------------- 冬の終わり ------------- 「お母さん〜、どこ〜?」 朝美の声が聞こえる。大方、沙夜子が逃げ出したのだろう。 黒崎親子。 あの若さであれだけの苦労をしているのは、日本広しと言えど、彼女達しか考えられない。 俺は、いつものように釣りをしている。 鳴滝荘にある池。 健在だった頃の梢の両親曰く「昔は鯉を泳がしていた」とか。 無論、今は魚などいない。 では何故釣りをするか。 釣りをしていると、何も考えなくなれるからだ。 しかし、今日は何か変だ。 朝から珍しくどんよりとしている雲が、自分の心持を代弁しているようだった。 どうしても、集中できない。 仕方なく、朝美のほうに視線をやる。 ―――朝美、か――― 俺の娘が亡くなったのも、あの年頃だったか――― 俺は、作家だった。 あの頃は、小説界も活発だった。 松本清張、山村美紗、西村京太郎、森村誠一。 そういった昭和を代表する作家達が一同に会した時期でもあった。 俺は、学生文壇から小説界にデビューした、若造だった。 それでも、俺の作品は次々に売れて、「若き日の石原慎太郎」という声もあった。 俺は、20代前半にして、名声も金も手に入れた。 しかし、何かが足らなかった。 俺には嫁がいた。 気立てのいい、正しく大和撫子を具体化したような感じだった。 ただ、気が弱く、占いに完全に頼り切ってしまっているのが難だった。 新婚の頃は、俺も然程気にならなかった。 執筆活動に熱中していたせいもあるのだろう。 後で、それが俺の人生を変える原因になろうとも知らず――― 俺とあいつの間に、男の子を授かった。 それは、とても可愛かった。 初めての子供。 俺は、たくさんの愛情を注いだ。 否、注ごうとした。 30年前。 冬のある日。 散歩から帰ってくると、子供がいない。 あいつに訊いた。 「あの子は、どこだ?」 あいつは答えた。 「―――あの子は、養護施設に出しました―――  ―――占いで、そうお告げがあったから―――」 俺は愕然とした。 占いで、子供を、養護施設に、出す、だって――――? どこにそんな占いがある。 俺は問いただした。どこに預けたのか、と。 しかし、あいつは言わなかった。 それどころか、俺をさらに驚かせる事を言い出した。 「―――また、子供が出来てるの―――」 二人目は女の子だった。 俺は、真奈美と名づけた。 俺は―――最初のあの子への贖罪の意味も込めて、この上ないまでに大事にした。 溺愛した。 それこそ、宝物のように。 あるいは、恋人のように。 それから暫くは、平穏な日々が続いた。 俺は、昔から腹話術が得意だった。 隠し芸にするわけでもなく、俺は真奈美と遊ぶときに腹話術を使った。 口を全く動かさず、それなのに話せると言う芸を見た真奈美は喜んだ。 「お父さん、すごい!」と。 俺は、真奈美の笑顔を見ると幸せになる。 執筆活動の傍ら、俺は腹話術の技術向上に時間を割いた。 全ては、真奈美のために――― 真奈美の未来のために――― しかし、そんな幸せな日々も終わった。 17年前。 冬の寒い日、中学一年になった真奈美は交通事故で死んだ。 相手の居眠り運転が原因の、事件だった。 真奈美の未来は、絶たれた。 真奈美の訃報を聞いたあいつは、とうとう気が狂った。 元々気が弱かった上に、心の支えでもあった子供を失ったあいつは、 正しく後を追うように自殺した。 養護施設に出したという、あの子の行方も言わずに。 そうして、俺は一人になった。 手元に残されたのは、自分が積み上げてきた膨大なお金と、 何とも言えない空虚な心だった。 それからは、仕事も手に付かなかった。 作品を書いても売れず、スランプが続いた。 俺は悩んだ。 このまま小説を書いていていいのか、と。 ボロボロの精神で、何が出来るのか、と。 そんなときに声を掛けてくれたのが、蒼葉一家だった。 蒼葉夫妻は、俺が若い頃からの付き合いだった。 俺に、蒼葉夫妻が切り盛りするアパートに移らないかと提案してきた。 最初は乗り気ではなかったが、結局移り住むことにした。 10年前。 そうして俺は、鳴滝荘に移った。 入居するとき、一人の女の子に出会った。 当時6歳の、蒼葉梢だった。 