------ 前夜 ------ 夜。 そろそろ日付が変わろうとしている。 私は、縁側に座っていた。 単に、眠れない。 なぜか、眠れなかった。 あの人が―――― あの人が、気になって仕方なくて。 私は、何も言わず夜空を眺める。 大都会の冬の空は、珍しく透き通っていた。 星がいくつか瞬いている。 もしも鳴滝荘が森の中にあったら、沢山の星を眺められたのに…… そう思っていると。 「……どうしたの、梢ちゃん。こんな夜遅くに……」 「……あ、こんばんは沙夜子さん」 「眠れないの……?」 「ええ……」 声の主は、沙夜子さんだった。 普段から昼寝をしているせいか、夜には強い。 「内職、終わらないんですか……?」 「……いつもの話よ……」 言って、沙夜子さんは私の隣に腰掛ける。 「………………」 「………………」 沈黙が流れる。 先に口を開いたのは、沙夜子さんだった。 「……何か、気になるの……?」 「…………」 その質問は、私の核心を突いているようで。 私の心を、見透かしているようで。 ただ、頷くしか出来なかった。 「……白鳥君、かしら……」 「…………はい」 沙夜子さんは、私の年上。 そして、朝美ちゃんの母親。 私の事も、朝美ちゃんと同じように、手に取るように分かるのかもしれない。 「……この前も、珠実ちゃんに言われました。  『梢ちゃんの話題の半分以上は白鳥さんの話題だ』って……」 「……そうなの……」 「白鳥さん、今日は『バイトを探してくる』って言って、帰ってきてからぐっすりで……」 言って、私は白鳥さんの部屋の方を見る。 「……だから、気になっているのね……」 「ええ…………」 また、沈黙が流れる。 私は、何も言えない。 心の中が、よく分からない。 自分の事なのに、理解できない。 どうしてだろう。 何もしていないのに、頭の中には、白鳥さんがいっぱいになって――― 「―――梢ちゃんは」 また、沙夜子さんが口を開く。 「白鳥君の事が、好きなのね?」 それは、質問文ではなく、付加疑問文だった。 本当―――― この人は、私の事を良く知っている。 「――――はい」 私は、だから、頷いた。 「白鳥さんは、あのとき―――12年前のあの日から、ずっと憧れていたんです。  だから、白鳥さんがここに来ると知った日は―――とても、嬉しかったんです」 私は、心のムワムワを、吐き出している。 誰かに言わないと――― 誰かに言わないと、自分が壊れそうだったから。 「白鳥さんは、私にいつも微笑んでくれました。私にお茶碗をくれました。  一緒に海水浴にも行きました。紅葉狩りにも行きました。私は―――」 「―――私は、白鳥さんの側に居る事が出来て、とても、幸せだった」 「…………」 沙夜子さんは、ただ、何も言わないで私の話に耳を傾けている。 そして。 「なら、どうして、告白しないの…………?」 「――――それは」 それは、触れられたくない所に触られた感覚。 絶対に、触りたくないもの。 私の、パンドラの箱。 「それは、どうしても、できなくて―――告白すると、今までの関係が、  崩れてしまいそうで―――それに、もしも、もしも嫌われたら、私、  そのときが怖くて―――  ―――大切なものを、失ってしまいそうで、怯えているんです」 「…………」 沙夜子さんは、何も言わない。 そして。 「――――大丈夫よ」 言って、私の頭を撫でる。 「白鳥君は、そんな子じゃない―――他でもない梢ちゃんを、嫌うような子じゃない。  白鳥君だって、梢ちゃんの事が、好きなはず。だって―――いつも、側にいるから」 「沙夜子さん…………」 「それに、長い間待ち焦がれていたのなら、それに見合う幸せがその先に待っているものよ。  うふ、まるで、織姫と彦星――――あるいは、葵と薫かしら」 なぜだろう。 いつもぼうっとしている沙夜子さんが、どうしてお母さんに見えるんだろう――― どうして、こんなに、優しいんだろう。 「―――さあ、もう寝なさい。明日もあるわよ」 「――――はい、おやすみなさい、沙夜子さん」 今日は、もう寝よう。 白鳥さんの幸せを願って。 沙夜子さんの優しさに感謝して。 そして―――みんなに、ありがとうと言って。 「―――あ」 ふと、私は立ち止まる。 「ひとつ、訊いていいですか、沙夜子さん」 「……なあに、梢ちゃん……」 「沙夜子さんは……旦那さんに、何て告白されたんですか?」 「…………」 沙夜子さんは、きょとんとして。 不思議そうに、私の顔を見て。 そして、微笑んで、言った。 「――――『俺と、朝美と一緒に暮らさないか』って」 「そうですか……」 「どうか……したの……?」 「いいえ、何でも。お休みなさい」 「お休み…………」 ◇ 梢ちゃんと別れて、私は自分の部屋に戻ろうとする。 そこに。 そこに、灰原さんがいた。 「―――どうだった、梢は」 「…………大丈夫よ、あの子は。自分の部屋に戻ったわ」 「そうか……」 言って、灰原さんは煙草を一服する。 暗い空間に、白い煙が映える。 その煙は―――苦い。 それは、私には、堪えるものだった。 「なあ沙夜子……」 「……なあに……?」 「お前から見て―――母親の眼で見て、あの二人は、幸せになれるのか?」 「…………」 あの子の病気。 解離性同一性障害。 治るかどうかも分からない。 でも―――――― 「――――大丈夫よ。あの子達は、絶対に幸せになれる。  私みたいな、不幸な人生を―――絶対に歩んでほしくない。  私が、それをさせない」 「沙夜子…………」 自分の轍を踏んで欲しくない。 それは、親心。 それは、老婆心。 そして、贖罪。 「……そうか、お前がそう言うなら大丈夫だな」 「………」 「俺は――――梢を、小さい頃から見ている。あの子は、あまりにも無垢だ。  でも、あいつなら、白鳥なら、梢を支えていける。  あいつだったら、亡き蒼葉夫妻にも、申し訳が立つさ…………」 「…………」 「もう寝ろ。明日も、内職があるんだろう?」 「……ええ、そうするわ」 私は、自分の部屋に戻った。 部屋では、朝美が寝ていた。 当然だろう。 試験勉強と平行して内職をしていた。 無理が祟って、疲れが一気に出てしまったのだろう。 「…………」 私は、朝美の頭を撫でる。 朝美にも、私の轍は踏ませたくない。 だから。 「―――今日ぐらいは、私も頑張るね、朝美―――」 ◇ 「なあ、蒼葉さんよ――――」 俺は、縁側に座り、そこにはいない人に、話し掛けていた。 「梢は、幸せになれるのか?」 それは、さっき沙夜子にもした同じ質問。 「―――――――――――」 答えは返ってこない。 でも。 風の音が、それを物語っていたから――――― 「――――だろうな。でなきゃ、俺も、あんた達も、あの子達も、報われないしな」 俺は、酒を一杯飲んだ。 冬の寒空に、冷たい日本酒が、身に沁みた。 <>is continued to "No.39". 540 名前: 前夜(アトガキ) [sage] 投稿日: 2005/06/28(火) 22:45:12 ID:6YqH1MPP 夜だけに、静かな作品に仕上げました。 沙夜子さん、随分と饒舌になっちゃいました…… まあ、これぐらいはよしとして。 設定上は12月18日、つまり告白の日の前日です。 このまま、梢サイドで第39話に繋げる事も出来るのですが…… 流石に二番煎じかorz