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自分歴 〜鉄道趣味編〜
鉄道との出会いは運命のいたずら?


幼少の頃 〜おもちゃがいくつかあった〜
 東武東上線の北坂戸駅近くの団地にワタシは産まれました。その頃を覚えているはずはなく、兄が楽しそうに電車を見ていたという話だけを聞きました。また、既にバンダイのミニミニレールがあったようです。
 そして常磐線牛久駅が最寄り駅となります。その頃から少しずつ記憶があります。常磐線には時々乗ったし、中央線が近い親戚の家に行ったりその周辺で遊んだりしてだんだんと電車の魅力に引かれていきます。記憶にあるのは多分401系、旧客、そしてかすかに見た583系、東京では各色103系。そして混色の南武線。(この頃形式などは当然知りません。)
 おもちゃの方はミニミニレールが増備され、東海道新幹線3両、特急3両、西武線3両、貨物があったようです。そして、ワタシ向けにプラレール入門セット(東北上越新幹線0系?2両)、兄向けにスーパーレール基本セット(485系?3両)がプレゼントされました。  さて、普通にも遊びはしましたが、なんとなく満足いかない疑問を長く持つことになります。「なんでおもちゃは本物と違うんだろう?」 おもちゃの世界では多くの電車が3両編成です。常磐線と東京の電車しか知らないワタシは、そこにも疑問と不満がありましたが、スーパーレールはまだマシな方で、ミニミニレールは電気機関車でさえ2軸、プラレールは・・・説明はいりませんね。子供ながらに?こんなことを考えていたのです。「電車」等ではなく、純粋なおもちゃとして遊んでいたような感じがありました。また、レール上で走ることの無いおもちゃもいくつかありましたが、どうも仕方なく遊んでいるような気がしていました。ただ、実は表舞台に出ないままのHOゲージの基本セットがありました。リマ製の黄色中心の4両セット、先頭車がM車でしたが車名も分かりません。ずっと「外国の電車のおもちゃ」と聞かされていたのです。線路からの給電、正しそうなジョイント音、自動連結、車輪にゴムが無いことなどおもちゃとは違う印象があったのですが・・・。トラブル続き?だったこのセットは、他のおもちゃより先に捨てられてしまったかも知れません。ほとんど記憶に無いんです。あ、プラレール1両拾った、グレーの103系??

小学生の頃 〜一度だけ見た模型の世界、しかし〜
 福島県のとある住宅地に引っ越すと、めっきり鉄道からは離れてしまいます。引っ越しで乗った常磐線、新幹線リレー号(当時新幹線は大宮から、上野との間は185系?に乗った写真がありました。記憶には無し)、新幹線を最後に、何年も電車に乗っていないかのような気がしています。「新幹線に乗ったことがある。」まだそれが子供たちの間では少し珍しかったかもしれません。しかしあまりにも鉄道から離れて、その興味を忘れたような状態でした。社会科見学で福島駅見学もありましたが、電車そのものは見ず、面白く感じませんでした。親戚の家に行った時だけ、電車のお世話になれたのです。中央快速線と総武中央各駅停車線の同時走行、201系の導入などが嬉しいかすかな記憶でした。しかし普段の生活では・・・。この福島で初めて短編成の実車を見ました。驚きました。ワタシはそれまで見てきた大編成の電車が好きになっていたのです。福島で見られたのは715系4両ばかり。前後で形が異なる姿にさらにがっくり・・・。(もともとそういうのもあるでしょうけど当時は・・・。)
 で、おもちゃの方はというと、ミニミニレールがどうやらおしまいの時代になり、増備も最後となりました。それがなぜかSLと旧客1両の物だったような。スーパーレールは兄の物、その後増やせたのはほぼプラレールだけになります。誕生日、クリスマスプレゼント、小遣い、・・・結局一番不満があるおもちゃが一番メインになっていった悔しさみたいなものがありました。他に電車を楽しむ術が無かったから・・・。貨車セット、EF65と24系?、485?ボンネット、レールもそれなりに増えましたが単線、これも不満でした。(おもちゃにも複線くらいありますが、そんなに買えるはずがありませんでした。)
 ある日友達の家で初めてNゲージを見ます。EF65+24系3両の基本セットでした。ホンモノと同じ形に作られたそれを見たワタシは「こんなものがあるのか!」と衝撃でした。速度も変えられるし、正しいジョイント音を出せるし、おもちゃとは大違い。羨ましい・・・。しかし万単位の値段を聞き、どうすることもできないと思い、この頃には模型の世界に入れなかったのです。
 更に、会津若松駅周辺に引っ越します。ここで初めてホンモノの単線を知ることになります。またまた普段の生活で電車を利用することはなく、鉄道を楽しむことはまずありませんでした。兄がだんだんおもちゃで遊ばなくなると、スーパーレールも特に「兄の物」という感じがなくなり、ワタシが自由に遊べるようになりました。できればスーパーレールを増やしたかったですが、既に遅かったかもしれません、ミニ新幹線(100系?2軸)EF66が増えた程度です。
 小6の遠足で只見線に乗ることになりました。先生は「汽車に乗る」と言います。元々会津の人間ではないワタシは混乱しました。まぁ、その時になれば分かると思い、あえて質問はしませんでしたが・・・・。乗ったのはキハ58か何かの臨時増結編成。目的地ではホームに入りきらず、飛び降りましたっけ。ものすごくカッコ悪いと思いました。で、気動車だから汽車、だったのか、SL時代の言い方が残っているのか分かりませんでしたが田舎の鉄道をなんとなく知らされました。好きになれませんでした。
 会津若松駅と言えば、会津鉄道を通ってすぐに東京に向けて南下できます。そのルートで親戚の家へ行ったことが一度だけあったでしょうか。しかし都会の姿が好きになっていたワタシは、会津鉄道の途中で十分疲れ、野岩鉄道に入って6050系で久しぶりに電車の感触を味わっても、途中ほとんど眠ってしまいました。当時ならまだ1720系や5700系などともすれ違ったと思いますが・・・。親戚の家に行くことに関連して電車に乗ることはとても貴重ではありましたが、めったになく記憶と興味も薄れ、そんなことの繰り返しでした・・・。

