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日出づる処のニゥス
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/平成14年3月20日
韓国
強制連行[2002.03.21]
ここではよく言われる日本による朝鮮人の強制連行について考察しています。

在日とは
 「在日韓国・朝鮮人」とは日韓併合時代、朝鮮半島から日本に移住してきた者の中で 今なお日本国籍を取らず日本国内に特別永住している人々のことである。
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強制連行はあったのか
  日本に移住したきっかけ、動機について韓国側は全世界に向けて「強制連行」によって連れて来られたのだと主張しているが、 在日韓国人訪問面接によるアンケート結果を見ると(1982年10月〜1983年1月に実施。調査したのも在日韓国人)  渡日の理由には強制連行という項目すらなく、あるのは「徴兵・徴用」である。 しかもその「徴兵・徴用」で来日したと回答した者は全体の13.3%に過ない。
『我々の歴史を取り戻す運動報告書』在日本大韓民国青年会中央本部刊を参照

  しかしこの13.3%という数字にも疑問が残るのだ。
  まず半島からの徴兵・徴用が行われたのは、1944年9月から12月までの4ヶ月間であるにもかかわらず、徴兵・徴用と答えた者142名のうち66名が1940年までの渡日者の中にある。 これはあり得ないことであり、それらを除いた場合、徴兵・徴用は6.9%(76名)となる。 さらにこの6.9%(76名)というのは1941年から1945年の5年間のデータである。 徴用の実施されたのはこの5年間のうちのわずか4ヶ月であるため、仮に単純計算すると1%にも満たない数値になってしまう。
(*注意  できたらグラフが入るかもです。)

  これが極端な計算法だとしても、徴用された者は、本国に妻子を残して一人で日本に渡っていたため、大多数が終戦後すぐに半島に帰っており、現在まで日本国内に残っている者はきわめて少数であるのは間違いないだろう。
  また、終戦により故郷である半島へと一度は帰ったものの、向こうでの生活が困難になりひそかに日本に再入国した者も少なくないという。 彼らの「すべて強制連行」という主張がいかに乱暴なものかお分かりいただけただろうか。
参照 http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6199/zainiti_raireki.htm
http://www.unesco.or.jp/teacher/kyozai_f/nikkan/jp/4-7-2.htm

  別なデータに目をやると、1974年法務省編「在留外国人統計」によれば、当時の在日韓国・朝鮮人の53・7%が1935年までに移住したとある。 前述の通り日本政府が徴兵・徴用を行ったのは1944年であり、1936年から1940年は、民間で韓国人労働者を募集していた。
  では1935年以前はと言うと、政府は日本国内での就業の安定のため、 朝鮮半島人のの渡来を取り締まっていたのである。 つまり在日韓国・朝鮮人の少なくとも半数以上が密入国だったというのが真相なのだ。 事実、半島からの密航は戦前からごく頻繁に発見されている。 以下に列記するのは、当時の新聞記事の見出しである。

