このところ、双眼鏡を集めてきては実験をしたり、写真撮りをしたりにお休み時間をつぎ込んでいました。
いくつも双眼鏡を手元に置いて比べてみるのは、手間がかかる反面楽しい体験です。
そうして、比較・実験記事もいくつかアップできたのですが、双眼鏡比較をつづけるうちに ふとある疑問が頭をよぎり始めました。
それは、自分が単なる「双眼鏡コレクター」になりつつあるのではないか、ということです。
私は「双眼鏡を趣味にしている」、日本語としておかしければ「双眼鏡を楽しんでいる」を追求しているのですが、最近の生活は「趣味」ではなく「コレクション」の状態になっているのではないかと危惧しているのです。
「趣味」と単なる「コレクション」の違いについて、考えてみましょう。
「趣味」とは何か、自分で考えるのは難しそうなので辞書を引いてみました。
手元の辞書では「なぐさみのために愛好するもの」と出ています。
「なぐさみ」という言葉を使うあたりに編者の苦労がしのばれるのですが、「楽しむために好んで実行する行為」が「趣味」ということになりそうです。
いっぽう、「コレクション」は「趣味として美術品などを集めること」と書かれています。
「コレクション」は品物を集めることが趣味になっている状態のようです。
世の中には物の名前がそのまま趣味になる分野が数多くあります。
カメラはその一例ですが、皆さんは「カメラが趣味」と言われると何を想像しますか。
写真を撮影すること、写真をコンテストや展示会に出品すること、カメラを通して景観を楽しむこと。
多くの人はカメラを使って楽しむ姿を思い浮かべるでしょう。
でも、カメラの趣味の中にも、「コレクション」の要素が含まれています。
もちろん、同じカメラでもクラシックカメラが趣味の場合は、「コレクション」が趣味の大部分を占めているでしょう。
撮影がメインの日曜カメラマンでも、性能の異なるレンズや様々なフィルムを使い分けています。
複数のカメラを所有することも珍しくありません。
機能の違いを追及し、より高性能な製品を求めていく心情は「コレクター」と通じるところがあります。
自動車やスキー・自転車のように、道具の名前が「趣味」といえる分野では同じことがいえるでしょ。
また、切手や時計などは「趣味」自体の大部分が「コレクション」から成り立っている製品もあります。
物の名前が「趣味」になるくらいだから、道具へのこだわりも大きいのでしょうね。
逆に品物の名前がつかない趣味でも、「コレクション」が隠れている場合があります。
日曜大工・キャンプ・書道などは、道具を集めることも その趣味の中に含まれています。
普通のお父さんが舶来物のブランド工具を揃えたり、年に数回のキャンプのために冬山用の寝袋を買ったりする心理は「コレクション」の領域に踏み込んでいます。
良い道具を使う喜びや素晴らしいものを持つ快感は、辞書にある通り「趣味」の健全な一部分なのです。
本道の「趣味」と「コレクション」がうまくかみ合っていくのが幸せなのですが、そううまくいかないことも多々あります。
日曜大工が趣味だったはずなのに舶来工具のコレクターになってしまう、写真が趣味なのに防湿庫には使わないレンズの山、あなたにも身に覚えがありませんか。
私は、道具を使っているか否かが「本当の趣味人」と「道具コレクター」との境目だと思っているのですが、社会人にはこれすら難しい境界です。
安定して趣味に時間が割けなくなってしまうこと、良くあります。
趣味の作業に使う時間がなくなってしまうと、すぐコレクターと紙一重の状態です。
実質の時間がなくても、雑誌広告を読んだり専門店を覗いたりはできます。
使う予定もないのに、モノが欲しくなったことはありませんか。
趣味の道具は、ある部分で「幻想」を買う商品です。
その道具を持つことで「何かが出来そう」と思い込むことが購買意欲を刺激します。
必ずしも、本当の意味の必要性から購入するわけではないのです。
悪いことに、道具の購入は趣味の欠乏を一瞬忘れさせてくれるのです。
釣りざおを買うと、すこしの間、釣り場での喜びが味わえるでしょう。
いつ使うとも知れないガラクタが部屋にたまっていく病理の根源はこの辺にありそうです。
このまま道具だけが増えていけば、立派な「道具コレクター」です。
病が進行すれば、道具を集めることが目的になり、十分に楽しくなってしまいます。
余暇不足の代償行為としてはやむを得ないのですが、本来の「趣味」を忘れたらおしまいです。
そうなっては「釣りが趣味」ではなく「釣り竿コレクションが趣味」でしょう。
「趣味」と「コレクション」の大きな違いは洞察の深さにあります。
「釣りが趣味」なら自然環境や生命の神秘に向き合い、時に対決し、結果に喜び悲しむことが伴います。
本当の釣りざおは自然と話し合う道具なのに、「釣り竿のコレクション」はそれ自体が向き合う対象でしかありません。
カメラも然り。
カメラが切り取る一瞬は社会と人間の縮図で、写真を撮ろうとする行為は真実を観察していくことです。
カメラは被写体を観察する道具だと思うのですが、コレクションのカメラはそれ自体が観察の対象でしかありません。
このホームページも双眼鏡をのぞいて見る楽しみを取り上げていきたいものです。