中学生の頃 〜おもちゃは捨てられ、ますます好きなことが離れていく〜
 スーパーレールが自分の物になって、なんとかもっと遊びたかったのですが、いわゆる対象年齢などというものがあり、おもちゃは捨てられてしまいました。・・・改造、してみたかった・・・。
 何かで一度郡山まで455系に乗ったような記憶があります。しかしつまらなかった・・・。この頃盤越西線でのSL復活運転が初めて行われ、父親が撮影するのに付き合わされましたが既に興味無しか、記憶すら曖昧です。
 そして修学旅行、田舎でおなじみ東京見物。会津若松から乗ったのは50系客車。発車時に「きゃ〜、動いた動いた〜」と驚く姿がありましたが、ワタシはそれに驚きました。小学生の頃にも列車には乗ってるはずなんだけど・・・。郡山からは新幹線、大宮付近から見えるたくさんの電車たちの姿に、自分の中に本当に眠っている「電車が好きだ」という思いが呼び覚まされてきた気がしました。115系、あれ?知らないな・・・、103系スカイブルー!見えて嬉しかったですね。しかしそんな楽しみ方をゆっくりしていられるはずありません。修学旅行のワタシの楽しみはわずかなものでした。

高校生の頃 〜心が不安定な時期を過ぎると、落ち着いて好きなことを考え出す〜
 って、普通は高校生辺りが最も心が不安定だと思うんですがねぇ・・・。
 電子関係を勉強していくと、かつてやりたかったスーパーレールの可変速の改造が頭の中でだけ動きます。捨てなければ試せたのに・・・。プラレールだって良い・・・、電子回路で制御してみたかった・・・。と、モーター制御の難しさはもっと後に知るんですけどね。
 一度友達と東京へ遊びに行きました。行きは今はなき特急あいづ。今にしてみればもっと良く色々見ておけば良かったと思います。当時はやはり途中で寝てしまったようです。また、ちょうど京浜東北線で209系置き換え途中の頃で、初めてVVVF音というものを聞きました。電車の奥深さを感じさせられました。しかしこの時も鉄道を楽しんでいる余裕はありませんでした。
 吹奏楽コンクール関係で喜多方には何度も行きました。キハ58新潟色、キハ110?。でもやっぱり電車がいいなぁ・・・。いわき(当時たいら)、郡山からはずっとキハ110?、いわきで見た常磐線はかつての記憶を呼び起こしかけます。須賀川?、初めて乗った715系、久しぶりの複線、世間話に先生が言っていた「かつては寝台車だった」の言葉、この時は気にしませんでしたが後に大きな意味を持ちます。
 一足先に東京暮らしとなった兄がとても羨ましかったです、かつて一度だけ通った会津鉄道ルートでの帰省。自分も早くそんな大学生活を送りたいと思っていました。
 やはり修学旅行の楽しみは電車に乗れることが一番でした。東京から先はまだ見ぬ世界、しかしやはり修学旅行、東京駅出発後はなかなか席にありつけず、東京近郊区間をのんびり見ることはできませんでした。瀬戸大橋線などこんな時じゃないと経験できないものは貴重でした。特急用車両を除いて110km/hで走ることを確認できた在来線はこれが初めてだったかもしれません。
