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タブーを犯した英雄たち

H14.3.31
安澤出海
 タブー(禁忌)を犯してはならない。これは当たり前の話である。現実の社会で、殺人、食人、近親相姦などのタブーを犯せば、その人は社会的制裁を受けなければならない。
 では、物語の世界ではどうであろうか。
 神話に例を求めると、イザナキの黄泉の国の訪問が挙げられる。火の神を産んだ時に追った大火傷がもとで死んだイザナミを迎えに行くため、イザナキは冥界(黄泉の国)へやって来たが、宮殿の戸を隔ててイザナミが、
「黄泉の国の神と相談してくるから、中に入ってこないで下さい」
 と言った。ここにタブーが発生したのである。
 しかしイザナキは堪えきれずタブーを犯してしまい、その結果、怪物に追いかけられ、離婚という悲劇へとつながるのである。
 又、ギリシア神話のオルフェウスの冥界訪問でも、オルフェウスは、振りかえってはならないというタブーを破ったために、最愛の妻を失った。
 又、旧約聖書で、ヤハウェがソドムの町を滅ぼす時、そこから逃れる者たちに、振りかえってはならないというタブーを与え、これに背いた者は石になった。
 他にも、現代社会でもタブーとなっている近親相姦を行った場合でも、アミ族や苗族などの兄妹婚(姉弟婚)の伝承では、二人の間に不具児が生まれている。この際、大抵は近親相姦をおこなったからそうなったのだと説明される。
 一方、昔話でも、「見るなの座敷」や「雪おんな」などがある。こうした例は枚挙に暇がない。
 では、英雄の場合はどうであろうか。
 人間は無論のこと、神様でさえもタブーを犯せば、破局、破滅、マガゴトは免れ得ないのである。半神的存在である英雄でさえも、この範疇に漏れない。
 アイルランドのクーフリンは、犬の肉を食べてはならないというタブーを犯したために力を失ったし、イスラエルの神将サムソンは、髯と髪の毛を切ってはならないというタブーを犯し(というより、寝ている間に切られたのだが)、持ち前の怪力を失ってしまい、両者共に哀れな結末を遂げている。
 一方、ヤマトタケルはどうであろうか。
 ヤマトタケルも、クーフリンやサムソンと同様、異常な力(筋力とは限らない)を持ちながらも、最後は悲劇的な結末を迎えている。
 ならば、ヤマトタケルも、何らかのタブーを犯したのだろうか。
 実は犯しているのである。
 東征からの帰路、ヤマトタケルは尾張のミヤズヒメと結婚したのだが、この時ミヤズヒメは生理中であった。
 神道の思想によると、生理中の女性は穢れた存在である。これは、穢れたものとして忌み嫌われる、血が出るからである。(ちなみに、生理が終われば、穢れた存在とはみなされない)
 しかるにヤマトタケルは穢れた状態の女性(ミヤズヒメ)と交わったために、ミヤズヒメの血のケガレを受けてしまったのだ。(※1)
 生理中の女性と交わってはならないというタブーは記紀に記されているわけではないが、慣習としてタブー視されていたものなのであろう。
 では、なぜ彼らはタブーを犯したが為に力を失ったのか。
 ここでインドの神話を一つ紹介しよう。
 ラーヴァナ王の息子・メーガナーダである。メーガナーダはシヴァから怪力を譲り受け、ブラフマーから永遠の命を授けられた、ラークシャサ族の英雄(神話では、神々に敵対する悪役だが)である。
 さて、ラークシャサ族とラーマの軍が戦争をしていたときのことだ。
 騙された怒りに燃えるラクシュマナはメーガナーダの陣営を急襲した。この時、運悪くメーガナーダは祭祀の最中だった。たとえどんな理由があるにせよ、祭祀を中止することは神々に対する最大の侮辱である。こうした事態が起こると、神は祭祀の主催者に罰を与えた。メーガナーダが祭祀を中断させるような事態に陥れば、神々から授かった恩恵はすべて消滅してしまうのだ。シヴァ神から授かった怪力や、ブラフマー神から授かった”不死”までも。
 急襲を受けたメーガナーダは祭祀を中断せざるをえなくなり、その結果として神々の恩恵をすべて失ってしまい、ラクシュマナの軍勢に討たれたのである。

(蔡丈夫『インド曼陀羅大陸』新紀元社)

 ここでは、祭祀の中断がタブーと設定されていると同時に、英雄がもつべき超人的な力が、神授によるものだと、はっきりと打ち出されている(サムソンも同様だが)。そしてタブーを破ると、神々が罰として、そうした力を奪ってしまうのである。
 ヤマトタケルやクーフリンもまた、同様であったかと思われる。
 日本の神々はケガレを忌み嫌うから、血のケガレを受けたヤマトタケルを、穢れた存在として見放すのも頷けるのである。
 そして、彼らは力を失ったあとでさえも、周囲から英雄として力を発揮するよう求められ(怪物を倒してくれ、困難な冒険をせよ、といったような事。とかく英雄は頼りにされるのだ。)、彼らもその期待に答えようと思い(これをピグマリオン効果という)、結果、以前はできたであろうが今は不可能になった事に挑み、無理をして身を滅ぼすのである。

※1.無関係かもしれないが、モーセの律法に「月経の汚れを持つ女性に近づいて、これを犯してはならない。」(『旧約聖書』「レビ記」18.19)とある。(H15.9/30追加)
参考文献
蔡丈夫『インド曼陀羅大陸』新紀元社
『新訂 古事記』角川文庫
吉田敦彦『日本神話の源流』講談社
渋谷昌三『心理学雑学辞典』日本実業出版者
『聖書 旧約聖書続編つき』日本聖書教会

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