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イチロー ナガタという人

 イチロー ナガタという人を知らなければ、ガンナッツとしてはモグリと言われても仕方がない。それほど銃器の世界では(特に日本では)有名な人物である。

 30歳そこそこで渡米、苦労を重ねてついに「世界で最も優れたガンフォトグラファー」と言われるまでになった。その間にGun誌、コンバットマガジン誌、チャレンジャー誌で執筆している。氏の記事を見て、銃器の世界に足を踏み入れたという経歴の持ち主も少なくない。

 また、「リポーターたるものは腕を磨き、確かな実力をつけなくてはならない」ということで積極的に競技に参加した。PPCではグランドマスター(要するに最高位)を、IPSCではAクラス入りを果たし、ビアンキカップではベスト8という成績を収めている。自分の弱さと向き合いながら、芋虫のようにじりじりとよじ上っていく姿が、多くの読者の共感を呼んだ。

 イチローの登場と、彼自身の進歩によって大きく変わったことがある。彼以前には、専門誌のリポートといっても、「銃に詳しい趣味人の独り言」に近かった。ところが、今度はリポーター自身が、資質を問われることになってきたのである。要するに銃の性能を評価するだけの能力と知識があるのか、ということだ。結果、マッチに参加してのたうち回る自らの姿すらリポートにしてしまうグループと、完全に試合の場にあがることを拒否するグループに分かれることになった。以前よりその傾向はあったのだが、Gun誌は「銃器の学術誌」へ、コンバット誌は「実践の手引き」へと分化していった。

 こうした流れの中で、いつのまにかイチローは、業界の中で大きな影響力を持つようになった。アメリカのプロ集団やメーカーとのコネクション、日本のガンナッツに対する影響力は、日本のトイガンメーカーにとって頼もしくもあり、脅威にもなる。実際、日本におけるサバイバルゲームの火付け役はイチローの記事だったし、カスタムガンブームも彼に寄るところが大きい。

 トイガンメーカーとしてもイチローに助言を求めたり、実銃メーカーとの交渉に関与してもらったりと、協力して新製品の開発に取り組むようになった。それまでうやむやになっていた、商標の問題に一定の方向性が見えてきたのも、国際感覚に優れたイチローの存在があってこそだろう。「極東アジアの片隅で造られる悪質なコピー品」から、「日本の高度な技術で造られた精巧な模型」として堂々と販売できるようになったのだから、この変化は大きい。

 反面、イチローには敵も多い。彼自身の記事にも思い切った表現が多いため、反感を買うことが多いのだろう。彼の発言を「不遜だ」と嫌う人もいる。どこかのメーカーともめたこともあったと聞く。実際、記事を読んで「今のイチローは危ないな」と感じることがないわけではない。もちろん、彼の功績や協力関係にある数多くの友人たちに対する嫉妬や羨望が原因となっている場合がほとんどだろうが、彼に全く非がないかといえば、そう断言することはできない。

 イチローを毛嫌いする人たちがいる一方で、イチローを尊敬してやまない人たちもいる。彼らの中には、ほとんど崇拝に近い気持ちを抱いている「イチロー教」の信者もいると聞く。

 私自身、深く銃器の世界に入り込むきっかけとなったのは、イチローのリポートを読んだことであった。小学生だった私は、写真の美しさと生き生きと感動の伝わる文章に、息を飲んだ。以来、イチローは私のヒーローになった。彼の記事を読みあさり、情報を仕入れることに全力を注ぎ込んだ。彼の変遷は、私自身の趣味歴でもあるのだ。

 だからこそ、イチローを崇拝する人たちに言いたい。イチローは、人間だからこそ、ぼくらの気持ちを惹き付けるんだよ。弱さがあるから、好きになれるんだよ。自分の弱さをさらけ出して、必死で努力してもうまくいかない。失敗を重ねる。そんな無様な姿を見せてくれたイチローだから、ぼくらの目標になれる。人間だから、失言もある。感情で動くときもある。なのに、いつの間にかイチローは「神様」にされそうになっている。「人間」を全面に出してきたイチローにとって、これは皮肉なことだ。

 本人には会ったこともないから、本当はどんな人なのかわからない。でも、自分の人生を自分でドゥライウ゛している人には違いなさそうだ。これからも、誌面を通してイチローの「揺れ」を見ていくつもりだ。パーフェクトじゃないイチローが、好きなのさ。



追記

 イチローの小説「紫電の炎」が出版された際に、読後感を手紙にして出した。後日、イチローから1枚の葉書が届いた。ずいぶんと失礼で不遜な内容だったのに、返事をくれるとは。差出人のところには、あの、見慣れたイチローのサインが。「やっぱりイチローだ」10歳のころに帰った気がしたな。