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ハードボイルドな生き方

 こう見えても、私は意外に読書家であったりする。といっても、たいていは娯楽のための小説や雑学の本がほとんどで、仕事用の文献などは必要に迫られないと開かない。

 そんな私だが、ハードボイルド小説との出会いは、意外に遅かった。というのも、「ハードボイルド」という言葉を聞くと、トレンチコートや私立探偵、紫煙の渦巻く酒場、謎の女・・・などという「おきまり」のパターンを連想してしまい、何となく「陳腐だな」と結論してしまっていたのである。そんなわけで、銃やクルマ好きには外せない大藪春彦氏の小説を読んだのも、20代の後半だった。

 「野獣死すべし」を読んだときの衝撃は忘れられない。なんという怨念にも似た、情念。なのに、どこまでも乾いている。これは、何だ。その後も、機会あるごとに、大藪小説を手に取った。それぞれの作品で、繰り返しはき出される、怒り。圧倒的な暴力。神々しいまでに、自己の掟に忠実な男たち。良い読者とはいえなかったが、大藪小説から受けた影響は大きい。その後、氏の作品が既存のハードボイルドというジャンルに当てはまるものでもないということを知ったが、大したことではない。  最近になって北方健三氏の作品をようやく読み、銃器や殺陣のないハードボイルドも成立するということを知った。

 思うに、ハードボイルドとは、道具立てではなく生き方なのだ。そんなふうに思う。「今頃気づいたのか」と言われそうだが、切実にそう感じているのだ。

 それは、常に「強くありたい」と願って生きることだ。現実に、つまり肉体的に強くなくてもいい。ただ、「強い生き方」をしたいと願って生きていくことだ。そう願うなら、いやでも自分の弱い部分と向き合うことになる。掟を自分自身に科すことで、弱い自分の言い訳を許さない。やってみれば、小説の主人公たちの強さが、マッチョな肉体にのみあるのではないということがわかるだろう。主人公たちが、クルマや銃器を自在に操るのは、テクニックの問題ではない。自分自身をコントロールすることができる、内面的な強さを象徴しているのだと考える。

 ハードボイルドな生き方を、始めよう。先を潰した針金をズボンの折り返しに潜ませたり、スーツの下にホルスタを吊ったりするのではない、本当にハードボイルドな生活を。

 昔、映画の宣伝の文句にこんなのがあった。「狼は生きろ。豚は死ね」・・・獣は、我が心の内にあり。