誰よりも愛した人。 誰よりも愛してくれた人。 けれど、あの人は、もういない。 死んでしまったから。 事故で死んでしまったから。 だから、あの人は、もういない。 何度も後を追おうと思った。 けれど。 私にはあの子がいた。 愛するあの子が。 私を愛してくれるあの子がいた。 だから。 生きる。 私の残りの人生は、あの子の為に生きようと思う。 あの子の為に。 あの子が望むことを。 一番欲しいだろうモノはわかっている。 「…朝美……お父さん欲しい?」 「いっぱい欲しい!!」 …………???どーゆうことかしら??? 時刻は深夜。 よい子はもう寝る時間ではあるのだが。 中学一年生のよい子、黒崎朝美は寝ることなくせっせと内職に励んでいた。 もちろん理由がある。 母、沙夜子のいつものサボり癖+大量隠匿のせいだ。 内職の期日は明日の朝一。 朝美はフルスピードで作業を進める。 「…朝美……お父さん欲しい?」 「いっぱい欲しい!」 とにかく今は人手が欲しい。 母の言葉の意味はよくわからないが今は父でも猫でもなんでもいいから手を借りたい。 「ほらお母さんも手を動かして!」 「うん……」 返事こそ素直だが沙夜子の作業は極めて遅い。 「ううう〜……無理だよ〜…ぜったい終わらないよ〜……」 珍しく朝美が弱音を吐く。 だが神はよい子を見捨てたりはしない。  コンコン 不意にノックの音。 「はーいどうぞー」 「こんばんは」 そう言って入ってきたのは白鳥隆士。 「お兄ちゃん、こんな時間にどうしたの?」 「うん、内職が大変そうだって桃乃さんが言ってたからちょっと気になって。 あ、これさし入れ。朝美ちゃんにはプリン、沙夜子さんには水ようかん」 「わ〜!ありがとうお兄ちゃん」 「水ようかん…」 笑顔を見せる二人の様子に隆士も笑顔。「それ食べて休憩しなよ。根を詰め過ぎると身体に毒だよ」 「でも仕事が」 「僕も手伝うからさ。少し休もう?ね?」 「え、でも……」 申し訳なさそうに俯き加減で隆士の顔色を窺う。 「わがまま言えるは子供のうちだけの特権だよ。 朝美ちゃんはいつもいい子にしてるんだから。少しはわがまま言ってもいいんだよ」 そう言って、隆士はまたにこりと微笑む。 朝美はきょとんとしていたが、 「私もう中学生なんだから。子供扱いしないでよお兄ちゃん」 言葉こそ拗ねている様だが顔は笑っている。 「ごめんごめん。そうだね、子供扱いしちゃダメだね。 お詫びに仕事手伝わせてもらっていいかな?僕明日は学校午後からだし」 「うん。ありがとうお兄ちゃん」 ニコニコ笑顔。 そんな二人の様子を沙夜子はじっと見つめていた。 その後、三人は(まあ沙夜子はほとんどずっと寝ていたが)頑張った。 途中で朝美はウトウトしまったのだが、その分は隆士が頑張った。 なにはともあれ、朝には全作業を終わらせる事が出来た。 「お兄ちゃんありがとう。ごめんね、私途中から寝ちゃってて」 「いやいや、朝美ちゃんは学校があるんだから。少しは休めた?」 「うん」 「よかった。あ、学校の時間はまだ大丈夫?」 「ああっ!もう行かないと!」 慌てた様子で学校の準備をする。 「お母さん、親方さんが荷物取りにきたらお願いね。それじゃあいってきまーす!」 「いってらっしゃい…」 「気をつけてね」 短い睡眠時間ながら元気に出かける姿を沙夜子と隆士、手を振って見送る。 見えなくなった所で隆士は「う〜ん」と大きく伸びをする。 「さて……学校の時間までひと眠り――」 しようかなと思ったのだが……視線を感じる。 「…沙夜子さん?」 無言でジーッと見つめられる。 「どうかしました?」 「……(じ〜)」 「えっ〜と……お、おやすみなさい!」 無言のプレッシャーに耐えかねて自室に逃げ込む。 「なんだったんだ、いったい?僕なにかしたかな?」 昨夜の自分を振り返ってみる。 視線を向けられるような事はしていない……と思うが、なにぶん寝不足で頭が動かない。 「……寝よう。起きてから考えよう。それでもダメならまた聞けばいいし」 目覚ましをセットし、布団に潜り込む。 「おやすみなさい」 そう言って目を閉じる。 至福の一時。 隆士はすぐに眠りに落ちていった。 隆士が寝ついて小1時間。 ドアを開け、部屋の中に不法侵入する人影。 沙夜子だ。 いつもの、何を考えているのかよくわからない表情のまま寝ている隆士に近寄る。 寝顔を覗きこむ。 