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影(Shadow)

 シャドウは、個人的影普遍的影とに分類される。個人的影とは、「その個人の意識によって生きられなかった半面、その個人が認容しがたいとしている心的内容であり、それは文字通り、その人の暗い影の部分をなしている。」(河合隼雄『ユング心理学入門』)また、普遍的影とは、人類に共通して悪とされている心的内容である。

特徴

当人にとっては、嫌なものである。
 影は自我の体系からはじき出され、抑圧されたものであり、それを自我意識が受け容れる事は、自我の価値観の体系を破壊する事になるため、当人にとっては、認識する事さえも忌み嫌われるものであり、出来る事ならば影との接触・対決を避けようとする。また、避ける手段として、自分の影を外界の他者に投影して、その人を嫌うという方法がよくとられる。
当人とは正反対の性格を持っている。
 例えば、おとなしく育てられた者が自己の内にある攻撃性を抑圧して、その攻撃性が影となる、というように、その人の半面が影となる。従って影の性格は、その人の性格とは正反対になるのである。
原始的で暗い
 影は劣等で扱いにくく、意識のように光が当てられていないため、原始的・情動的・脅迫的で社会に不適応であり、一種の自律性を有し、所有欲が強い。又、道徳の影響を殆ど受け付けない。
統合すれば人格の発展につながる。
 影は否定的な側面ばかり持っているわけではない。その人の一面的な生き方を修正する役割をも持っている。影との共同作業に成功すれば、その人の心は奥が深い、味のあるものとなるだろう。
抑圧すればするほど強くなる。
 影の存在を否定すればするほど、又、それが頑強であればあるほど、影の闇は深く、強くなる。強くなりすぎて自我の力を超えれば、遂には自我にとって代わって勝手に動き回るようになる。

表象としての例
個人的影…ハイド(『ジキルとハイド』)、二人兄弟(グリム童話「二人兄弟」)
普遍的影…鬼、悪魔、ルシファー(キリスト教)、アーリマン(ゾロアスター教)
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