入居してから暫く、梢は俺に懐かなかった。 まるで、怖い物を見るような顔をしていた。 それだけ、俺の顔がボロボロだったのだろう。 あの子には――― あの子には、笑顔でいて欲しい。 真奈美が死んで以来、久しくやっていなかった腹話術をすることにした。 「よう、俺は流星ジョニー!よろしくナ!」 「うわー、すごーい!」 それが、俺が初めて見た、梢の笑顔だった。 そして、俺の分身――― 「流星ジョニー」が、誕生した瞬間だった。 そうして、日々が過ぎていく。 入居者の入れ替わりも頻繁に起こった。 そんな中、黒埼親子が入居し、珠実が入居し、恵が入居し、 そして、今年、白鳥が入居した。 俺は、鳴滝荘の古株となったわけだ。 でも、50を過ぎた今でも、あの子の行方は判らずじまいだった――― 夜。 縁側で一人、焼酎を飲む。 しかし、気分が乗らない日の酒ほど不味い物はない。 いつもは横にいるはずの恵も、今日は午後から体調を崩して寝ている。 だから、一人。 愚痴をこぼそうにも、こぼす相手がいない。 酒の肴になりそうなものも無い。 今日はホドホドにして切り上げるか――― そう思い直した時。 ドアの開く音がした。 音の主は、白鳥でも梢でも、珠実でもない。 朝美だった。 日付も変わろうとしているのに起きているのは、内職が終わらないせいか。 宿題をする暇はあるのだろうか、と何となく考えていると… その異変に気付く。 いつもの、朝美らしさが、無い。 疲れている、という訳ではない。 むしろ、世の中に疲れた、とでも言いたげな顔。 中学1年生の女の子には似合わない。 声を掛けずには、いられなかった。 「―――朝美」 「あ、灰原さん、こんばんは」 「こんな時間まで内職しんのか」 「うん―――いつもの事だけど、お母さん、サボっちゃったから」 「そうか」 「でも、大丈夫だよ。徹夜にも慣れてるし」 「…………」 この齢で徹夜に慣れた。 ある意味、悲しい響きだ。 それが内職なら尚更だ。 「お前、そんなんで勉強とかは大丈夫なのかヨ」 「うん、学校の友達が色々教えてくれるから、今は大丈夫」 「今は、か……」 今は中学1年生。 でも、この生活がずっと続くとしたら――― きっと、取り返しがつかなくなる。 俺は、前から思っていた事を訊いてみる。 「朝美、お前は将来の夢は何だ?」 「…将来?」 思いもしない事を訊かれ、きょとんとする朝美。 「それって、どういう…」 「まあ、お前が将来やりたい事は何かって事だ」 「将来、か…」 少し考える朝美。 「うーん…今は、特にしたいってものはないかな。  お母さんといられれば、それでいい。一緒にいれば、私、幸せだから」 「そうか…今はそれでいい。  でもな、将来があるって事は、とても大切なコトなんだ」 「大切な事…?」 「そうだ―――将来を奪われた子だって、いるんだからナ」 「え…?」 それって、どういう事―――? そう言おうとした朝美は、絶句する。 何故なら。 俺がが、灰原由起夫が、流星ジョニーを外していたからだ。 「え、灰原さ―――」 「―――俺にはな」 俺は、自分の口で、話し出す。 夜空は、相変わらずどんよりしている。 「二人、子供がいたんだ…男の子と、女の子。でも、今は―――いない。  男の子は養護施設に出されて―――女の子は、事故で死んだ」 「事故―――」 事故という言葉に、朝美が反応する。 ―――私のお父さんも、事故で死んだ――― 「丁度、朝美ぐらいの歳の時に死んじゃった。冬の、寒い日だった。  あの子には、未来が―――将来が、あったのに―――  生きていれば、沙夜子と同じ位の歳だったろうな。  好きな事も、たくさん出来ただろうに―――」 俺は―――何を、しているのだろう。 こんな、子供相手に、なぜ身上話をしているのだろう。 本当は、知らなくてもいいのに。 本当は、こんな苦労を背負わなくてもいいのに。 「―――おっと、何か変な話をしちゃったな。悪かったな」 相当酔っているんだろうな――― そう言って、俺は朝美を向く。 朝美は泣いていた。 「―――朝美」 「灰原さん、何か、可哀相―――自分の子供に、先立たれるなんて。  でも―――灰原さんって強いんだね。そんな目に遭っても、泣かないなんて」 「いや―――そんな事は無い。