じっと眺める。 凝視する。 「……」 何を思うのか、その表情からは読み取れない。 しかし、瞳にはいつになく強い光。 沙夜子は布団の上に乗る。 「ううう……」 下敷きにされた隆士がうめきを上げるが、起きそうにない。 沙夜子は隆士の髪を触る。ちょっと強めに引っ張ってみる。 「んん……」 まだ起きそうにない。 沙夜子はさわさわと頬に触れる。 「んむ…」 まだ起きない。 ぎゅぅっとつねった。 「いたたっ!……な、なんだいったい?……あれ?沙夜子さん?」 自分の上に乗っかる沙夜子を見つける。 「あの……とりあえずどいてもらえますか?」 「いや…」 「『いや』っていわれても…」 困り果てる隆士。 普通に乗っかられているのなら力技でなんとでも出来るのだが、 布団があるため手足にかなりの制約があるためどうにも出来ない。 「沙夜子さん……いったい何が目的なんですか?」 「……」 「……」 「……」 無言で、至近距離で見詰め合う。 雰囲気に耐えかねた隆士が口を開こうとした時、 「…朝美に、作ってあげたくて」 ポツリと零した沙夜子の言葉に隆士、少々驚く。 朝美の為に……というか、沙夜子が積極的に何かをするというのがかなり珍しいからだ。 「作ってあげる?なにをですか?」 「お父さんを作ってあげたくて…」 「そうですか。朝美ちゃんのためにお父さんを……ん?」 隆士、ここにきて不穏な雰囲気にようやく気付く。 「朝美ちゃんにお父さんを?」 「そう…」 「だれがお父さんに?」 自分を指差される。 「ちょっ!なんでそうなるんですか!?」 隆士大慌て。 「朝美もあなたには懐いてるから…」 「そーいう問題じゃないでしょう!?」 「朝美が、嫌い?」 「そーじゃなくて……あ!亡くなった旦那さんの事はいいんですか?」 隆士の言葉に、沙夜子がピクリと反応する。 ここぞとばかりに隆士はさらに続ける 「まだ好きなんじゃないですか?旦那さんの事」 「ええ…あの人のことは……好き…大好き……心の底から愛してる……これからも…ずっと…」 静かな声。 だが、秘められた想いは限りなく強い。 その証拠に、隆士は何も言うことが出来ないでいた。 沙夜子は続ける。 「でも……私は……朝美のことも愛してるから……あの人はもういないから…… 朝美の為になるなら……朝美が望むのなら…私は……」 そう言って顔を近づけてくる。 「待って!待ってください沙夜子さん!」 手は動かせない。 ならば口で動きを止めるしかない。 「とにかく落ちついてください。 朝美ちゃんの事を想うならもう一度考えてください。 朝美ちゃんは言ったんですか?本当に望んでいるんですか?お父さんが欲しいと」 「あの子はなにも言わないわ……優しい、いい子だから…」 「それは……わかります。本当にいい子です」 いつも笑顔で、明るい、優しい子。 「だから…私が……私が…」 意を決したように、一気に顔を近づける。 顔を近づけて何をしたいかなんて言うまでもない。 父になれとは夫になれということ。 夫婦の契り。 「う…わぁぁ!!」 唇が触れる寸前。 隆士はあらん限りの力で沙夜子を跳ね除ける。 ころんと畳の上を転がる沙夜子。 一方の隆士は壁際まで退避し、緊張と瞬間的肉体酷使の為に荒くなった息を落ちつける。 そんな隆士に沙夜子はにじり寄る。 「だから待ってください!沙夜子さん!」 「…私が…嫌い?」 「っ!?」 隆士の顔が歪む。 「嫌い…なの?…」 「そんなこと…ないです」 「じゃあ……お願い…朝美の為にも…」 沙夜子はさらににじり寄ってくるが、 「…ダメです」 隆士は沙夜子の願いを拒否する。 「沙夜子さん、本当に朝美ちゃんは喜んでくれるんですか?」 「??」 「あなたが朝美ちゃんの為に何かをしたいと思うのは立派な事だと思います。 けど。そのためにあなたの意志が踏みにじられたなら。 朝美ちゃんは喜んでくれると思いますか?」 「……」 「違うでしょう?さっきあなたも言った通り、 朝美ちゃんは優しいいい子なんですから。きっと悲しみます」 「あ…」 考えに至ったようで、沙夜子は小さく声を上げる。 「もし…もしですよ?もしも、本当に、沙夜子さんが……その…僕の事を… その…す、好きになってくれるのなら…僕だって色々考えますけど。 今の状況では誰も幸せになんかなれませんから。だから……ごめんなさい」 深深と頭を下げる隆士。 