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落合英二投手について


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一言で言って、この選手を知らなければ、

プロ野球に興味を持ったか疑問に思います。

 

初めて知ったときは、

「腕を骨折して、まったく投げられない投手を、

なぜドラフト一位指名するのか?」

と思いました。

当然、そんな選手が入団しても一軍で投げる機会があるはずもなく、

僕の記憶から消えていくのは自然のことでした。

 

入団してから2〜3年経ったくらいかな?

実況パワフルプロ野球というゲームで

中継ぎ投手としてデータに出てきました。

当時の中日の投手データは、

先発がダメで交代したら、まず勝てないくらい

中継ぎ、抑えで、いい投手がいませんでした。

当然、僕も投手交代すると「あきらめモード」に入り、

相手にせめてセーブがつかないように(笑)

点を取って、嫌がらせをしていました。

 

その中で、コントロールがいまいちでも

球速があって変化球もまずまずで、

ある程度バッターを抑えこむ投手を見つけました。

それが、落合英二投手でした。

 

それから、新聞(スポーツ紙なども)や野球専門雑誌などで、

落合英二投手のことを調べ出しました。

 

その結果、データのコントロールが悪いのは、

第一にストライクゾーンにボールが固まると言うことです。

と言うことは、実際のコントロールは良いんだなと思いました。

だから、バッターが安心して振りぬけるんだなと‥‥。

次に、なぜ調子を狂わせるかと言うことです。

コレも簡単にわかりました。

ひじを骨折していて、

すぐに水がたまって注射器で抜いて、

痛み止めをうって、投げつづけていました。

 

 

「投げたくても投げれない」

そんな状況が、

当時の僕に同調して落合投手を見つめさせました。

 

 

星野監督が再び就任して2年目(だったと思う)に、

落合投手に「今年は選手生命をかけろ!」

と檄を飛ばし、

事あるごとに「とにかく勝たせたい投手」として名指しで応援していました。

 

そして、先発に転向、少しずつ投球回も増え、

落合投手が大学時代、腕を骨折した因縁の場所

明治神宮球場で初完投・初完封!

そのときの新聞はスクラップして今でも大切にファイルに閉じてあります。

 

少しずつ、周りの信頼も得て、腕の調子もいい、彼にとって風が吹いてきました。

 

韓国のスーパースター・宣銅烈投手の入団(その後の真価の発揮)とともに、

落合投手の役割も(彼だけではないですが)変わりました。

何より、投手陣の整備の結果、ドラゴンズが優勝を狙えるチームになり、

チーム内の役割分担がハッキリしてきました。

 

結果、落合投手は中継ぎに転向しました。

それも、セットアッパーとして勝ち試合、

場合によっては、

きわどい1点差の試合で投げることになっています。

 

1999年ドラゴンズは優勝しました。

  勝っていたり、同点だったり、どんなときでも、

「ピッチャー・落合、背番号26」の

アナウンスがあれば、観客は大声援です。

 

優勝したときに入手した新聞の特別記事の中で、

こんな言葉を見つけました。

『ピンチのマウンドに行くとき、

落合は「処刑台に行くような気分」と表現したことがある〜』、と。

 

もちろん、僕も落合投手が引退するまで、

どんなときでも応援していくつもりだし、

それが、プロ選手にとって最高の賛辞だと思っています。

パワプロでもドンドン使っていきます。

 

この文を読んでくれた方も、

こういう思い入れのある選手は一人くらいいますよね?