『猫』の夢
〜フロイト的解釈を施す〜
2002.1/26 安澤出海
『吾輩は猫である』第八章で猫が見た夢について、自分なりに少し考えてみた。
かの猫は、こんな夢を見たという。
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ある日の午後、吾輩は例のごとく縁側へ出て午睡をして虎になった夢を見ていた。主人に鶏肉を持ってこいと言うと、主人がへえと恐る恐る鶏肉を持って出る。迷亭が来たから、迷亭に雁が食いたい、雁なべへ行ってあつらえて来いと言うと、蕪の香の物と、塩せんべいといっしょに召し上がりますと雁の味がいたしますと例のごとくちゃらッぽこを言うから、大きな口をあいて、うーとうなっておどかしてやったら、迷亭は青くなって山下の雁なべは廃業いたしましたがいかが取りはからいましょうかと言った。それなら牛肉で勘弁するから早く西川へ行ってロースを一斤取って来い、早くせんときさまから食い殺すぞと言ったら、迷亭は尻をはしょって駆け出した。吾輩は急にからだが大きくなったので、縁側いっぱいに寝そべって、迷亭の帰りを待ち受けていると、たちまち家じゅうに響く大きな声がしてせっかくの牛も食わぬ間に夢がさめて我に帰った。(夏目漱石『吾輩は猫である』角川文庫)
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フロイトは、夢は「ある(抑圧された)願望の、充足である」(『夢判断』)と言った【注1】。苦痛を伴う夢の場合など、必ずしもその通りではないにせよ【注二】、この夢の場合、単純に当てはまると思われるので、これに従って考えを進めてみることにする。
では、この夢が猫の願望を充足するものだとしたら、猫の願望とは何であろうか。
一つは、「虎になっ」て周囲の人間を威圧し、支配することである。この願望は、アドラーの説く「力への意志」(他者よりも優越していたい思う気持ち)を如実に表しているといってよい。尚、この種の願望は、誰にでもあるものであって、何も特別な人間に限られたことではない。学生は学「力」を高めるために勉強し、政治家は権「力」を獲得するために政治闘争をするし、商人は財「力」を得るためにお金を稼ぐのである。猫の場合、虎のような強大な存在となって、主人や迷亭に命令できる「力」を持つことを意味している。
もう1つは、うまいものを食べることである。この猫にとって、うまいものとは、「鶏肉」「雁なべ」「牛肉」であった。但し、こちらは充足を得る前に外的な要因によって夢が終わってしまった。尚、「うまいものを食べたい」という願望に関しても、「力への意志」と同様、何ら特別な願望ではない。うまいものを食わせる店が繁盛したり、それらの店を紹介する雑誌やテレビ番組が跡を絶たないのも、そうした願望の根強さ、広汎さを示している。
尚、迷亭に「食い殺すぞ」と脅しをかけたのは、食い殺すという口唇サディズム的な欲求を表すとともに、脅しによって相手を支配しようとする、「力への意志」が感じられるのである。
ちなみに、猫にとって、これら二つの願望は日常生活において、共に抑圧されている。
何しろ、また、猫の世界において、敬意を払ってくれるのは三毛子ぐらいのもので、その三毛子さえも儚くなってしまった。又、人間の世界においても、この猫は居候であり、しかもタダでメシを食わせてもらっている。主人からはバカヤロウと怒鳴られ、下女からは嫌悪・無視され、子供たちからはおもちゃにされているのである。おまけに、第五章では、鼠を捕らないというのであやうく猫鍋に料理されそうになったほどである。
要するに、一番弱い立場に立たされているのだ。しかもその一番弱い立場でさえも、食べられそうになるほど脆弱なのだ。
このような立場に居たのでは、優越したいという願望も、うまいものを食べたいという願望も、叶うはずがない。しかも猫はその状態に忍従しなければならないのである。
そこでこれらの願望は解消されることなく無意識に沈むことになる。自我がこれらの願望を抑圧して意識から締め出し、上がってこないようにするのである。そして無意識に沈んだこれらの願望は消えることなくとどまり、表に出る機会をうかがうことになるのである。
自我の拘束力が強い時は無意識に沈んだものが出てくることはないのだが、これらの力が強くなった時、あるいは自我の力が弱まった時などは、ひょっこり顔を出すのである。
猫の場合は、後者、即ち自我の拘束力が弱まった状態であったといえる。睡眠状態になると、自我の拘束力が弱まり、(そもそも夢の世界では、現実には決して起こり得ないことが平然として起こる事があり、このことは自我の持つ「常識」と呼ばれる検閲機能が低下していることを表しているのである。)意識と無意識との境界があいまいになるので、無意識に抑圧されていた願望が浮かび上がってきて夢の中に現れ、夢の中で願望を満たそうとするのである。
最後に蛇足ながら、「たちまち家じゅうに響く大きな声がして」について説明するが、これは現実世界の主人の怒鳴り声が夢の世界に反映されたためであると思われる。
【注1】『ユング心理学入門』によると、ユング心理学の立場では、夢を@単純な補償A展望的な夢B逆補償C無意識の心的過程の描写D予知夢E反復夢、と分類している。
【注2】夢の作業が願望充足を作り出すのに不成功だった場合、夢の思考の中の苦痛感の一部が顕現夢に出てくることがある。感情は、通常、頑強なことが多く、夢の作業にとっては内容の意味を変えるよりも、感情の意味を変える方が、はるかに難しい。そのため、苦痛感が残ってしまうのである。(『フロイト精神分析入門』72頁)
参考文献
『フロイト著作集 第二巻』「夢判断」高橋義孝訳 人文書院
河合隼雄『ユング心理学入門』培風館
小此木啓吾・馬場謙一編『フロイト精神分析入門』有斐閣新書
(後書き)まあ、このような解釈も成り立つのではないかということで、勢いに任せて書いてみました。
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