お姫さまはおそるおそるたずねました
彼はしばらくなにもくちにしませんでした
なぜここにいるのか彼はお姫さまにたずねました
お姫さまはなにもくちにしませんでした
彼はそれからくぐもったこえで「かえってくれ」と
ただひとこといいました
ながいちんもくがながれたあと
かれはあるこーるをくちにふくんで
ぼさぼさにのびた赤いかみとおなじいろをした
ぶしょうひげをなでるようなしぐさをしてから
このむらについてのことをゆっくりとれいせいに
はなしだしました
ときをへるごとにひとびとは
はたらくことをわすれてしまったこと
さいしょに
金貨やほうびをむらのはってんやみらいのためにと
かんがえたひとたちと
金貨やほうびをひとりじめにしたかったひとたちとの
あらそいのこと
むらをでていったひとたちのこと
ほんのすうねんで、わけあたえられたほうびを
すべてつかいはたしてしまったひとたちのこと
うわさをききつけ むらにすみつくようになった わるいひとたちのこと
ざいさんをつかいはたしてしまったひとが
ひとのものをうばうようになったこと
このあまりにもちいさな「せいさんせい」のひくいむらは
くにの「しはい」もうけないかわりに
「かご」もうけていないこと
あれからすぐやまいにふしたおかあさんと
むらをでるじゅんびをしていたこと
彼がいえをすこしはなれたすきに
金貨や宝石とともに おかあさんの命も うばわれたこと
彼はまるでべつのせかいでおこったできごとをはなすかのようでした
さいごまでおだやかにお姫さまのひとみをみつめたまま
くちもとにはゆがんだえみをたたえ
このいえでゆめをかたっていたあのときの少年と
まったくおなじいろをしたひとみは
かつてのかがやきはかげをひそめ、そこにはふかいかなしみと
やりばのないにくしみとがやどっているだけでした
彼はつづけてこういいました
おかあさんはお姫さまのきるもので
みぶんのたかい家のこどもだとさっしていたこと
もりをじゅんかいしていた、おうさまのへいたいから
それとなくじじょうをきいていたこと
そしてあのひ、王とへいたいがむかえにきたのは
母がひみつりにへいたいにみっこくしていたからで
お姫さまがおねがいするそれいぜんに
すでに王から金貨やほうびをあたえられていたこと
そしてさいごに
「どうしてここへきたんだ」と
その問いが、とおいむかしにか
それともいまこのときか
それは彼がお姫さまをみるときのまなざしが
とおいむかしと いまこのときと
そのどちらでもあるということを
はっきりとつたえていました
お姫さまは彼をみつめたまま
ただからだをふるわしてうごけずにいました
ふくろいっぱいにつめこんだ、金貨と宝石をせなかにかくしながら
ふいに彼のてがお姫さまのろーぶのしたのふとももにのびました
かれのてはひどくごつごつとしていて
あのときのおかあさんのようにがさがさしていました
しかしそのてのおんどはかつてお姫さまのあしを
いたわりながらさわってくれたおかあさんのものとは
おなじではありませんでした
彼のからだがむりやりお姫さまのあしをわり
かはんしんのつけねにとうつうにもにたいたみがはしったあと
にくしみをぶつけるかのように彼がからだをうちつけるたび
ひきさかれるようないたみがはしりました
それはからだがいたいのか それともこころがいたいのか
お姫さまにはわかりませんでしたが
のしかかるけものようなそれは
お姫さまがしっているきおくのなかの少年ではありませんでした
お姫さまのなかで、おかあさんのてもスープも
少年のまなざしもそのすべてが
ゆっくりとこおりつき そしておだやかに
おとをたててくずれていくのを感じて
ひとみからひとしずくのなみだがつたうのとどうじに
ろーぶの中にかくしもっていたたんけんで
彼のむねをいっきにつらぬいていました
指をつたい胸に広がり
白い肌を染める紅い色をしたそれは
お母さんの手や、スープの温度よりも
零れた涙よりも、自分の中の彼の体温よりも
ずっと暖かくそして冷たいものでした
彼の瞳は昔と同じように翡翠のようなきれいな色をしていました
その瞳が光を失う直前のほんの一瞬、お姫様は少年の面影を見ました
ここがもともと見捨てられた村であることや
村の顛末が彼女のせいではないことも彼にはわかっていました
彼女が今になってここにやってきたことの意味は
荒んだ生活の中で次第に埋もれてしまった記憶の中に
答えがあることも
何か伝えたいことがあるのかわずかに口を動かしましたが
彼女にはその声は届きませんでした
彼の身体はすこし痙攣してからそのまま動かなくなり
彼女は自分の中から彼の命と共に失われたものの存在について知りました
それは今この瞬間に、そしてとうの昔に
彼女がお城で窓の向こうの遠い彼の地に
夢を馳せているその間にすでに失っていた事に
彼の命を奪ったのは今この瞬間であり
彼の希望や幸せを奪ったものを
彼女がその根源を、その瞬間を必至に探して辿り着く先は
彼女が王室に生まれた時でもあり
彼女がこの村にやってきた時でもあり
彼が彼女に声をかけた時でもあり
彼の母が彼女の足に優しく触れた時でもあり
王が彼女を迎えにきた時でもあり
彼の母の命が奪われた時でもあり
彼女が窓の外を眺めて彼や彼の母を思い出した時でもあり
彼の命を奪った今この瞬間でもあり
静寂を破ることなく彼女の涙と流れる紅が闇に溶けていくうちに
からっぽだった器が激しい痛みを伴って
ようやく満たされていくのを感じました
彼女が常に守られていたことに気がつく事は同時に
彼女が窓の外へと広がる地平線の彼方に求め続けたものを
守りたかったものを
失ってしまったことに気がつかなければならない瞬間であって
彼女は今しがた自分の中に生まれたばかりの
つきあげる激しい感情の正体についてはっきりと理解していました
それはお城の中や、王さまや継母たちには
決して感じることの出来なかったもので
それは彼のお母さんの手やあのときのスープの温度や
少年を思い出すときの気持ちにもよく似ていて
しかしそれとはまったく異なるもの
それは胸に広がった紅よりもさらに深く
様々な感情を同時に内包しながら
彼女の胸の奥深くに広がっていきました
彼の身体が命の痕跡を完全に失った頃
彼女の頬を伝った涙の跡も消えていました
夜が明けようとしていることを窓から差し込む淡い光が教えると
後に残ったのはかつての少年だった人の亡骸だけでした
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