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日本永代蔵巻二ノ三心理学考 〜犬肉の薬効〜
安澤出海 H14.9/29
 新六は犬の黒焼きを「狼の黒焼」と称して売った。これは羊頭狗肉のごとき詐欺行為になる。『日本永代蔵』(※1)の頭注によると、「狼の肉は寒疝冷癪の病に効果がある」のだが、新六の売った犬肉では効果がないのだろうか。
 普通に考えるならば、こうなるかもしれない。「嘘偽り・詐欺なんだから、効くはずがない」と。しかしながら、私は案外効くのではないかと考える。それは以下の二つの理由によってである。

1.犬と狼との近似性
 医学的な事はよくわからないが、おそらくは狼の肉に含まれる何らかの成分が「寒疝冷癪の病」に治癒的な効果(体温上昇や血行促進など)をもたらすのであろう。
 ところで狼と犬は、生物学的には非常に近く、混血が可能なほどである。従って、体内の組成分も非常に類似、もしくは全く同等のものであろう。その為、犬肉は狼の肉とほぼ同等の効果をもたらすものと思われる。

2.プラシーボ効果
 プラシーボ(placebo)とは偽薬の意。
 医者が患者に、「この薬はよく効きますよ。」と言って益にも害にもならない偽薬を処方する。患者はよく効くと信じて服用したところ、本当によく効いた、という事がある。これをプラシーボ効果という。信じるという心の働きが身体に作用したのであり、まさしく「病は気から」を如実にあらわしているといえる。
 ところで、犬の肉を「かたられて」買った者たちは、それが狼の肉であり、薬効があると信じている。そもそも、信じなければ買わないからである。
 そうして信じて買って服用した者に、プラシーボ効果が起こりうる(※2)ものと思われるのである。
 尚、プラシーボ効果に疑問を持たれる方もいるかもしれないが、これは「ほとんどどんな種類の治療にも有益な心理学的反応」(※4)なのである。

 以上の二点から、私は、新六が売った犬肉はそれなりの効果があったのだろうと推測する。

 なお、机上紙上の論に飽き足らず、犬の黒焼きが実際にどのくらいの効果があるのかを知りたい場合は、科学的な検証を行なう必要がある。
 まず、犬の黒焼きを、文献に基いて忠実に再現する。
 次に、「寒疝冷癪の病」を持っている患者たちに、狼の肉がどのような薬効を持つのかを説明する。これは、実験に協力してもらっている患者たちに、インフォームド・コンセントを行き渡らせると同時に、当時の知識を持ってもらう為にも、必要な事なのである。ただし、文献と同じく、投与される薬は「狼の黒焼」であると説明する。
 そして、患者たちを二つのグループに分け、一方のグループには真薬(犬の黒焼き)を、もう一方のグループには毒にも薬にもならない偽薬を投与する。なお、患者たちにはどちらのグループに真薬が投与されているのか知らされない。又、患者と接触する機会の多い、投与する医者にも知らされない(二重盲検法)。これはプラシーボ効果をあぶり出す為に行なうもので、もし両グループが同程度の治療効果しかないとすれば、その薬はプラシーボ効果しかないものと見てよい。もし真薬のグループの治療効果が偽薬のグループのそれを上回っていたら、その上回っていた分が、その薬の本当の(物理的な意味での)効果なのである。
※1.浮橋康彦・編 『日本永代蔵<翻刻>』 おうふう H7.4.10 P71
※2.ちなみに、『実例 心理学辞典(新訂版)』(※3)には、「プラシーボを投与することが、やぶ医者やいんちき医者にとっては金の成る木だった。」(P123)と述べられているが、新六はさながら、いんちき薬売りであり、犬の黒焼は金の成る木だったといえるだろう。
※3.フランク・J・ブルノー著 安田一郎訳 『実例 心理学辞典(新訂版)』 青土社 1996.2.1 P213
※4.※3に同じ。P213

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