俺だって、そんな強い男じゃないよ。  それに、このジョニーだって、子供がいた頃の名残だからな」 「え―――そうなの?」 「ああ。子供が喜んでな、それで頑張ったものだよ。  結局、無駄になってしまったけど」 「そうだったんだ……」 朝美は、それきり、黙ってしまった。 俺も、黙ってしまった。 重い空気が漂う。 それは、あまりにも、俺にはきつい物に思えて――― それを、この娘には、味わいさせたくなかったから――― 「―――だからな、お前には、人生を大切に生きて欲しいんだ。  父親を亡くしたお前なら、その意味が解るはずだから。  俺には何も出来ることはないけど―――でも、何かあったら言ってくれないか。  辛い時はさ、俺でも、白鳥でも、梢あたりでもいいから、話すんだ。  そうすれば、楽になるから」 俺の手に、ペンは無い。 あるのは、ただの腕人形だけ。 だから、俺が出来ることは、見守る事ぐらいだ。 でも、この子の力になりたい――― 「―――うん、何かよく分からないけど、そうするね。  ありがとう、灰原さん」 「―――ああ」 俺は、朝美に微笑む。 ようやく、朝美らしい笑顔が戻ったからだ。 「―――え?」 私とお父さんの思い出は、数えるほどしかない。 でも、よく憶えているのは、お父さんの笑顔。 私といる時は、いつも笑顔だった。 そんなお父さんが、私は大好きだった。 もう、その笑顔に出会える事は無いと思っていた――― でも。 灰原さんの笑顔が、お父さんに見えた――― なんで。 そんなまさか。 有り得るはずがない。 でも。 もしも、あの子が、お父さんなら―――灰原さんは――― 「―――灰原さん」 「ん?」 ふと呼ばれて、俺は朝美に目をやる。 「―――泣いても、いいかな」 「――――――ああ」 そう言うと、朝美は俺の胸に飛び込んできた。 「――――朝美?」 「――わた、し―――たいへ、だった―――  さみ、かった――――ふたり、きり―で――  お父さ、に、逢いた、ても、逢え、な、で―――  いま、は、さみし、ない、け、―――で、も、―――  ―――――逢いたかったよ、お父さん―――――」 泣きじゃくる朝美。 俺は―――何も言わず、抱きしめる。 17年間、忘れていた、この感覚。 それを、今、噛みしめている。 だから、彼女に、幸あらんことを―――― この苦労に見合うだけの、幸せを。 翌朝。 「ああ、何してんのお母さん!」 「…大丈夫よ、箱の中が出ちゃっただけだから。  それよりも、そろそろ学校へ行く時間じゃないの?」 「ああ、そうだった!  行って来ます、お母さん!」 「気をつけてね…」 部屋から、朝美が出て行く。 「……」 残された沙夜子は、写真を手に取る。 古ぼけた、あの人が写っている写真――― 沙夜子は、それを、ぎゅっと、抱きしめた。 「お、朝美か。おはよう」 朝美と出会う。学校へ行くようだ。 「おはよう!ああ、学校に遅刻しちゃう!」 急いで玄関に向かう朝美。 「―――ああ、そうだ」 ふと、朝美が俺を向く。 「行って来ます、おじいちゃん!」 「…………ああ、行ってらっしゃい」 そうして、朝美の姿が消える。 廊下には、俺だけがいる。 「……おじいちゃん、か……」 ―――――親父、朝美は幸せですか―――――? 「…………?」 ふと、そんな事を言われた気がする。 でも、周りには誰もいない。 気のせい、だろうか。 でも。 「―――あの子は、幸せに暮らしてるぞ―――  天国で、沙夜子に感謝するんだな」 俺は、誰にともなく、そう呟いた。 もうすぐ春がやってくる。 それは、俺のあの冬にも、終わりを告げそうだ。 <>is the end. 297 名前: 冬の終わり(アトガキ) [sage] 投稿日: 2005/06/05(日) 00:04:55 ID:5JVujY8d …燃え尽きたぜ、真っ白に…OTL 本当に、後半がボロボロです。呪われました(違 何か、フラグがない分、好き勝手に書いてしまったから、この結果に… ええ、何とでも言ってください。 流石に難易度が高かった…小島さんももう少しバラさんを大切にしようよ… と、思うまで。 週末はゆっくり過ごすぞー、なテイルでした。