2004年参議院通常選挙の考察
誰が勝ったのか、誰が負けたのか。
議席数の比較で見ると自民と民主が逆転し、民主が勝って自民が負けたように見える。
実態はどうか。
●選挙の目的から見る
自民党は「議席数増」を当初目的に、次いで「現状の議席数を維持」に切り替えた。
議席数増、議席数維持は確かに選挙の大きな目標のひとつだが、実は優先順位1位ではない。
選挙で「できるだけ多くの議席数」を目指すのは、法案可決に必要な人数を確保するためだ。
自民党が「議席増」を掲げるのは、「改選前の絶対多数を、より強固なものにするため」だが、これは最低条件ではない。次いで「現状維持(現有議席数51)」を目標に切り替えたことによって、「小泉退陣ライン=51議席」であるように報じられたが、実はこれも最低条件ではない。
選挙の目的は法案可決に必要な人数を確保するためだ。
とすると、本当の最低条件は「与党過半数の喪失」である44議席(自民33、公明11)だった。
与党は60議席(自民49、公明11)獲得で、非改選の79議席(自民66、公明13)と合わせて安定多数の139議席となった。
法案可決に必要な数字は確保できていると言える。
議席増、または維持は、優先順位第1位の目標ではなかったが、同時にこれは厳密に言えば「自民党の目標」であって「小泉政権の目標」とは言い難い。
自民単独過半数でフリーハンドを得るのがベストだが、公明を加えた与党で過半数がキープできれば小泉政権は任期満了まで運営可能となる。
自民党の本当の正念場は、小泉任期満了後の2007年の参院選になる。今回非改選で、3年前の小泉ブームで稼いだ66議席を減らすのは、参議院での安定多数の喪失を意味する。
そして、そのときにはもう小泉総理はいない。
●議席数の増減を見る
今回は定数減もあり、これまで126議席あった定数が121議席に減った。
自民党は51議席から49議席に減っているが、定数減を考えると「勝ってはいないが負けたと言えるほど減ってもいない」となる。自民党の支持数は大きくは動いていない(増えも減りもしない)。
51×(121÷126)=48.976...≒49
なのだ。
対して民主党は改選前の38議席から単独50議席へと、12議席増やしている。
自民党は微減である。
選挙報道では「無党派層の支持が民主党に集まった」とされているが、この説明には疑問が残る。
自民党激減で、減った分が民主に流れるなら「無党派層の審判」という説明にも納得がいくが、実際には共産党の議席が、大幅に民主党に食われたという形になっている。
もし、無党派層の審判(心変わり)が民主に流れたのだという説明が正しいのだとすると、これまで共産党を支えてきた支持層の半数以上が無党派だったことになるのだが、公明党とは似て非なるけれどもそれなりに強固な選挙基盤を持っていた共産党の議席数の激減を、「無党派層離れ」だけで説明するのには無理がある。(選挙報道でも共産党の議席減を説明できているものはあまり見かけなかった)
「小泉政権に苦言を呈する」とする「民主を支持しない民主票」の流入が民主の躍進に繋がったという説明はもっともらしくはある。が、それならやはり自民票がもっと減っていても良かったはずだ。
民主党の躍進に関する説明は、「アンチ自民を食った」というよりも、2003年の衆院選の場合同様、「保守与党に対抗するための大野党連合」の意識が働いたと見るべきかもしれない。
「国民は二大政党制を求めている」という民主党自身の説明には確かに一理ある。
しかしそれは、「自民から流れてきた保守票」ではなく、「民主党よりさらに左」から流れてきた票によるものだ。この新たな票は、民主党のキメラ化に拍車をかけている。
●二大政党制は日本の制度で機能するか?
所謂、二大政党制でよく引き合いに出されるのはアメリカのケースだ。
一方の政党が失政を行った場合、もう一方の政党が舵を切り直すことでバランスを取るというものだが、これはひとつの政策が十分に成果を現すのに足りる一定の期間、方針の変わらない同じ為政者が続くことが前提になっている。任期4年の大統領制があり、大統領一人で議会全体と並ぶ権力が集中されているからこそ、二大政党制が生きてくる。
日本のように、選挙の結果によって政権の退陣、交替が起きやすい議院内閣制というのはタンカーを操船するようなもので、舵を切ってもブレーキをかけても、巨大な慣性が働くため急旋回も急停止もできない。このため、船長は誰がやってもあまり差が出なくなる。
議院内閣制は「政治的に安定している」「対応しなければならないような急変がない」という前提の元、「審議議事に十分な時間をかけられる」という逼迫していない平和な時代には十分機能するが、状況が次々に変化する動きの速い時代にはあまり適さない。
幕末、それまでの小田原評定を続けてきた幕府が、勝海舟のような軽快に判断の下せる全権委任者を生まざるを得なかったのも、状況の変化が早かったためだ。
情報化(ITの進化、マスコミの普遍化=情報共有の急激な進化)によって判断を迫られる緊急の案件が増えた現代で、しかも「与党と野党が絶えず対立し続ける議院内閣制/二大政党制」は、国会の小田原評定化を進める恐れがある。
選挙前、「与野党が伯仲することで対等な審議が可能になる」という夢が語られていたが、アメリカのような「そもそも政策の似ている二大保守の交替」であればともかく、「妥協のない反対」を党是とした党が議院内閣制の下で二大政党の一翼を担う場合、「対等な審議」ではなく「出口のない議論(結論を出せない議論)」によって、「意志を示す」という政治決断が一切できない空転政権が生まれてしまう可能性がある。
これは、与野党が入れ替わっても結果は同じで、野党に回った側と与党側が拮抗している限り、結論を出させない議論(先だっての未納追求→審議拒否のような)による審議未了が激増することになり、結果的に政治の思考停止が加速する。
以上から、議院内閣制を変えない限りは、日本の政治制度では二大政党制は十分に機能するとは言えない。
●民主党は「二大政党」の一翼になりうるか?
