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マニアと呼ばないで

 私が銃器の世界に興味をもったのは、いつのことだったろうか。記憶が定かでないが、物心ついた頃には、鉄砲の形をした玩具が好きになっていた。実際にトイガンを購入し始めたのは高校生になったからで、さらにそれを自由に楽しむということでは、社会人となってある程度の経済力ができるまで待たねばならなかった。ともかく、幼少の頃から銃器に対してある種の愛着を感じていたことは間違いない。

 本格的に銃器の世界に入り込むきっかけになったのは、月刊「Gun」との出会いだった。小学生のころに友人から古いのを見せてもらい、「ブルーイングされた鋼の蒼い肌」に魅せられてしまった。以来、現在まで「銃器は美しくポリッシュされた鋼鉄製に限る。アルミやプラスティックは嫌い」という好みが続いている。ステンレスのリボルバや、STIなどのハイキャップフレームは別だけど。

 とはいえ、当時700円という定価は、小学生には高価すぎた。何しろ小遣いというものをもらっていなかったのだから。私が初めて自分でGun誌を購入したのは忘れもしない1982年の8月号。中学1年生のときだった。それから2001年の現在まで、欠かさず購入している。ある程度の知識は身に付いたものの、長年の習慣だからかやめられないのだ。その後、コンバット誌やチャレンジャー誌にも手を出したが、地方では老舗のGun誌が1番入手しやすい状況が最近まで続いていたため、やはりメインはGun誌であった。

 さて、どんな趣味でも20年も続けると、いっぱしのウンチクも語るようになり、何だかプロ(何のや?)みたいな気にもなってくる。以前は、そんなディープな趣味人のことを「マニア」と呼んでいた。今も、そうかな?専門誌にも、「マニア登場」とかいうような特集があったような・・・。  私は、この「マニア」という言葉が好きではないのだ。「偏執狂」とか、良くないイメージが強すぎる。さらに言えば、よく自己紹介のときに「ぼくは○○なガンキチです・・・」というのも、気になってしまう。ガン・キチって、ガン・キチガイのことだよね。私もここで書いてしまったが、この言葉は差別的表現だ。自分自身に使うのだから良い、という理屈は通らない。

 銃器を趣味とする人は、それが実銃であってもトイガンであっても、偏見を持って見られることが多い。日本の社会の中では、まだまだ市民権を得られる趣味とはなっていないのだ。だからこそ、銃器を愛好する人には常識人になって欲しい。社会の動きや、情報に敏感になって欲しい。「銃器の愛好=犯罪につながるものではない!」と声高に主張することも、もちろん大切だ。だが、その主張が説得力をもつか否かは、それを主張している「人物の姿」によって判断されるということを忘れてはなるまい。

 21世紀、我々は自分たち趣味人をどう呼ぶべきか?私は「ガンナッツ」という言葉を推薦したい。これなら、本場アメリカでも通用するしね。ただ・・・この言葉自体に問題はないんだろうな!?