幼少の頃 〜まだ自我もなく〜 幼少、と言っても記憶が定かではありませんが、幼稚園くらいの時からピアノを習うことになりました。先生は母親。ワタシが始める前に兄が始めたのですが、兄弟には同じものを習わせると考えていた母がワタシにも教えたのです。きちんとバイエルの1番から始めたことを覚えています、・・・が、ちょっと嫌々やっていたというワタシの記憶とは裏腹に、母は楽しそうにやっていたと言います。 小学生の頃 〜珍しい転校生〜 これまたもうあまり覚えていませんが、男でピアノが弾けるということはかなり珍しがられました。年に一度のピアノ発表会は、成功より失敗の方が覚えていますなぁ。小5の時、「朝の会」の中にあった「朝の歌」の伴奏役に選ばれました。他にも何名かいましたが、男ではワタシだけ。妙に緊張しましたなぁ。 絶対音感を身に付けた兄に教えられ、だんだんとゲームの曲を弾くようになって、時には驚かれ、時には馬鹿にされ・・・。 中学生の頃 〜名前YOSHIKIがちょうど良く〜 習っていたのは小学生までで、ある意味自由の身になりました。練習はそれなりに厳しかったですからね・・・。でも、おかげで弾けるようになったし、自由になったところで、もっといろんな曲を弾いて「遊ぶ」ようになりました。DQ3、4、5、FF2、サラマンダ、Sマリオ3・・・多分他にもあったでしょう。「たま」を聴くようになった兄に一緒に弾くように「命令」されてアンサンブル?してみたり。そして自分はX(XJAPAN)も弾くようになっちゃったり。 高校生の頃 〜女の子の心を動かした演奏とは〜 さて、このコーナーのメインになりますかな? とりあえず運動部は嫌だとしか考えずに入った吹奏楽部。せっかくピアノの経験があるのだからシロフォン(木琴)などの鍵盤楽器を主に担当しようと打楽器パートに所属しました。 いやはや・・・入部した時点で楽譜が読めるというのは強かったですねぇ。先輩にも驚かれました。入部2ヶ月後には初めての本番があったのですが、いきなりソロ担当かよっと自分でもびっくり。この時既にマレット(バチ)を片手に2本持つ必要がある曲で担当していました。その後ちょっと厄介な曲を練習していた時、当時2年生の先輩が見てくれたのですが、しばらくして当時3年生の先輩が「そいつは放っといた方がうまくなるタイプだからほっとけ」って言ったんですよ。これも楽譜が読めて自分で練習していけることの強みだったようです。この一言を言った先輩も凄いと思いますが。そんなこんなで鍵盤楽器をとことん中心に担当することになって、ますます珍しいキャラクターに成長していきました。2年生になってまたまたシロフォンを担当した「剣の舞」。先生からはとことん大きな音でとの指示が出て、鍵盤をへこますほどになっちゃいました。どうやら演奏としては良かったらしく、その年の定期演奏会ではメロディー担当のところで拍手が起こったほどでした。(クラシックステージの演奏中、通常拍手が起こらない場面です。) その年度の最後は多くの学校の吹奏楽部や合唱部の皆さんが第50回国民体育大会(ふくしま国体)冬季大会スキー競技会の式典演奏を担当することになりました。ここでもまた鍵盤楽器を担当することになりました。ところで、鍵盤楽器を演奏する時、隣の鍵盤を叩いてしまわないように手元を見るのが普通です。しかし、ずっとピアノを弾いてきたワタシはどうも楽譜を見ながら演奏する癖がありまして(ピアノの場合普通ですが)、なんと気付かぬうちにシロフォン、ビブラフォンなどの鍵盤楽器でも楽譜を見ようとして手元を見ないで練習してしまっていたのです。チョット想像してみてください。マレットは鍵盤から30cm程の高さ(可能ならもっと高く)から振り下ろします。1cm横にずれれば跳ね返りが変わって次に影響し、2cmずれれば隣の音を叩いてしまいます。ところが、見ていないのに隣を叩いてしまうことがめったに無かったのです。改めてこう書いてみると我ながらすっげーと思うのですが、当時は何も考えずに普通にそういうものだと思って演奏していました。で、びっくりなのは、そんなワタシの演奏スタイルに惚れちゃった他校の女の子がいたんですよ。しかしワタシはまだ「純粋」(笑)だったのでその後の告白も告白と分からなかったのです。 女の子「マフラー編んだんですけど・・・。」 