民主党は、自民・公明以外の、全ての野党支持者の受け皿という形で、「選挙による野党連合」を成し遂げたと言える。党利党略の異なる「党同士の合流」ではなく、有権者自身の「合流」によって膨れあがったのが、今回の民主党の躍進の正体だ。特に、「アンチ自民」の共産党支持者を大幅に取りこんだことが、今回の参院選議席増の理由だ(なぜ共産党の議席数が半分近く殺がれたのかについては、またゆっくり考えることにする)。
現在、民主党には「反自民党」で結束した野党の血が集まっている。
ただ、その血の分布には不安が残る。前回の衆院選、今回の参院選で新たに合流してきた支持層のうち、「お灸」派ではない者は、基本的に「共産、社民」などの左派政党の支持者だった。民主党の選挙組織/支援組織は、そもそも旧社会党右派の残党を支えてきた労組など。共産/社民よりは右よりだが、いずれも左派であることに代わりはない。
一方で、合流後、民主党の執行部を牛耳る旧自由党は「自民党より右にいる」タカ派。しかも、岡田代表、藤井幹事長、その背後の小澤一郎は、自民党竹下派経世会の残党。いずれも「派閥政治」など、平和な時代の勢力争いに長けたグループと言える。
今回新たに民主党議員として当選した異色議員の多くは、それぞれ一家言持つアクの強い人物が多い。いわばプチ大橋巨泉タイプが目白押しだ。この強度のキメラ構造を持つ民主党が、果たして「党議拘束」を所属議員に徹底できるのかは未知数だ。「反自民党」で結束していられるうちはいい。しかし、「民主党党内への不満」がくすぶった場合、民主党が再分裂する可能性は低からずある。
繋ぎのはずだった岡田代表だが、12議席増を「勝った」と評するか、「与野党逆転」を果たせなかったことを「目標不達成」と評するかで、風向きはガラリと変わる。岡田代表自身は「勝った」として、次期代表選への意欲も見せているというが、派閥固めを始めた小澤一郎としては、岡田代表は「勝っていない」ことにしたい気持ちもある。
これが分裂の兆しとなる、と読んでいる向きも多い。
バラエティに富んだ議員を民主党が御していけなければ、二大政党の一翼を担う「大政党」として、期待される機能を発揮できる可能性は低い。
民主党が、ばらばらかつ複雑に動く巨体を十分に制御できなければ、民主党の意志決定(党議拘束)に遅れを出し、「議席数を増やしたこと」は党としての動きに却って足枷になってしまう。
●自民党は何を得たか
参院選議席減は、自民党から実質議席数を2議席奪った。
が、小泉政権にとっても自民党自身にとっても、得たものも少なからずある。
●勝ったのは誰か?
