、彼自身に向けられている。
(奪われたのか)
直感した。それは恐らく正しいだろう。そして、奪われたものは取り返せない。
青年の叫びに呼応するように、ウルペンも口を開いた。
風が、吹いている。
口の中に吹き込んでくる風を吸い込み、それを声に変えてウルペンは叫んだ。
「決闘だ――」
馬鹿なことを叫んでいると思う。
“観客”の嘲笑を予想しつつ、ウルペンは叫びを続けた。
「――戦いを終わらせよう。二度目の最後すら奪われた俺を、逆吊りの世界から叩き落せ!」
「お――」
返って来たのは。
「おおあああああああぁっ!!」
風を噛み千切る獅子吼。
獣の絶叫だった。
「は――――!」
絶叫に絶叫で返し、ウルペンは刃を投げた。
左の胸、心臓の部位を狙ったそれは、狙いを違えず真っ直ぐに飛んだ。
なんの偶然も無ければ、刃は確実に青年の臓器へ突き刺さり、そして青年の刃がウルペンの胸に突き刺さっていたはずだった。
なんの偶然も無ければ。
風が、吹いている。
その刹那、一際強く吹いた風が青年の身体を圧し、それによって青年の足取りはわずかに崩れた。
青年の足は木の根に取られ、彼は体勢を崩してこちらに倒れこんだ。
偶然によってウルペンの刃は青年を超えて樹に突き刺さり。
「……これが」
青年の刃は、ウルペンの左肩に突き刺さった。
即座に馬乗りになって拳を振りかぶる青年に構わず、ウルペンは絶叫した。
「これがお前の結果か――――!?」
拳が頬を打った。頭蓋を揺さ振る打撃に意識が弾ける。
と――
ぼやけた視界に、火が映った。
人の頭ほどの大きさの火球。死んでからの記憶にある炎と、酷似している。
(あの娘の……術か)
炎。イムァシアを滅ぼした炎。帝都を滅ぼした炎。殺人精霊の炎。絶対殺人武器の炎。
それらを思い浮かべながら、ウルペンは嘆息した。まだ、意識が揺れている。
(確かなものなどない。帝都は崩壊した。俺は一度死んだ。ミズー・ビアンカも死んだ)
火球が迫る。己を焼き尽くすであろうそれを、静かに――待ち望む。
(流す涙も、遺す言葉もない)
揺れていた意識が纏まり、暗闇の静謐さを取り戻す。
風が、吹いている。
忌々しい風は、まだ吹き続けていた。
火球の熱波が肌を焦がすほどに近付いたその時、
「――アリュセ!」
頬を打つ音が。
「…………!?」
自分を焼き尽くすだったはずの火球は左肩に直撃し、焼き落とした。
それだけだった。
まだ終わっていない。
「……なんだと」
気絶するはずの激痛すら、感じなかった。
脱力した身体で、樹に寄りかかるようにして立ち上がる。
青年の方を見て――状況を理解する。
(俺を殺そうとしたあの娘を……止めたのか)
殺人者にはしたくなかったからだろう。
娘は頬を打たれた衝撃で術の制御を失い、命を奪うはずの術で左腕だけを奪っていった。
「これが……」
口から零れた声は、震えていた。
爪が皮を突き破るほどに拳を握り、ウルペンは叫んだ。
「これが貴様の偶然か」
薄闇の森の中を、どこともしれないところにいるなにかへと、叫ぶ。
「まだ……続くのか、アマワあぁっ!」
その絶叫を最後に、零れるものはなくなった。
風が、吹いている。
奥歯が砕けるほどに噛み締め、指がへし折れるほどに樹を掴む。
「いいだろう。続けてやる……お前の好むように、このゲームを引っ掻き回してやる」
「――待て」
踵を返した刹那、右の肩を掴まれた。
「行かせねえよ。アリュセを人殺しにはさせねえが、……俺ならいい」
「――お前には」
「あ?」
ウルペンは青年の目を見据えて、問いを放った。
「信じるに足るものが、あるか?」
「ある。俺のオンナだ」
青年の即答に苦笑を浮かべ、ウルペンは言った。心の底から。
「それは、――幸いなことだな」
「ああ」
肩を掴む青年の手に、力が入った。
見れば、青年のもう片方の手には、先ほど投げて外れたナイフが握られている。
青年の背後には、青くなった頬を押さえた娘が、視線に殺意と憎悪を込めてこちらを見ていた。
風が、吹いている。
風を受けながら、青年が言う。決意の表情で。
「――ソイツのためにも、お前みたいなのは生かしちゃおけねえ」
「一つ、言っておく」
青年の持っていたナイフはウルペンの左肩とともに失われている。
ウルペンは生気の失せた顔で、青年に告げる――
その刹那。
青年の背後で頬を押さえている娘が、叫んだ。
「糸が――!」
「念糸能力者とは、片腕を失った程度で無力になるものではない」
娘の叫びに青年が反応するよりも早く、既に繋いでいた念糸に思念を通した。
「がァ――ッ!?」
一瞬で脱水症状を起こして膝を付く青年に踵を返し、ウルペンは疾走した。
「――逃がしませんの!」
その背に向かってアリュセが放った火球は、木々に阻まれてウルペンにあたる事無く爆裂した。
彼女は木々の合間を縫うように狙ったが、折り悪く吹いた風がそれを邪魔したのだろう。
風が、吹いている。
二人の視界から抜け出す前に、ウルペンは呟いた。
「――チサト。だったな」
『――――!?』
声にならない疑問の意思を肌で受け止め、呟きを続ける。
「お前の幸いは、俺が奪う」
呟いた言葉は、風に流されて二人に伝わった。
風が、吹いている。
【G−3/森の中/1日目・12:24】
『覚とアリュセ』
【出雲・覚】
[状態]:左腕に銃創あり(出血は止まりました)
[装備]:スペツナズナイフ
[道具]:デイバッグ(支給品一式)/うまか棒50本セット/バニースーツ一式
[思考]:ウルペンを追う/千里、ついでに馬鹿佐山と合流/アリュセの面倒を見る
【アリュセ】
[状態]:健康/気絶中
[装備]:なし
[道具]:デイバッグ(支給品一式)
[思考]:ウルペンを追う/カイルロッドと合流/覚の面倒を見る
『ウルペン』
【ウルペン】
[状態]:左腕が肩から焼き落ちている。行動に支障はない(気力で動いてます)
[装備]:なし
[道具]:デイバッグ(支給品一式)
[思考]:チサトの殺害。
『血を分けた者の死神と』で名前を聞いていた、ってことで。
でも容姿知りません。
←BACK | 目次へ (詳細版) | NEXT→ |
---|---|---|
第359話 | 第360話 | 第361話 |
第325話 | ウルペン | 第369話 |
第325話 | 出雲覚 | 第423話 |
第325話 | アリュセ | 第423話 |