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最近の流行にもの申す

 エアーソフトガンが誕生し、マッチやサバイバルゲームが本格的な流行となったのが、1980年代の半ばだったと思う。そのころから、ユーザーレベルでのカスタマイズが少しずつ盛んになってきた。モデルガンの世界では「改造=違法」という意識が根強かったのだが、カスタムモデルガン製作部門を設けるメーカーも出てきたりして、エアソフトガン、モデルガンを問わず玩具銃の世界に「カスタムする」ことが当たり前のこととして受け入れられるようになってきた。

 考えてみれば、法律というのも一種のレギュレーションであって、そこで許される範囲であれば、必要以上にビクビクすることはないのだ。反対に言えば、許された範囲の中で、楽しむために知恵を絞るという知的楽しみもあると思う。法によって制限を受けるが、同時に法によって安全性を保証されるからこそ、我々の趣味を堂々と楽しめるのだということも一つの現実である。ともかく、安全性を損なわない範囲で、機能性を上げたりスタイルに凝ったりと、様々な楽しみ方をする人が増えていった。同時に、ユーザーのニーズに合わせて、アフターマーケットのカスタムパーツメーカーも増えていった。

 こうして、カスタムパーツ市場は大きくなっていったわけだが、市場の拡大は消費者の欲求に支えられている。そして、その欲求は必ずしも健全なものだけではない。ビデオデッキやインターネットの普及が、アダルトビデオやアダルトサイトによる部分が大きかったことを、思い出して欲しい。トイガンの世界でも、アンダーグラウンド(に近いのではないかと思われる)な欲求に応えるカスタムが姿を現している。

 はっきり言ってしまうと、それは、エアーソフトガンの世界に多いようだ。長年、規制を受けてきたモデルガンの世界では慎重なのに、エアーソフトガンなら大丈夫だと思っているのだろうか?特に危惧するのは、必要以上の金属化とハイパワー化である。

 多くの場合金属で造られている実銃をコピーするのだから、トイガンも金属製にすればリアル感は増す。が、オートの場合、スライドやフレームを金属部品に置き換えてしまうのはいかがなものか。最近では、タナカのリボルバ用の金属フレームの広告を見つけて絶句した。実際に、オート用の金属パーツを使用した人によると、多くの場合カスタムパーツを組み込むと性能は落ちるという。それほど、現在のトイガンは高い技術で製作されているのだ。生半可なカスタムパーツでは、オリジナルの性能を越えることはできない。ならば、わざわざ高価な金属パーツを組み込むのはなぜか?金属の冷たい感触が欲しいからか。金属の作動音が欲しいからか。それもいい。しかし、そのことが結果的に、あなたの趣味の世界を「今よりも」狭めることになるとしても、あなたは「金属化」を容認できるだろうか。私は断固として反対する。もし、金属のリアル感が欲しいなら、より厳しく自主規制をしているモデルガンの世界で遊んで欲しい。そう思って、時代に流れには反しているが、このコラムでも商品化希望を書いた。私が主要部品の金属化を認めるのは、メーカー自らが研究開発の末に「これなら安全」と発売するときだけだ。

 パワーの問題にしても同様で、昔から「より強く、より遠くへ」という欲求がユーザーにはあった。とはいえ直接被害を与える可能性のあるものなので、以前は0.4ジュールをエアソフトガンのパワーの上限として、メーカーは自主規制していたものだ。0.2グラムの弾を秒速60メートルほどで飛ばすモデルが多かったように思う。今では常識のホップアップシステムも、パワーに頼らず飛距離を伸ばすことを目的に開発されたはずだ。それが今では0.8ジュールものパワーを、箱出しで発揮するものも珍しくない。中には1ジュールを超えてしまうものもあるとか。以前は「1ジュールを超えると実銃と判断されるかも」などと慎重だったのに、ずいぶんと大胆になったものだ。

 ガスガンの世界はまだいいほうで、スプリング式のボルトアクションや、電動ガンの世界では、さらに極悪なハイパワーカスタムが、アフターマーケットの世界で出回っているとか。それを買ったユーザーの多くは、サバイバルゲームで使用するらしい。相手の弾が届かないところから、ハイパワーな銃で撃つのは卑怯だ・・・などということは言わないが、ゲーム本来の面白さを味わえないのはもったいないと思う。そして何より、サバイバルゲームというのは、双方の信頼関係の上で人間を撃つ遊びだということを忘れてはならない。撃つ側が、撃たれる側の痛さを忘れてしまっては、おしまいだと思う。それ以前に、怪我人が出たら、サバイバルゲーマー全体が社会に受け入れられなくなるだろうが。

 ともかく、モデルガンにしろエアソフトガンにしろ、「大人のおもちゃ」なんだからね。自分の行動に責任が持てるのが大人なんだってことは、忘れちゃいけない。ま、「責任取れません」という人でも、取らされてしまうのが大人なんだ、とも言えるけどね。