今週のつぶやき
4月22日〜4月28日
先週の記事の事柄は突飛過ぎましたか?
突飛だったと、僕は思い始めています(汗)。
ゲームの影響力について、みんな考えて欲しい、特に、まず製作者の方が考えて!
という思いがあって書きました。
で、僕が怖いのは、暴力系のゲームを遊んで
『人を殴ったり殺したくなってやりました』っていう事件が起こるのが怖い。
『それは考え過ぎだよ』という反論が浮かびましたか?
飛躍し過ぎだと思いますか?
何年か前に、各塔ゲームのバーチャファイターの技を
かけたくなってやったという事件がありました。
で、先週の例に挙げたバイオハザードで時々反論を頂くんですが、
『ゲームじゃないですか』という意見。
僕がゲームに出会ったのは、小学生の時ですが、
まだ認知度も低く、他の事して遊ぶのが多かったです。
ゲーム自体も単純でそんなストーリー性の強いものはなかったです。
で、今の子どもって生まれた時にはもうゲームあるんですよ。
学校の勉強とかだとムリヤリやらされるので好きだって人いないですよね?
趣味の音楽などで好きなアーティストやマンガのキャラの
言葉に賛同したりしませんか?
いわゆるサブカルチャーとしての影響です。
問題の根本は、子どもって例えばゲームで言っている事が
良いか悪いかの判断がつきません。
一概に言い切れないのですけど。
今週は短めですが、
僕も上手く考えがまとまらなかったです。
申し訳ない。
4月15日〜4月21日
先週分の記事の続きの暴力表現についてです。
H表現に対して、暴力に関しては規制が甘いと思う。
CDケースに付くシール1枚です。
で、基準はソフトによってまちまち‥‥。
で、バイオハザードを例にとって挙げます。
断っておきますが、僕、バイオは良いゲームだと思ってます。
ゲームを1本通して遊んだ事はないですが、ヘッドホンをしたり、部屋を暗くしたり
それなりに楽しんでいました。(怖いけど(爆))
が、ある時、雑誌にカプコンの製作陣のインタビューが載ってました。
そこにスゴク悲しい事が書いてありました。
いわく‥‥
「今回は、仲間を殺さないと(お客が)納得しないので、殺しました」
と言った事で、コレがショックでした。
僕はゲーム自体、お客がお金を払って楽しんでもらう以上、
サービス業だと思っています。
だから、会社が客に楽しんでもらうため最善を尽くすのは当然ですが、
暴力表現って暗いテーマなので考えて欲しい。
凶悪犯罪がたくさん起こっていますが、
犯罪者の紹介をニュースでする時に
テレビゲームが好きでホラー物のゲームの
ケースが写っているとツライです。
オタクを語るテレビでビデオやマンガ、そしてギャルゲーとかを
遊んでいるとか紹介される時もツライのも同じ感じでしょうか?
どうして製作者の言葉が辛かったか、上手く説明できなかったのですが、
以前観た水口 哲也さんのテレビでの言葉で納得しました。
「オレは、人間の負(マイナス)の感情を刺激するゲームは創りたくない」
と言っていました。
確かに、キャラが死んだりすると、簡単に心が動くと思います。
ショッキングという意味で。
具体例を挙げます。
ファイナルファンタジーが嫌いな人の理由の1つに
登場キャラが死ぬのがイヤだというのがあります。
「涙を誘おうと(製作者が)狙っている」と。
どうしてイヤなのか?
パターンだからとか理由がありますが、
まず、悲しかったり、ツライ気持ちになりますよね?
敵役でないメインキャラで死んで良かったというキャラはいませんよね?
何より自分が心を砕いて育ててきたキャラが死ぬ
(=いなくなる、消える)なんてツライです。
コレが、負の感情を刺激する事だと思います。
ある意味、製作者の計算した刺激です。
僕はFFは7しか通して遊んでないけど、
気持ちに余裕があるときしか、ロープレ系統は遊びません。
たかがゲームですが、自分の全能力を使って遊んでいるので
ショックを受けると、結構ガーンってきます。
エンディングを迎えてゲームが終了した場合でも、
僕は脱力感でボーっとするくらいですから(笑)
結論として言いたいのは、
僕は、製作者が心無い発言をするのがイヤです。
何より、ゲームもメディアの1つで
いま、身近に影響を与えるメディアです。
影響を考えて欲しいです。
バイオの製作者の発言は考えてない事が悲しかったんです。
現在、テレビゲームを知らないって人はいないです。
遊ばないという人はいても、ね。
ギャルゲーも暴力系もキチンと考えなきゃいけない。
ハードメーカーが規定を決めるとソフトメーカーが
抜け穴を考えるからとか言って決めない場合じゃないと思います。
たとえ規制を通っていても、
「こんなの自分の子供にみせれないよなあ」
ってゲームありますよね?
