日朝戦争の可能性を考える
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日本は、アメリカ及びそれに同調したABCD/ABCUによる経済封鎖/経済制裁に対して、対米戦争開戦、という選択肢を取った。
北朝鮮が、日米韓露中他による経済制裁を受け、対米戦争に踏み切った日本と同じ状況に置かれたら、当時の日本と同じように「負けを覚悟してもやらねばならぬ」と開戦を決意するに違いない――。
という予測が見られる。この予測に連なる強硬派の意見として、
「制裁で北と戦争になっても、北は日本を攻撃できる能力が無いから
平気だ。ミサイル撃てば日米安保が発動してまさに「終わり」だ。」
という予測があるのだと思われる。
が、この予測には注意すべき視点がいくつか抜け落ちている。
日本人はとかく「正面決戦」や「正々堂々と」や「背水の陣で」という条件付けで物事を考えがちである。
これは、二次大戦(対米戦争)の記憶と「反省」からそうした着想が育まれた面もあるかもしれない。また、「島嶼国家」であり、太平洋に阻まれてこれ以上後ろに撤退することができないという風土から生まれた思考もあるだろう。
「戦争とは背水の陣まで追い込まれたときに、捨て身で、負けるとわかっていても、しかし正々堂々とやるべきものだ」
という考え方は、右派左派(のうち、専守防衛を支持する一部の意見)のいずれにも共通している。
しかし、北朝鮮は半島国家であると同時に「地続きの大陸」に属する国家であり、また、日本的なメンタリティを持っているわけではない。日本人は「相手もそうだろう」と、自分のメンタリティで相手を捉えがちな面があるが、北朝鮮のメンタリティが日本のそれと同じとは言えない。
そもそも、経済的、物質的(繁栄の度合いと言い換えてもいい)に、日本と対等なポテンシャルを持っているわけではないことは明らかである。だが、「同じポテンシャルを持っていないから日本が有利で安心だ」と考えるのは、それは戦争を「同一条件下での力比べ」であるスポーツかゲームと同程度の「優劣を競う競争」としか考えていないが故の甘さである。
北朝鮮の側に立った場合、戦争の目的は日本を焦土にすることではない。
日本は戦争の勝者である「アメリカの振る舞い方」を、戦争をしようとする者に当てはめようと考えがちでもある。
戦争に勝つのは、空爆を行う圧倒的な力であり、戦争に勝つとは相手国を焦土にすることだ――という短絡的な連想は、地球市民系のサイト、blogなどにもしばしば見られる。
しかし、実際の戦争の目的とは、「相手国を焦土にすること」などではない。北朝鮮の場合も同様である。
北朝鮮が、経済制裁に対する報復を行うとしたら、それはミサイル攻撃を始めとする各種の兵器(ハードウェアと言ってもいい)による正面攻撃とは考えにくい。
仮にミサイルに核弾頭を積んで発射したとしても、核実験を行っていない状況下では「核分裂/融合弾」が有効に爆発するかどうかわからない。また、それが無事に爆発したとしても、日本が受ける損害は実は多寡が知れている。もちろん、夥しい被害者と数年に及ぶ復興プロセスは必要になるかもしれないが、1発で日本が消滅することはあり得ない。また、日本を消滅させることで北朝鮮に対する圧力や障害の一切が消滅するわけではない。ミサイルのように「使用者が誰かはっきりわかる正面兵器」の使用は、日本にダメージを与えるのと引き替えに、北朝鮮の存続を危うくする。
北朝鮮は経済制裁を「戦争に準じる攻撃」と見なしている。これは、戦争には補給/兵站の確保が必須であり、経済制裁は戦争の計画/継続を断ってしまう、「後方破壊」の一端と見なすことができることからも、あながち過剰な反応ではない。一般的な日本人は、戦争を「兵器」と直結させて考えがちで、補給/兵站が念頭にない。自分たちが行おうと声高に叫んでいる「経済制裁」は平和的な恫喝などではなく、相手の戦争遂行能力を奪う「準戦闘的行為」だという自覚が薄いが、北朝鮮は経済制裁を「戦争に準じる攻撃」と見なしている、ということだ。
