『日本永代蔵』心理学考「序」
『日本永代蔵』とは、井原西鶴が著わした経済小説であるが、ただの経済小説ではない。「日本小説史上、はじめて本格的に経済生活をあつかった作品」(※1)であるのみならず、「移り変り易い人の心の欲を、あるがままの姿で眺め、肯定的に捉えようと」(※2)して「真に『人間の生態』をリアリスティックに描き得た」(※3)作品なのである。
ここに描かれた人間描写を、心理学で読み解いてみるとどうなるであろうか。
この事を卒論のテーマとして岡田教授に打診した所、「いいんじゃない?」との返答とともに、『日本永代蔵』を心理学で読み解いた論文は塚本嘉寿「心理学から見た西鶴作品」(※4)ぐらいしかないとの情報を頂いた。
それによると、「そこに登場する人物は近代的な意味での個性描写に基いて造形されているわけではない。それ故に彼らを心理学的に分析することは著しく困難である。」(※5)とあり、又、「登場人物それ自体ではなく、一連の人物群に通有されている行動原理のいくつかのパターンを心理学の立場から検討する」(※6)として、クレッチマーの分類法を用いている。
確かに全体的に論じることは困難かもしれないが、丹念に読んでみると、個別のケースに分解して扱うのであれば、全てではないにせよ(※7)、心理学で読み解く事は可能であるとの感触を得た。そういった箇所を一部分ではあるが、これから論述してみることにする。
尚、心理学にも色々あるが(※8)、ここで用いるのは主にフロイト心理学とユング心理学とし、それ以外にもその他の心理学を持ち出すことにする。又、必要に応じて心理学と他の学問との境界線上に位置する分野や心理学以外のものも柔軟に取り入れる。
そして、『日本永代蔵』を心理学で読み解くという、先行研究が殆どと言ってよい程存在しない為、自らがフロイト心理学やユング心理学などによる解釈を施したものを先行研究に代えて、その上で自分自身が取るべき立場を明らかにする、というスタイルをとる事にする。
尚、底本は浮橋康彦・編『日本永代蔵<翻刻>』(※9)とする。本文の引用は全てこれである。
※1.大久保忠国・興津要・小池正胤 『西鶴作品選』P77 H11.5/10 おうふう
※2.浅野晃・著「『本朝二十不孝』から『日本永代蔵』へ」P334『西鶴論攷』 H2.5.12 勉誠社
※3.浮橋康彦・編 『日本永代蔵<翻刻>』P16 H7.4.10 おうふう
※4.塚本嘉寿 「心理学から見た西鶴作品」『西鶴新展望』 H5.8.30 勉誠社
※5.※4に同じ。P349
※6.※4と同じ。P349
※7.三十話全てをカバーするのは時間的にも物理的にも無理があると思わざるを得ない。又、例えば巻一ノ四「昔は掛算今は當座銀」はストーリーらしいストーリーがなく、心理学の分析には向いていないだろう。
※8.私の知っている限りでは、本文で挙げたもの以外にも、森田心理学、アドラーの個人心理学、児童心理学、行動心理学、犯罪心理学などがある。
※9.※3に同じ。
※10.
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