選挙は、法案可決のために必要な議席数を確保するために行われる。
これは冒頭でも述べた。
今回、議席を減らしながらも「法案可決に必要な与党安定多数」を得たことで、小泉内閣は及第点を取った。(満点ではないけれど、赤点ではない)
自民党としては今後の「選挙」について大きな課題を背負うことになったが、次の衆院総選挙まで解散がないとすれば、2年間の準備期間を得たことになる。無党派を掘り起こす心理戦も、文言も、それが有権者に伝わらなければ勝てない。報道・マスコミがボトルネックとなっていることが最大の敗因と言える。民主党は【いろいろな方法】を使うことと、マスコミを味方に付けることで、追い風に乗った。
どぶ板選挙で票を確保できる可能性は、有権者の若返りによって今後ますます減っていくことを考えれば、旧来の足で稼いで連呼する選挙運動だけではじり貧になる。
次回、マスコミを如何にして味方に付けるか、もしくはマスコミに頼らずに有権者に直接情報を渡す別の方法を開拓できなければ、過半数を割り込む悪夢が現実のものとなる。
さて、勝ったのは誰か。
自民党は議席を減らした。が、危険水域まではいかなかったので勝ってはいないが負けてもいない。
民主党は議席を伸ばしたが、与野党逆転に足りるほどの議席を獲得できなかったので、勝ったは勝ったが目的を達成していない。
小泉総理は次の衆院選までの間、安定多数で法案を可決させることができるアドバンテージを得た。
小泉総理にはもう後がない、と言われがちだが、総理大臣の切り札である衆議院解散権を、小泉総理はまだ温存している。今、これを切ったら与野党逆転政権交代の畏れもある。そうなれば政権喪失のリスクがある一方で、自民党議員にとっても戦々兢々。だから解散権カードが小泉総理の手の中にある限り、自民党議員はフリーハンドで安心はできない。
とすると、結果的に最長で2年間の制限付きではあるが政権運営はまだ十分可能だ。小泉総理は何も失わず、むしろ党内を盤石にし、マスコミという新たな敵性勢力を得た。
民主党は参院選で躍進し、自民党は議席を減らした。
そのはずなのに、他の誰でもない小泉総理も負けていない。むしろ、得をしている。おそらく報道マスコミは再び頭を抱えることになるのではないか。
終わってみたら、結局また小泉総理だけが勝っている。
運がいいと言うべきだろう。
●未解決の問題、課題
▲共産党支持層はなぜ共産党を見捨てたか(民主を躍進させたのは誰か)
▲マスコミを出し抜く意思伝達、衆知・広報、意見獲得の方法の開拓(自民党の課題)
▲一方向の情報伝達(=マス・コミュニケーション)から逃れ、情報の比較精査をするノウハウの普及(有権者の課題)
▲2年後、または3年後まで、今の規模と内容で党を割らずに維持するにはどうすべきか(民主党の課題)。最初の試練は9月の代表選。
●番外
あちこちで異口同音に囁かれてきたが、今次の参院選は「与党vsマスコミ」「有権者vsマスコミ」であって、与党vs民主党の戦いではなかったという意見に賛成している。
マスコミの悪意には十分な破壊力があった。勝者を敢えて決める必要があるとしたら、もっとも勝利に近いところにいたのは民主党ではなくマスコミだったと言っても過言ではあるまい。
与党が、というより、有権者が一杯食わされた。投票前にかなり偏向したフィルターをかけられた選挙であったし、日本の近代史に何度か出てくる、「民意を煽動するメディア」を実体験できたことは貴重な体験であった。
戦前はメディアを規制する権限を行政側が持ってきたし、戦後はメディアを検閲する権限をGHQが担っていた。
が、現代ではメディアの暴走をチェックし、メディアを制止する(制止したことを広く告知する)機関はない。知る権利を楯に「知る権力」を振るうメディアを浄化する方法がないことは、巡り巡って有権者の不利益に繋がる。選出されたのでもなければ、委任されたのでも信任されたのでもないメディアの暴走は、誰からも罰を受けない。
罰は行為を叱るためではなく、未然に有効な予防措置となるようにちらつかせたとき、抑止効果になるようなものでなければならない。
そういった、審判や罰を受ける機会をメディアだけが持たない(あったとしても知らされない)という状況を変える方法が待たれる。
一次情報を比較精査するためのツールのようなものが生まれてくれば、ツール(またはプロトコル/手順書)に倣う形でメディア・リテラシーを育てていくことも可能かもしれない。
また、ツール/ソフトウェアについてはP2P-BBSの急速な普及が期待されるが、そのトップ・アーキテクトである47氏が今置かれている状況を考えるだに残念でならない。
●番外2
選挙戦は開票確定したが、まだ番外戦がいくつかあるため、票読みは暫く変動する可能性がある。
ひとつめは、無所属議員の追加公認、会派入り。
6人いる無所属当選議員のうち、5人までが民主会派、もう一人が態度不明。5人が民主に合流して56議席になったとしても、過半数には及ばない。
ふたつめは議員辞職、病気事故死、高齢議員の死亡など不可抗力による議席の自然減と補欠選挙で票が動く可能性。
当選はしたけどやる気のない議員や、党議拘束に服従できない個性派議員が党を飛び出す(もしくは辞職など)可能性が高いのは、むしろ民主党のほう。嘉納昌吉は第二の大橋巨泉になる可能性を秘めている。
3つめは公職選挙法違反。
すでに100人200件以上の「疑わしい候補、行為」について選挙終了後の選挙事務所に捜査が入る予定となっている。
なお、選挙後の公職選挙法違反による議員逮捕、連座制適用による補欠選挙で欠員を出すのは、民主党のほうが多いようだ。
4つめは、民主党の分裂。
上り調子のときに分裂するはずがないというのが一般論だが、のぼり調子ということは所属議員が増えて「精神的にもゆとりができる」ということ。また、大所帯になるということは、党内の主導権争い、派閥争いという目も出てくるということ。小澤一郎が岡田代表の功績を静かに祝うタマかということ。