 文化祭、Nゲージを展示しているコーナーがありました。455系グリーンライナー3両と211系湘南色5両と205系山手線4両だけの小さな規模でしたがNゲージ自体見るのが8年ぶり、忘れかけていた記憶が蘇ると共に、いつかは自分も小さい頃に好きになった103系10両編成などをやってみたいと思うようになります。また、予定だけで失敗に終わったコンピュータ制御も興味深いものでした。このコーナーの内の一人はその後車掌になったと聞きます。自分は自分で好きな分野にいたことは確かですが、どこか羨ましさがありました。
 そしていよいよ自分も大学入試、一人で仙台に出向きます。行きはこれまた今はなきビバあいづ、帰りの仙台〜福島間は715系普通電車。福島に住んでいた時に僅かに見たことを思い出します。福島〜郡山間は719系、普段乗らない電車達に乗り、特に帰りの東北本線は楽しめました。初めて一人でゆっくり複線の景色を眺めたのですから。無事埼玉県の大学に入学することが決まり、アパート探しにも行きました。大宮から東武野田線では5000系による釣り掛け音を初めて体験、こんなのもあるんだとしみじみ感じました。(母親は既に知っていた、と思う。)伊勢崎線内に入ると、会津田島方面の案内にびっくり。かつて通り過ぎた場所であることを知ります。

大学生の頃 〜ついに電車だらけの地区へ〜
 大学生活を送るアパートは、東武動物公園駅から歩ける距離のところです。さすがに線路沿いではありませんが。やはり普段は電車には乗りませんが、よく通った皮膚科へは駅南の踏み切りを渡るので、電車が見えることが楽しみでした。趣味「ジャンク」に関連して自転車で走り回るときも線路沿いの道をよく走ったものです。(大きなゴミ集積所が連続することと電車が見えること、どちらがメインだったんだろう?)見れば見るほど東武電車の多さを感じていきました。秋葉原へ行くのも電車、楽しみが多かったです。北千住〜上野間の常磐線利用も懐かしさを感じるかと思いましたが、かつてとは色も異なり、別の楽しみとして感じていました。そしてE501系の体験、授業でもVVVFの話が少しあり、更に奥深さを感じていきます。帰省も楽しみの一つ、この時の帰省先は新潟県の東三条駅から歩けるところです。親元へ帰るときに新幹線なんて贅沢はせず、のんびり楽しみます。東武、高崎、上越、信越、さすがに帰省の荷物を持って7、8時間でしたか、疲れましたけどね。快速ムーンライトえちごを知ってからは毎回利用。今はなき165系での頃です。夜行列車と、ちょっとの贅沢を楽しみました。大宮で見られるたくさんの電車には無限の楽しさがあるような気がしました。583系を一度だけ見ました。この時、かつて見ただろうということは思い出さず、また一つ知らない電車を見たと思っていました・・・。
 研究室配属になりパソコンが自由に使えるようになると、ふと思い付いてインターネットで電車のことを見まくるようになります。ここで初めて形式を覚えるようになります。研究メンバーにも鉄道が好きな人がいて、自動制御するんだと別の友達から貰ったNゲージ車両を見ていました。この時初めてNゲージに触りました。いぃなぁ・・・。
 帰省先が南武線久地駅近くに変わり、親にとっても懐かしい線区で、混色編成を見たことを思い出したりしました。