『鮮人内地密航/発見されて説諭』 大阪朝日 1921/7/15 鮮満 〔〕 釜山・朝鮮【渡航】
『又も帆船で密航した不逞鮮人四名逮捕さる』 大阪朝日 1922/5/20 〔7/4〕 下関・ 兵庫 【社会】
『北鮮から密航の怪鮮人/新羅丸の石炭庫に潜伏/労働者には不似合の所持品が不審』 福岡日日 1922/5/21 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】
『鮮人十名密航』 大阪朝日 1922/7/2 夕 〔2/1〕 下関・山口 【社会】
『鮮人十名の密航者/京畿丸に潜伏』 京城日報 1922/7/4 〔4/8〕 下関・山口 【渡 航】
『ブロ−カ−の手で密航する鮮人が多い/大部分は山口福岡両県に上陸/北九州一帯 では特に警戒を厳にして居る』 九州日報 1923/4/17 〔5〕 ・福岡・山口 【渡航】
『密航鮮人発見(遠賀郡芦屋町)』 門司新報 1923/11/7 〔1/5〕 遠賀郡・福岡【渡航】
『内地密航と取締』 大阪朝日 1923/12/6 鮮満 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『鮮人の内地密航に警戒の眼が光る/釜山水上署の取締』 京城日報 1923/12/20〔2/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『発動船で密航/鮮人九名発見』 福岡日日 1924/2/21 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】
『潜入を企つ/立神丸に忍んで(舞鶴〜元山定期航路・立神丸で自称島根県人が密航企図。「不逞鮮人」と連絡ある者と見込み取調中)』 大阪朝日 1924/4/20 京附〔1/9〕 舞鶴・京都 【警備】
『丗名の鮮人欺されて密航/山口特牛港に』 福岡日日 1924/5/2 〔1/3〕 ・山口【渡航】
『五十余名の密航団/難船して露見に及ぶ』 京城日報 1924/5/9 夕 〔2/4〕 釜山・ 朝鮮 【渡航】
『鮮人渡来制限撤廃/密航は取締る』 福岡日日 1924/6/7 〔1/7〕 下関・福岡 【渡 航】
『潜入を企つ/立神丸に忍んで(舞鶴〜元山定期航路・立神丸で自称島根県人が密航企図。「不逞鮮人」と連絡ある者と見込み取調中)』 大阪朝日 1924/4/20 京附〔1/9〕 舞鶴・京都 【警備】
『丗名の鮮人欺されて密航/山口特牛港に』 福岡日日 1924/5/2 〔1/3〕 ・山口【渡航】
『五十余名の密航団/難船して露見に及ぶ』 京城日報 1924/5/9 夕 〔2/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『鮮人渡来制限撤廃/密航は取締る』 福岡日日 1924/6/7 〔1/7〕 下関・福岡 【渡航】
『密航の鮮人』 門司新報 1924/7/11 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】
『極左傾の不逞鮮人が日本へ密行した/手配が廻つて警視庁活動(青山爆弾事件。在ウラジオストクの活動家が日本に密航した形跡があるという朝鮮総督府の打電により活動開始)』 京都日出 1924/8/15 〔〕 東京・東京 【警備】
『鮮人丗三名の上陸で騒ぐ/密航と誤認して(戸畑市)』 福岡日日 1926/1/4〔1/3〕 北九州・福岡 【社会】
『鮮人丗五六名を乗せた奇怪な密航船来る/白木署に上陸して行衛不明/其筋では頗る重大視(門司市)』 福岡日日 1926/3/12 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】
『小発動機船で鮮人の密航団/三十名釜山から門司に上陸し行方を晦す』 大阪毎日1926/3/14 夕 〔2/5〕 門司・福岡 【渡航】
『長さ四間の発動機船で/鮮人三十余名密航す/氏名も目的も行先も判らぬ/時節柄厳戒を加ふ』 中国 1926/3/14 〔〕 門司・福岡 【渡航】
『密航鮮人一部発見さる/小倉駅頭にて(小倉市)』 福岡日日 1926/3/14 〔1/3〕北九州・福岡 【渡航】
『鮮人密航団を発見/同勢三十六名の内/十六名を捕へて送還』 中国 1926/3/23〔〕 下関・山口 【渡航】
『朝鮮から内地へ/内地から朝鮮へ/虻蜂とらずに終った/密航鮮人団三十余名』大阪朝日 1926/4/7 朝鮮朝日 〔〕 下関・山口 【渡航】
『大胆な鮮人団帆船で密航/玄海を横切って鐘崎へ/福岡署に知れて取調らる(宗像郡岬村)』 福岡日日 1926/4/11 夕 〔1/2〕 宗像郡・福岡 【渡航】
『怪しき汽船に/六十名が潜伏/大規模な密航団が/釜山署の手で逮捕』 大阪朝日1926/4/13 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『密航団鮮人取押へらる』 大阪毎日 1926/4/16 〔11/7〕 門司・福岡 【渡航】
『密航鮮人の/乗込船が沈没/海上を漂流中救はれ/四国宇和島に上陸』 大阪朝日1926/4/17 朝鮮朝日 〔〕 宇和島・愛媛 【渡航】
『密航者七十余名が/釜山に送還さる/警察で保護を加へ/渡航或は帰郷さす』 大阪朝日 1926/4/20 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『鮮人の密航団/又また津屋崎へ上陸す(宗像郡津屋崎町)』 九州日報 1926/4/21〔5〕 宗像郡・福岡 【渡航】
『鮮人の密航に/頭を悩ます山口県/悪周旋業者に過られた/哀れな彼らの心情』大阪朝日 1926/4/24 広島 〔〕 ・山口 【渡航】
『鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県へ/既に三百名に達した』 大阪朝日1926/4/29 〔5/9〕 下関・山口 【渡航】
『又も鮮人の密航団/山口へ六十名』 福岡日日 1926/4/29 〔1/2〕 山口・山口【渡航】
『鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県三百名(東宮行啓を控え県警察部は漫然渡航者を乗船地で阻止しているが、密航を企てる者も増加。近頃も大津郡深川村に60名上陸)』 京都日出 1926/4/30 〔〕 長門・山口 【渡航】
『大密航バレる』 大阪朝日 1926/5/1 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『鮮人が帆船で渡っても密航でない、つまらぬ取締りをされては思想上面白くないと朝鮮総督府から横槍』 神戸新聞 1926/5/3 〔6/3〕 釜山・朝鮮 【社会】
『又も糸島に密航団/朝鮮から渡航六十余名(糸島郡芥屋村)』 福岡日日 1926/5/4〔1/2〕 糸島郡・福岡 【渡航】
『密航朝鮮人は/既に二百に上る/行啓後に対策を/赤木特高課長の沿岸視察』 大阪朝日 1926/5/5 広島 〔〕 ・山口 【渡航】
『生き残った/密航者送還/厳原警察から/釜山に向けて』 大阪朝日 1926/5/20 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『二十余名の密航者団逮捕/下関水陸両署活動/時節柄とて重大視す』 中国1926/5/26 〔〕 下関・山口 【渡航】
『依然と困る密航者/釜山署の大弱』 大阪朝日 1926/5/28 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

これは中途で発覚したものであり、当時いかに密航が横行していたかは想像に難くない。 この通り密航してまで列島へ渡ろうとする者が後を絶たない状況のもと、嫌がる者を強引に連れてくる必要などあるはずもない。 
   また彼らが好んで使う「強制連行」という言葉から、抵抗する朝鮮人を首に縄をつけて不当に引っ張って来たという印象を抱きがちだが、現実に行われたのはあくまで「徴用、徴兵」である。 日本人も同様に徴用・徴兵されていたのであり、当時は併合時代、韓国人も日本国民だったのだからなにも異常なことではない。

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