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昭和12年12月 独立軽装甲車第二中隊
中隊長 藤田實彦少佐

2005年6月28日 完成


 とりあえず、大学の図書館で藤田中佐(南京戦後に昇進)の著作を入手してきました。こんなレアな本がごろごろしているっていうのが、うちの学校の良いところですわ。東京日日新聞社、大阪毎日新聞社の連名で、昭和15年に発行されたこの本は、当時90銭でした。

 何せ古い本なので、印刷技術も悪くて鮮明な写真が少なく、藤田少佐の顔の参考になりそうだったのは、以下の2つだけ。しかし、この本から判ったのは、藤田少佐は無精髯がボウボウだったということ。

 ファインモールドの説明書には、「『プロペラヒゲ』の各部部隊長」と書かれていますが、そんなオシャレなものではなかったようです。本書95ページ以降には、「鬚を残した理由」と題して以下のようなことが書いてあります。

「北支に上陸した当時からそのままだつた自分の無精髯は、ボウボウとのびて今や山男そのままといふ恰好になつた。上海方面に行くには北京、天津などを通るといふので、兵隊たちは髯を綺麗に剃つたりしてゐたが、自分は上海方面の部隊は毎日毎日苦戦をしてゐるだけに相当戦闘に慣れてゐるに違ひない。そこへ髯も何もない自分たちが行つたら、戦さの新米が来たとして馬鹿にするかもしれない。―――さう思つて自分はわざと髯をのばしたままで行くことにした。」

 ファインモールドの説明書にあった難波軍曹が敵前で戦車の上に腰掛けたまま前進したという話や、宮川小隊がミドリ筒や射撃で南京城壁外の敵を掃討した話なども、この本に詳しく載っていたので、あるいは参考にして解説を作ったのかも知れません。

(『戦車戦記』は、後日楽天フリマで1,000円で入手できました。よその古本屋では、5,000円以上の値段がついていたりするのですが。)

 本書の扉絵より。戦車に関しては素人の人が書いたと思われ、九四式の描写力に問題がありますが、どうやら髯ボウボウだったということはわかります。というか、正面の写真がなかったんです・・・。

 唯一あった、鮮明な写真。横顔ですが。

 藤田隊長は相当の強運の持ち主だったようで、夜間無灯火で行軍中に戦車ごと谷底に転落したときは、ちょうど発熱していたために、ハッチをしめて戦車の中でうとうとしていて助かったとか。外を監視していたら間違いなく首がもげていたでしょう。しかも無傷だったというのは驚きです。
 湖州の戦闘では、乗っていた乗用車が敵の急襲を受け、大急ぎで下車した本人は無傷。乗用車には30発以上の弾痕があったといいます。後で調べてみると、軍刀の柄、長靴、軍衣にも弾丸がかすっており、成田さんのお守りは真ん中を打ち抜かれていたといいます。

 薀蓄はこの辺にしておいて、実際の製作なんですが、ファインモールドの戦車兵セットから昭五式軍衣の将校をチョイスし、これを髯ボウボウに改造することによって再現しようかと。色々調べた割には適当だなぁ(汗)

2005年6月13日

 藤田少佐、組み上がりました。私の場合、フィギアを作るときはパーツの合いを重視するので、塗装前に首以外のほとんどのものを組み上げています。腕を塗装後につけると、不自然な継ぎ目ができてしまいます。一応そこは、服の縫い目ある場所なんですが、それにしては深すぎますしね。今回は首と胴が最初から繋がっていたので、こんな感じです。

 戦車帽や、階級章辺りを、デザインナイフで彫りなおした後、ラッカーパテで髯を追加しました。私はラッカーパテ愛用者なので、フィギアの改造もほとんどラッカーでします。練ったりとか、面倒な手順もいらないので、小改造が手軽にできます。適当に盛ったあと、溶きパテを表面に塗って整えています。髯表面のモールドは、エッチング鋸を使用してつけています。

 拳銃を身体に結んでいる紐は、刺繍糸で追加しました。ぬいぐるみとかを作る趣味もあるんで、刺繍糸持ってるんすよ(笑)最初はテグスで作りましたが、硬すぎていい質感が出ませんでした。

 苦心の力作、軍刀吊。0.3ミリの真鍮線を気合で曲げて、金具を作成しました。一応、本物同様に金具2個で繋いであります。ベルト側の金具は力尽きて省略(汗)ベルトは、エバーグリーンのプラペーパーです。流し込み接着剤を表面に塗って、やわらかくなったところをしならせました。流し込みは、プラを溶かす力が強いので、面白いくらいにふにゃふにゃになります。

 戦車帽は、サイドに空気孔の開いた夏用になっています。南京攻略は12月なので、冬用の軍装にしなければいけないかも知れませんが、そこまで大々的に改造する自信がなかったので。しかし、当時の写真を見ても、そこまでモコモコに着込んでいた様子は見られませんでした。上の「南京城壁に立つて激闘の跡を語る著者」というのも軽装ですし。まぁ、南京攻略前の、10月、11月頃の姿ってことで勘弁してください。

 で、また最後に薀蓄なんですが。

 マレーのジットララインを突破した、戦車第一連隊、第三中隊、第一小隊長だった寺本弘さん(タミヤの九七式にある「志11」のマーキングの戦車です)が書いた『戦車隊よもやま物語』の中で、藤田實彦少佐(もうこの時期には大佐に昇進していますが)に関する記述を見つけました。マレー攻略の偉業を達成した、向田宗彦大佐の後任として、昭和17年7月、藤田大佐は戦車第一連隊長に就任しました。つまり、寺本氏は藤田大佐の部下として勤務していたわけです。寺本氏による藤田大佐の髯に関する記述を抜粋してくると、

「『伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ。藤田連隊ひげでもつ』当時、替え歌で歌われたほど立派なひげが、連隊長の顔の半分を占領していた。」
「長岡将軍の『カイゼルひげ』と聖徳太子の『あごひげ』を巧みに組み合わせたようなひげだった。そのひげは、接する人、またはその時期や場所によっては恐ろしく見え、滑稽に見え、懐かしくも見えたものだった。」
「連隊長はまた、まるで忍びの者のように、ひげの形状と服装を変え、あるときは満人の好々爺に、あるときは中国の要人風に、まったく変幻自在に姿を変えて活躍した。」


 以上の記述と、私の勝手な想像により、藤田實彦少佐の髯は決定されました。後は、綺麗に塗れれば・・・

2005年6月18日

 塗装が終わりました。顔は油彩、服の基本色はタミヤアクリル、陰影はタミヤエナメルで描いています。まだ接写すると微妙ですねぇ。

 藤田少佐は歩兵科出身の将校なので、襟の兵科色は赤で塗装しています。そのまま塗ると、くすんだ赤になってしまうので、下地として白を塗ってから赤を塗っています。少佐の階級章も、根性で塗りました。

 防塵眼鏡のレンズ部分は、仕上げのつや消し塗装終了後に、透明エポキシ接着剤を塗ってみました。光が当るとぴかぴか光ります。

 背面より。手の指が微妙なのは見逃して〜〜

 軍刀は、結構いい感じに仕上がったとおもいます。頑張って作った刀吊の金具もいいアクセントになりました。

 中隊長の凛々しいお姿。あとは愛車とともにベースに固定したら、終了。

2005年6月28日