そんな様子をじっと見つめていた沙夜子も。 「…ごめんなさい…」 頭を下げた。 「いえ、わかってもらえてよかったです。 でも、どうして急に朝美ちゃんにお父さんを…なんて考えたんですか?」 「これ…」 沙夜子がポケットから出したのは四つ折りにされた紙。 もとは丸めてゴミ箱にでも捨てられていたのか、くしゃくしゃになっている紙。 受け取り、内容に目を通し、隆士は納得。 「なるほど……だからですか」 コクリと頷く。 「大丈夫ですよ。これなら僕にもきっと力になれると思います」 首を傾げる沙夜子に、隆士はまた笑顔を浮かべた。 見る者をも優しい気持ちにさせる笑顔を。 その日は日曜日だったが朝美の通う中学校は賑わっていた。 今日は父兄参観日。 娘息子の学校での姿を見ようと休日を利用し父兄がやってくるのだ。 家族に見られる緊張と、気恥ずかしさのためか。 どのクラスのどの生徒も妙に浮ついている。 けれど例外はある。 例えば朝美のように父と死に別れていたりする場合。 朝美にとって父兄参観はあまり楽しいものではい。 小学生のころから誰も来てくれないから。 友達が自分の父を、兄を自慢したりするのを羨ましげに見ているだけだったから。 今日もそうだと思っていた。 けれど。 何気なく後ろを振り返ったとき。 彼の姿が飛びこんできた。 (お兄ちゃん!?) 下宿先の、優しい住人の姿。 朝美と目が合うと、彼はこっそり手を振ってくれた。 (なんでお兄ちゃんがここに!?) 「じゃあこの問題は…坂下に大田原に――黒崎、前に来てやりなさい」 「あ、はい!」 考える間もなく教師に当てられ黒板へ向かい、後ろを気にしながら問題を解く。 得意な数学だったので一番に式と答えを書き終わる。 「できました」 「ふむ…よーし、黒崎正解だ。難しい問題なのによく出来たな」 誉められて席に戻るその途中、隆士を見ると。 彼は笑っていてくれた。 (なんだろう…なんだか凄く……) 嬉しかった。 彼の前で答えられた事が、誉められた事が。 そして背後から感じる視線。 見守られる感覚。 妙にくすぐったく、心地よい。 (そっか……だからいつもみんなあんなに緊張してたんだ) 朝美にもやっと理解できた。 (お兄ちゃん……ありがとう…) そんな朝美の心を知ってか知らずか。 隆士は朝美の後ろ姿を優しく見つめていた。 「お兄ちゃん!」 授業も無事終わり、下校の時間になると朝美はすぐさま隆士の元へ。 「やあ朝美ちゃん。ごめんね、家族でもないのに来ちゃったりして。 でもどうしても朝美ちゃんが頑張ってる所が見たくて」 「ううん!そんなことないよ!わたしすっごくうれしよ! ありがとうお兄ちゃん」 そう言って。 感極まったのか、隆士の胸に飛び込む。 「でもどうして?どうして今日父兄参観があるってわかったの?」 「沙夜子さんが教えてくれたんだよ。あ、そうそう。 校門で待ってるから一緒に帰ろうって」 「お母さんが?」 「うん」 校門に行ってみると門柱の影から校庭を伺う人の姿。 「お母さん!」 朝美は母を呼び、駆け寄り、胸に飛び込んだ。 「朝美…」 「…ありがとう……プリント見せずに捨ててごめんね」 朝美の謝罪になにも言わず。 そっと頭を撫でた。 ギュッとよりいっそう強く抱きつく朝美。 二人の間に血の繋がりはない。 けれど、間違いなく家族。 母と娘。 いまどき実の親子でもこれほどの信頼で結ばれてはいないだろうに。 (朝美ちゃんは沙夜子さんが。沙夜子さんは朝美ちゃんが。 お互いが本当に好きなんだなぁ) 微笑ましい気持ちで二人を見守っていた隆士。 「じゃあ、帰ろうか。みんなにも朝美ちゃんの活躍を聞かせてあげたいしね」 「ええ!?わ、私そんな活躍なんてしてないよ」 「沙夜子さん、朝美ちゃん凄いんですよ。 先生に当てられた時一番最初に正解したんですから」 「わわわ!言わなくていいよお兄ちゃん。恥ずかしいよ〜」 「えらいわ、朝美…」 「そんなことないってば〜」 仲睦まじく、手を繋いで帰る三人は間違いなく家族。 いや、三人だけじゃない。 家路の先にある、あの場所にいるみんなが家族。 だから、玄関をくぐる時こう言うのだ。 「「「ただいま〜」」」  END 257 名前: 名無しさん@ピンキー [sage] 投稿日: 2005/06/04(土) 14:19:07 ID:rN0Yyoz9 終い。 ちょっと各々別人な気がしないでも。 難しいです。