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永遠の少年(puer aeternus)

 ギリシアのエレウシスの秘儀の童神イアッコス(Iakchos)に因んでつけられた。

 「永遠の少年」は成人することなく死に、グレートマザーの子宮の中で再生し、少年としてふたたびこの世に現れる。「永遠の少年」は決して成人しない。英雄であり、神の子であり、グレートマザーの申し子であり、トリックスター(いたずら者)であり、そのいずれにも成り切らない不思議な存在である。(河合隼雄『母性社会日本の病理』P35〜36)
林道義『日本神話の女神たち』文春新書 H16.9/20(P167)
「永遠の少年」というのは一口で言いますと、この世の現実から逃げている心理です。現実と対決しないで、現実というのは汚いものだと、大人の世界はごまかしばかりなんだと言って、現実のなかで生きることを放棄している。そしていつでもこの世からおさらばしていいのだと、今の姿は仮の姿なのだからというようなことを言って、自分は非常に高等で清潔なすばらしい存在だというふうに見ている。けれども結局は何もできない。永遠に純粋で清らかな少年でいたいのだという心理を表わしています。そういう少年は結局英雄になることができない、つまり母なる無意識から自立した大人になることができないわけです。

特徴
心は少年のまま
 たとえ肉体的には成人していたとしても、心は未熟な段階にとどまっている。「いまだに」心が成熟していないのである。
母親との心理的結びつきが強い
 いわゆるマザコンである。精神的には子供なのだから、母親離れが出来ていないのは当然といえば当然である。尚、結びつきの対象は実の母親だけに限られるものではない。「母親代理」「母なるもの」も含まれる。
 ちなみに、この特徴の表象には大きく二種類に大別される。一つは、女性遍歴を繰り返しながらも、結局は母親像を求めているにすぎないドン・ファン型である。これは『源氏物語』の光源氏が好例である。
 また、もう一つは、女性を受け容れる事が出来ずに、その結果、同性愛に走るタイプである。これは、この例としては、ギリシア神話で、妻を失った後、同性愛集団を形成したオルフェウスなどが挙げられるだろう。
独創的で想像力豊か
 子供はよく、想像力豊かであると言われる。それは既成概念、常識が大人に較べて薄いからである。永遠の少年もまた然りである。話しをすれば、実に面白い話し相手となるだろう。
持続力が無く、社会に不適応
 子供は大人に較べて忍耐力、持続力が無い。なぜなら、成長する過程でそれらを培うからである。しかし、永遠の少年はそのような成長がない為、飽きっぽく、興味の対象が移ろいやすい。その結果、大人の社会で要求される、義務や責任に応じる事が出来ず、従って社会に不適応となる。

表象としての例
光源氏(『源氏物語』)、浦島太郎、ピーターパン、映画『A・I』の主人公デービッド、アッティス(プリュギア神話)、星の王子さま
著:泉獺
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