1.疲れて気力がない。だるい。 2.気が進まない。心の動きがにぶい。 3.心静かだ。落ち着いている。 要するに「だるい」の意味である。 「だるい」という語は実に「だるい」感あふれる鬱な響きだが、 この「たゆし」もなんとも「だるい」感あふれているではないか。 それでいて、語感が美しい。 「だるい」はだるいだけだが、「たゆし」は だるさを肯定するような、前向きなだるさを表わす感じがしないか。 ……しないか。 口にしてみる。 「たゆし」 やはり良い。何度も言いたい。「たゆし」。 現代口語文法でいうと「たゆい」だ。 これでも良さは損なわれていない。 「あー、今日はなんだかたゆいな。」 「日曜日はたゆかったので家で寝てました。」 などと日常会話で言いたいものだ。 と、今までの話はおおよそ1、2の意味についてだが、 3の「心静かだ。落ち着いている。」という意味もあるのだな。 「だるい」ではこの意味は抜け落ちている。 ちなみに現代語では、「たゆむ」として派生語が生き残っている。 「たるむ」と同義だが、やはり「たゆむ」を支持したい。 「たゆし」についても、「たるし」という同義の古語がある。 今では「かったるい」として有名である(?)。 だが、やはり「たゆし」のほうが圧倒的に良い。 これより、微妙だが決定的に違うのが「る」と「ゆ」の響きなのであろう。 ヤ行とラ行、この違いだ。 ヤ行は鷹揚な雰囲気がある。 詠嘆の助詞「よ」など、そんな感じであることよ。 ラ行は響きはキレイだが、輪郭のはっきりした印象がある。 ヤ行は少しもやもやしているのだ。僕だけか? あとは、「た」と「だ」の違い。 つまり、濁点のあるなしだ。 濁点がつくとやはりダーティーというかマイナーなイメージになるなあ。 (思えば「だくてん」というのも「゛」な感じをよく表わしている。 でも「はんだくてん」は「゜」な感じがしない。 半濁点って「半分濁って」るか? 濁る、ってのに違和感が。) そんなわけで(?)、「たゆし」あるいは「たゆい」を好む。 「なんとなくだるいけど、この感じが実はちょっと心地よい」 というややダメ人間風の心情が感じられるのだ。 |