北朝鮮がこれに応えて、経済制裁の解除を強圧的に求めるとしたら、真っ先に行われるのは「核による恫喝」だろう。2005/2/11の核保有宣言は、実際に保有している、その能力を持っているということではなく、「保有して居るぞ」と宣言することで相手の譲歩を誘うもので、核を恫喝のための担保として使った場合の基本戦術である。
ただ、この恫喝は、実際に核実験を行いその能力があること(核の実力の担保)を示すところまでいかなければ、充分な効果があるとは言えない。
故に、核保有宣言はブラフであり、同様に核は実際の戦争にはまだ投入できないと推測する。(アメリカが盛んに「すでに保有しており、その能力があり、極めて危険だ」と繰り返すのは、北朝鮮を過大に評価していると考えるよりも、核問題のウェイトを大きくするためのプロパガンダだろう。日本人は核問題を軽視しすぎている)
さて、北朝鮮が核を実際に撃つことも、またミサイルも使用する可能性も低い。正規軍の数は少なく、また日本海を渡って日本に上陸する能力はない。
では、北朝鮮による「戦争に準じる報復」はどのように行われるか。
改正油濁法が「制裁の意図はないとしながらも、実質的には対北朝鮮に対して圧力として働く」という性格を持っているのは周知の通りだが、同様の戦術を北朝鮮側も採ることができる。
つまり、「宣戦布告はしない、ミサイルも撃たない。しかし、日本国内に戦争に準じる被害が生じる」という状態を作ることだ。平たく言えば、北朝鮮工作員または日本国内の協力者による、日本国内での広域テロ。
北朝鮮はその憲法によって国民皆兵(未成年も)となっている。
実際には国民全員が戦闘員としての訓練を受け、軍事作戦に足りる能力を持っているとは考えにくい。武器も足りないだろう。
しかし、金日成、金正日の二代の指導者は、「工作員」という呼ばれる、特殊部隊の育成に力を入れてきた。
情報系潜入工作員の存在はすでに明らかになっているが、工作員は「強い意志」さえあれば、特殊な身体能力がなくても充分に効果のある広域テロを起こすことは可能だ。
対北朝鮮・経済制裁は、「戦争になる覚悟がなければ難しい」のである。
戦争は、ポテンシャルを同じ条件で比べあう、正面兵器による正々堂々としたものではない。
ポテンシャルの低い側が仕掛ける戦争の多くは、ゲリラ戦、不正規戦である。
アメリカ型の戦争のやり方(エア・ランド・バトル)は、正規軍の兵器や拠点を破壊する能力は高い。
しかし、破壊力のある兵器を持った個人が、戦闘地域ではない場所で起こす「攻撃=テロ」に対する対応は著しく弱い。
「経済制裁は日本が絶対的に優位な状況下で行われなければならない」
「戦争になる覚悟がなければ経済制裁は難しい」
戦争は仕掛けるものとは限らない。不利益を被る側としては、望まなくても持ち込まれてしまうものでもある。
経済制裁を行った結果として、戦争になる、しかも頼みのアメリカが不得手な不正規戦になる恐れが高い。
それをする覚悟と、それを阻む準備は済んでいるだろうか?
北朝鮮がアクションを起こした後は、北朝鮮は「崩壊」しかない、というのが大方の観測である。
崩壊した北朝鮮の「跡地」をどう扱うのかについて、北朝鮮を除く五カ国の間で合意事項はできていない。
韓国による「半島統一」のスローガンになんとなく納得・追従している手合いもあるかもしれない。北朝鮮よりは韓国のほうが与しやすい、日韓は友好的だ、という楽観論もある。
そうだろうか。
北朝鮮崩壊は、金正日の戦死、暗殺、亡命などによる混乱の後、残された執行部が体制維持をできるかどうかによって進む方向は大きく異なるが、いずれの場合でも韓国に吸収統一される可能性は必ずしも高くはない。
むしろ、北朝鮮の後ろ盾であり、実質的に北東部の経済圏に北朝鮮を組み込みつつある中国に北朝鮮が実効支配される可能性は捨てがたい。
以下は、あくまで「可能性」として想定される事柄、としておく。
A=拉致・核問題解決
B=経済制裁、武力行使及び恫喝的制裁宣言
Z=宣言なき締め付け
(2005/2/16)
(2005/2/21改)