誰が考えてもダメだと分かるのがある。
子供だからダメだけでは、子供はわからない。
何でダメかを教えて考えて、分かる様に持っていくべき。
子供ってすぐには分からないから、それはもう気長に。
無論、ハードメーカー、ソフトメーカー、お店だけに任せるのでなく、僕らも考えるべき。
現代社会の問題の根本は、効率を求めすぎてムダを認めないからだと思う。
人には固体差があって、すぐに出来る人もいれば、出来ない人もいる。
出来ない人を切り捨てていくから、キレる人が出てくると思います。
以前、雑誌でスゴイ投稿を見ました。
「僕は12歳ですが、18歳推奨のゲームを買おうとしたら
お店の人が売ってくれませんでした。
僕はお金持ってるのに」というもの。
感心したのは、その後で掲載雑誌に賛否両論出ました。
その過程が大事だと思います。
ただダメって決めつけるのでなく、何でダメかを考える方向に持っていったから。
今回のテーマだと、自分の教育観が出ます。
人によって受け取り方が違うので難しいです。
4月8日〜4月14日
今週は、最近、僕が遊んでいる『ギャルゲー』について書いてみようと思います。
このギャルゲー、大体のジャンルがADV(アドベンチャー)になっています。
遊んでいる僕が言うのもなんですが、厳密にはADVとは言わないと思います。
チョット前『つぶやき』に書きましたが、
NECインターチャネルのプロデューサーが、
「童話を創っているようなもの」と言った事が印象に残っていますし、
とある掲示板でのレスに、
「今のADVって絵本です」というお返事を頂きました。
両者とも同じ事を言っています。
NECインターチャネルのADVのラインナップを見ると解りますが、
上の言葉の重みがあります。
何しろ、そのジャンルの一番手が言っているのですから。
Kanonとか遊んでみれば解りますよ。
ゲームって所詮、架空世界の出来事なのですが、
今のゲームって現実感を持たせるために努力しています。
EVEが人気があるのは、
ゲームという架空世界でありながら、徹底的な細部への設定のこだわりから
現実感を持たせる事に成功しているのに反論はないと思います。
でも、僕はEVEをADVではないと感じています。
なぜなら、詰まってもコマンド総当りで終えられるからです。
僕はパソコン時代のコマンド入力ADVから出発しているので
厳しく見れば今のコンシューマのADVはADVとは思えません。
ノベルみたいな物でしょうか?
家庭用機では、『あるゲー・リクエスト』に挙げた
『この世で恋を唄う少女・YU−NO(サターン)』が
パソゲーの香りがします。あとは『街』とか。
YU−NO、詳しくは『あるゲー』で書きますが、
ヒントが見つけにくい(ないのではない)のです。
今のゲームは大抵ヒントがあるのですが、
ない事にYU−NOは衝撃を受けましたし、解いた時の喜びは格別です。
チョット脱線‥‥。
さて、PCゲームとコンシューマゲームの違いは、
キーボードと十字パッドの入力装置の違いです。
(最近のPCゲームはマウスが多いですけど)
さらに脱線してますね(汗)戻さないと(滝汗)
所詮ゲームだから、絵本でいいとは思っていません。
高いお金使って遊んでいるのですから。
家庭用ADVを遊んでみれば、なんか物足りないのです。
安易にエロ・暴力に走るというのも遊んでて詰まらないですが、
どう考えても『何かあった』と思わせぶりなのに、
そこだけ抜けていて何にもないというのもイヤです、
贅沢ですけど。
逆にEVEなんか全年齢で出てますが、
ほとんど変更なしのPC版はR指定(15歳以上用)です。
サターンのYU−NOなんか、乳首とあえぎ声がないだけで
よく審査を通ったなとマジで考えました。
物語性さえあれば通るんでしょう。
そう言って、ハードメーカーを苦労して説得したんでしょう。
↑といった事をEVE バーストエラーのインタビューで言ってました。
大体のソフトメーカーは説得できないと諦めていますし、
ギャルゲーへの風当たりが強い。
ココまで書いたんですが、
今、遊んでいたキャンバスで考た事ですね。
どんなものでしょうか?
今週は、まとまり切ってないけど、ギャルゲー論です。
次は暴力表現ですわ。
4月1日〜4月7日
この週は、あるゲー『AIR』の記事作成と
健康が芳しくなく、
『今週のつぶやき』は、出来ませんでした。
申し訳ないッす。