危険と苦痛の痛ましいばかりの有様を目にするとき、ややもすれば感情が知力にもとづく確信に打ち勝ってしまう。あらゆる現象が混沌たる姿を示しているなかでは、深い、明瞭な洞察はきわめて困難であって、その変更はやむをえないことであり、許さるべきことでもある。そこでは、いっさいの行動が暗中模索によって行われなければならぬ。そういうわけで、戦争ほど意見の相違のはなはだしい活動舞台はなく、たえずさまざまの印象が流れてきて、最初の確信をくつがえそうとする。最大の粘液質をそなえた知力もこれに抗しえないほどである。というのは、これらの印象はあまりに強烈で、あまりになまなましく、しかもそれが一束となって感情に向かっておしよせてくるからである。(クラウゼヴィッツ『戦争論』P86) |