remove
powerd by nog twitter

恐怖のアマゾン
Eコマース泥沼考

 月末のある日のこと。
 めずらしく早めに仕事も終り 家路につきました。
 家のドアを開けるまでは ごくごく普通の平日でした。

 ところが・・・・

 「ただいま」も言わないうちに 妻が居間から飛び出してきたではありませんか。
 いつもは台所から「あー」とか「うー」とかしか聞こえてこないのに。

 これは とてつもなく恐ろしい徴候です。


 筆者の脳裏に 数年前のある不幸な出来事が頭をよぎりました。

 それは数年前、ある双眼鏡を通販で注文して何日かした後た数日後。
 残業が延びた日にかぎって¥6桁の着払い宅配便が届けられてしまったのです。
 せっかく夜間配達にしていたというのに・・・・

 何も知らずに帰宅したその夜のコトは いまでもあまり思い出したくありません。


 短い時間で イケない行いの数々を思い返したのですが、あの時のような大物は全く思い当たりません。

 アレに懲りて 着払いの通販なんて利用してはいないはず。
 値段を偽って買ったデジカメは現金払いだし、内緒で売った株だって約定通知は電子交付だし、内緒で買ったデジQはまだ子供にすら見せていないはず。

 やましい事がないのですから 後は嫁の勘違いを祈るだけ。

 が・・・・、鼻先に突きつけられたのは、クレジットカードの請求書。

 全然「大した物」は買っていないのに、ウン万円に膨らんだ支払い額が印字されていたのでありました。

 請求明細を よくよく見てみると・・・

 確かに全然大きな買い物をしていないんですが、某ネット書店の支払いが ズラー と並んでおります。

 さらに家計大蔵省の怒りに油を注いだのが・・・・

 部屋にたまった未読本の山。

 ココにも・・・

 あそこにも・・・

 謝り倒し詫び倒し どうにか信用事故だけは避けられましたが、その後 筆者は多方面に渡り財政上の譲歩を迫られることになったのです。


 別に 筆者が本を手当たり次第に買う癖は今に始まったことではないんです。

 高校時代はド田舎暮らしのはずなのに、こことかこことかの文庫本が早くも溜まっておりました。

 大学に入ると専門書の値段で感覚が麻痺してしまい、ハードカバーもなんのその。
 しかも近所にゃ大学書籍部だけでなく マニアックな品揃えの本屋がそろっているもんですから、バイト代なんてひとたまりもありません。(おまけに博打の味を覚えたのもこの頃だし・・・)

 さらに就職しても 本の堆積は止まりません
 なにせ自由時間が激減したもので、たまの本屋通いで良さげな本は逃さず買う癖が付いてしまいます。
 買うだけ買っても 読む時間があるはずもなく、「買う本の冊数>>>読む本の冊数」の購入超過が定着したのもこの頃のこと。

 結婚したり、引っ越ししたり、荷物を動かす機会のたびに 本の入ったクソ重い箱をテトリス状態で隙間に押し込んでいたわけです。

 そう、今までだって そりゃまぁ あまり自慢できる状態じゃなかったわけです。
 それなのに これまではなかったんですよ、本屋のツケがデフォルト直前になってしまうなんて。

 筆者の財布を苛む諸悪の根源、それは・・・・

 最近 流行りのインターネット書店。

 ココとか、ココとか、ココとか・・・・変り種だと ココとか。

 君たちは 私にどれだけ本を売りつければ気が済むんだぁー

 あ、あまりの出費に我を忘れてしまいました。
 普通の本屋だと どっかで歯止めがかかるのに、ネット書店だとリミッターが効かないんですねぇ。

 なんで普通の本屋では ここまで本を買わなかったんでしょう?