ワタシ「マフラー使わないんで・・・。」 ・・・ズバリ正直に答えてしまいました。ちなみにその女の子はその後落ち込むことも無く普通だったと聞きます。っていうか、普通の会話をしたことありましたけど。でも、思い出すとその後どうなったのかな、なんてちょっと考えちゃいますね。 で、この国体、まぁ無事に終わって記念にCDも配られたのですが、こういうイベントだけあって、練習はしておいたけど演奏していない曲があるんですよね。それがどんな曲だったのか、思い出せなくてちょっともったいないような気がしています。(その後(現在)「式典音楽隊のしおり」を見て、曲名と女の子の名前を思い出しました。)それにしても400人体制での演奏はすごかったですね。 さて、とことん鍵盤楽器専門になってしまったワタシは、3年生の時に、片手にマレットを3本持つということに挑戦しました。(片手に3本です。(^^)しかも利き手ではない左手)いや、したくてしたわけじゃないけど面白かったです。(でも何時の間にか成功させたくなってた。)当時マリンバが学校に無かったんだか、人数の関係か、シロフォンを柔らかいマレットで叩くことで代用したんだと思いますが、その場面は同時にシロフォンもありまして、右手で2本持ってシロフォン役を、左手に3本持ってマリンバ役をやったのです。完全同時鍵盤一人二役、最高でした。いやぁ、それで叩けるパターンだったから良かったんですけどね。 そうそう、ソロコンテストのピアノ伴奏もしましたっけ。 大学生の頃 〜電子音楽の世界へ〜 一人暮らしになり、母親の電子ピアノ(YAMAHA pf-70 だっけ?)を譲り受けましたが、普段の生活では本物を弾くことができない環境になりました。これまで家にグランドピアノがある生活が普通だった(と言っても二つ上の兄が大学に行く時に持っていってしまいましたが。)わけですが、改めて貴重な経験だったと感じます。 高校の吹奏楽部は楽しかったけど自分の時間が十分持てなかったと感じたワタシは、大学ではサークルには入りませんでした。 趣味である「ジャンク」がピークに達しまして、たくさんの拾った物の中には楽器もありました。ギターを始めたいが、買って上手くならなかったらもったいないと言う友達に、あっさりアコースティックギターをあげ(ゴミとは思えないきれいな品だった。)、その友達は自分で気に入った楽器を買うほどギター、ドラムにはまっていきました。ピアノを弾きたいという友達もいて、教えてあげたり、一緒に楽器屋さんに行ったりしました。そちらの友達もキーボードにて、ある程度ピアノ伴奏ができるようになりまして、3人でバンドの曲を弾いたものです。 この頃にBASICのPLAY文を試せる環境ができまして(拾ったMSX)電子音楽の分野?への興味も増していきました。ミュージックシーケンサーQY8を貰ったのも良い経験となりました。もちろんMIDIも知ることになりました。 ![]() 拾った方の電子ピアノEP-3500。音が良く、思いっきり弾いちゃいます。 現在 〜仕事中も夢を忘れず〜 まだまだ若いということで?希望の仕事ができるわけありませんで、現在仕事では音楽には関わっていません。母親からの電子ピアノは友人に譲り、今は大学時代に拾った電子ピアノ(上写真)を弾いたり、ちょっとはMIDIで遊んでみたりしています。 ・・・と、ワタシの経験を活かす時が突然やってきました。ワタシの勤務校での文化祭、よくある?ステージ発表で、バンド演奏をやりたいがドラムを叩ける人がいない、生徒と一緒に演奏してみないかということになりました。半ば強制的でしたが(笑)8年ぶりにスティックを握り、一番担当してこなかったドラムをやりました。でも、ちょっとやってみたかったような気もしまして、やって良かったです。手は思ったより動いてくれまして、大盛況でした。それはさておき、やはりこれからも吹奏楽部顧問をこっそり狙っていくことでしょう。 自己感想? なんにしても幼い頃に習ったピアノがここまで役に立つとは驚きです。親が先生だったことが後になって二重、三重にも役立ち、とても貴重な経験だったように感じます。音楽(音)の勉強と電子の世界の勉強は関わるところもありますから(電子楽器、オーディオなど)本当に音楽で遊べて良かったです。親の影響って凄いですねぇ・・・。 |