現在 〜自分も模型の世界へ〜
 現在は鉄道が無いと言った方が似合いそうな陸の孤島に住んでいます。一人暮らしで広い部屋、生活に慣れてふとヤフーオークションを見ると・・・とてもじゃないけど買えないと思っていたNゲージ、中古だと小遣いでも買えてしまう・・・。そしてNゲージを購入するようになっていったのです。欲しいと思ってから16年、ついにホンモノらしさを楽しめるようになりました。103系はもちろん10両編成にしました。電車がたくさんある景色が好きだから、安ければあまり知らない物でも購入しました。24系とか113系湘南色15両とか。そして懐かしさを楽しむようになってからは今までお世話になった車両、地区への興味も増し、東武100系スペーシア、583系6両、そして当初嫌いだった455系グリーンライナーなんかも買いました。
 幼少の頃にあったHOゲージが、おもちゃではなくHOゲージであることを知ったのはこの頃です。外国車で好きになることもなかったのですが、知ってしまったときはやはりもったいないことをしたと思いました。いつ処分されたのかも分からず・・・。
 秋葉原に行くときは必ず天賞堂にも行きます。もちろん買うのは全て中古。ちょっと羨ましいことに子供達も賑わっているんですね。高速バスより高くて遅くても、何回か電車で行きました。113系横須賀色、E217系などのお世話になりました。高速バスで行けば途中京葉線が見えます。京浜東北線はとっくに209系。103系スカイブルーを見たときは驚きと懐かしさがありました。
 帰省先は相鉄線三ツ境駅付近になり、帰省は車でですが、帰省先から秋葉原に行ったりして、東京〜横浜間辺りの電車の多さを楽しんでいきます。
 父親がついに退職してワタシの帰省先が幼稚園以来の牛久駅近くになりました。帰省しての楽しみにやはり常磐線があります。当時の記憶はほとんどありませんし今とはだいぶ違っていますが、今は今でもっと楽しめます。かつて3Kと言われた常磐線、あれから20年。今はもう親も常磐線に乗るのに苦労はいらないでしょう。それどころか母親はE501系のVVVF音が気に入ったようで、鉄っちゃんに負けず劣らず?M車を選んで乗ることもあるそうです。
 インターネットでの情報収集も続いていて、これまでお世話になった線区の今、昔などこれまで以上にハマっています。盤越西線のオリジナルカラー化、快速白虎の話題、あいづ復活運転、現役時代を知らないサシ489-9、やはり現役時代を知らないがまだ存在している東武5700系・・・。そんな話を見ていると、自分ももっと電車を見に出かけたくなります。もしかしたら本当に行くようになるかもしれませんね。・・・と思っていたら、いよいよ本当に出かけるようになってきました。
 2004/04/10(Sat)の「と〜ぶふぁんどっとねっと主催「5070系で行く日光・鬼怒川の旅」」を見に行っちゃいました。2004/07/24には埼玉県の吹上にあるレストラン「マスタードシード」で行われた「ゴーナナ祭」にも行ってきました。2004/07/31には、東武の旧型車(+α)を楽しもうと、南栗橋6:38発東武宇都宮行きにわざわざ乗ってみました。このために家を午前3時頃に出発しました。東武宇都宮、JR宇都宮、久喜、東武動物公園と回って、更に東武博物館、そして東武動物公園のモハ7329も見てきました。


東武5700系によるレストラン「マスタードシード」、有名ですね。
お祭りなのでヘッドマークを付けて遊んで?います。
かつて上越新幹線から初めて見えた時はびっくり。


わざわざ乗った旧型車、5156F。南栗橋にて、出発前の「回送」。
長距離を楽しめるのは朝のこの一本だけだそうで? 6:38発東武宇都宮行き


モハ7329
我々が幼い頃にはまだ走っていたんだよな〜としみじみ思う。
東武動物公園内、ミニSLの近くにあります。マニアには有名。

 更には2004/10/09、2004/10/16〜17のさようなら5070系イベントにも行き、撮影し、アップなんかしちゃいました。大学入学前に初めて経験した釣り掛け車もいよいよ引退、たま〜にニュースになるようなイベントに行ったんだな〜、これが鉄道イベントか〜、これが引退か〜・・・、色々と心が動きます。
 次はどこへ何を見に行くのでしょうか? なぜか?東武が多いですね。地元的な当面の楽しみはつくばエクスプレスと常磐線E531系の話題でしょうかね。鉄道模型ショーにも行くようになりましたし、人生楽しまなくちゃ!?

自己感想
 本当に好きなように楽しめるまで、長かったですねぇ〜。しかし子供時代に続いた、思い通りにはならないという経験が、人生において必要な耐えるということを覚えさせてくれたような気がします。忘れかけた記憶を取り戻す親の話、適度なおもちゃ、親の影響って凄いですねぇ・・・。


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