 色々 理由はあるんですが、真っ先に思いつくのは本の重さでしょうか。

 本屋で欲しい本を見つけても 買い物カゴでもないかぎり そんなに多くは運べません。
 文庫本なら多くて10冊、ハードカバーだったら5冊も持てば手一杯。

 ある重量閾値を越えると それ以上 売り場を物色する気がなくなるんですよ。
 どうにか重荷をレジまで運んでも 帰路に紙袋が破けたり 取っ手が取れたり、知的娯楽の雰囲気がなくなります。

 これがネット書店なら どんなに重い本だって、ペリカンさんか黒猫さんが 玄関先まで運んでくれます。
 「宮脇俊三全集」とか「墜落 (全十巻)」とか、ネット書店でなければ衝動買いは出来ないでしょう。

 子供が恐竜図鑑をねだろうが 嫁が少女漫画10巻セットを要求しようが、少なくとも荷物運びで苦労することはないんです。


 加えて、支払いの方法にも問題があります。

 ネット書店の支払いは 多くの場合 あとでラクラク(?) カード払い。
 普通の本屋の店頭ならば レジを前に躊躇するはずの高額本も、左クリック一発で ためらいもなくお買い上げ。
 これとか、これとか、これとか、これとか・・・、以前は値段のせいで 何回 レジの手前であきらめたことか。

 本の重さと値段が気にならなくなると、本当にいくらでも本が買えちゃうの。
 あーあ、今日も また本が届いてる・・・

 ネット書店ばっかり使っていると、別の弊害も出てきます。
 店先だったら 厚さ重さ値段で自制心が効いたであろう 超大作とか専門書とか、自分の手に余るブツにも購買意欲が衰えません。 
 本を買ったって読む人間の頭は進化しませんから、地層の下部には難易度の高い書物が堆積していきます。

 下の方にあるのは 挫折しそうな物件ばかり。

 こいつらを買わなかったら、家族で何回 外食できたことやら・・・


 そもそも以前は 本屋でシコタマ買い込むなんて、時間に余裕がなければ不可能でした。
 わざわざ大型書店まで出て行って、売り場を踏破した挙句 買うか否かで散々迷い、重荷を抱えて帰宅する・・・ なんて 仕事に追われる休日にやれるはずがないでしょう。

 本を一杯買える時期って 概ね 本を消費できる時期と一致してたんですよ。
 だからこそ 用事の立てこむ時期に大量の未読本を抱えることは無かったのです。

 それがネットの世界だと、読書の出来る時間がなくたって 仕事の合間の数分で 10でも20でも注文だけは出せるんです。
 もう、仕事も切れないって言うのに、コレだけの本を消化するのに どれだけ掛ることでしょう。


 ま 前向きに考えれば、ネット書店は「重量の壁」「金銭感覚の壁」「購入時間の壁」を打ち破ったといえるんでしょうが、まだまだ読書の壁を全て乗り越えられたわけではありません。

 「読書時間の壁」は 社会人として(プッ)  家庭人として(ププッ) 容易に超越できるものではありません。

 一ヶ月遅れで カードの請求書とともに襲ってくる「支払いの壁」
 財布を痛みを伴わない買い物でも 必ずツケは回ってきます。
 その都度 財務担当と厳しい折衝が繰り返され、読書への意欲と時間が削がれていきます。
 家庭内の和平を守るためには、たまーに 妻の望むコミック本や子供の絵本を注文するなど 高額の支払いが「家族の本代」であると錯覚させる偽装工作も欠かせません。

 そして 最後の難関は 筆者自身の「読解能力の壁」
 こればっかりは いまさらどうしようもありません。
 買っても読めそうもない本は 開き直って 本棚の飾りと思いましょう。
 ちょーっと高いアクセサリーですが、末長ーく部屋の雰囲気を格調高いものにしてくれます。
 自分の驕りの戒めにもなりますし。


 あっ、下らない事を書いていたら、嫁が後ろで睨んでいます。

 え、「そんなモノを書く暇があるなら、読み終わった本を どうにかしろ」って・・・

 そ、未読本の山を読破したって、ダンボールの山が増えるだけなんですよ。

 古本屋に売ってしまうのはポリシーに反しますし・・・

 読書を妨げる最強最悪の障害は「住空間の壁」なんでしょうか。


 

TOPへ   何でも雑記帳入り口へ   HOMEへ