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おもてなしの心

2007.4.22

 実に久しぶりのクルマエッセイなのである。2006年の3月に念願のアルファロメオ156を購入して以来、現実の車生活に忙しく、ネットで理屈をこねくりまわしているヒマがなかったというわけよ。とはいえ、色々と思ったことや感じたこともあるので、少しずつ文章にしていこうかと思っている。ラテン車の影響か、以前ほど論理的ではないかもしれないが、ご容赦いただきたい(笑)。

 さて、156に乗った最初の感想は、ズバリ「こりゃまた酷いクルマだ(苦笑)」である。よく、「ヨーロッパ車の技術レベルは日本車の七割程度と見ておけばよい」などというが、まさにその通り。しかも、私のは98年式。すでに10年落ち近くだったので、2006年当時の国産新車とは比べるべくもなく、ほぼ同世代の100系チェイサーと比べても古めかしい感じのするクルマなのだ。

 内外装のチリが合ってないとか、軋み音がするとか、ライトが暗いとか、ハンドリングがクイックすぎるとか、巷の156批判は数多い。たしかに、デザインに全精力のほとんどを注ぎ込んでいるようなクルマだから、それ以外はまぁ、それなりよ。私個人としては、もう少しサスのストロークが欲しいとか、演出過剰で時として疲れを感じる・・・などという点も加えておこう。それでも、常用域の楽しさや、クルマ自体の存在感を感じさせる点では、国産車にない個性を持っているとは思う。

 国産車からの乗り換えだと、色々と戸惑うことも多い。私のは右ハンドルのマニュアルミッションなので、ウインカー操作とシフト操作が重なる場面で忙しい思いをすることがある。そう、輸入車の常でウインカーは左レバーで、ワイパーが右レバーなのだ。これはイギリス仕様なども同様らしく、右ハンドルだろうが左ハンドルだろうが、ウインカーは左レバーなのが国際基準らしい。つまり、日本車だけが例外というわけ。でもまぁ、これもしばらく使っていれば慣れますね。

 意外に慣れにくいのが、いわゆる「便利装備」といわれるもの。というか、日本車なら当然あるべきものが、無い。オートライトやオートワイパーはもとより、フルオートエアコンだって付いてないのよ。私の156。ちなみに、風量だけを自動調節するオートエアコンは標準装備。国産の「オートエアコン」は、吹き出し口も含めて総合的に自動制御するので、正確にはフルオートエアコンなんですねぇ。フォグランプや、欧州車らしくバックフォグなんてものは装備されている。

 国産の同価格帯のクルマ(400万円くらい)から乗り換えると、装備が簡素なのに驚くと思う。何というか、ここ10年くらいの日本車って至れり尽くせりでしょ?ドライバーや同乗者が快適に、便利に過ごせるように、よく考えて作られている。いわゆる日本人が得意だという「おもてなしの心」にあふれていて、それが日本車の商品価値の1つになってもいる。

 そういう目で見ると、156の使い勝手にはどうしても納得できない部分がある。その1つが、フォグランプのスイッチ。日本車だとメインのライトスイッチの近くにあったりして、「ON」に設定しておくとスモールランプに連動してくれる。つまり、スモールを点けるといつでもフォグランプが点灯するわけだ。ところが、156のフォグランプのスイッチはそうではない。場所もシフトレバー近くにあって、スイッチもちょっと変わっている。ボタン式で、スモール以上が点灯している状態で1回押せば、フォグランプがONになる。もう1回押せばOFFになる。ま、シンプルといえばシンプルで、ここまではどうということもない。

 困るのは、次のような場合だ。ライトを点けて、フォグランプをONにしている状態を考えて欲しい。ここでライトを消すと、連動してフォグもOFFになる。そこからライトを再点灯すると、どうなるか・・・?メインのライトだけが点いて、フォグは点かないのである。つまり、フォグランプは毎回手動で操作して点けなくてはならないわけだ。あー、面倒くさい!

 これだからイタリア人はバ○なんだよな・・・。と思いかけていたとき、もう1つのことに気がついた私。それは、ライトをハイビームにしているときは、消灯操作ができないということ。必ずロービームに切り替えてからでないと、ライトを消すことができないようになっている!?ここに至って、目から鱗が落ちましたよ、私。

 つまり、こういうこと。必ずロービームで消灯するということは・・・次回の点灯時に、いきなり対向車にハイビームで迷惑をかけてしまうことがない、ということだ。同様に、毎回フォグランプを点けなくてはならないということは・・・必要もないのにギラギラさせる「迷惑フォグランプ」を防止できるということだ。

 常にハイビームで、霧もないのにフォグ全開で走っているバカドライバーが溢れている、日本。その現状を思ったときに、ようやく156の不便さの理由が理解できた。これは、確信犯的な設定だ。と、同時に、日本車が得意とするという「おもてなしの心」についても考えさせられた。

 日本車の「おもてなしの心」は、あくまで内を向いたものだ。運転者や同乗者・・・言いかえると「商品の購入者や使用者」にアピールするための商品性の1つだ。対する156の不便さは、外に向いた気配り・・・対向車や歩行者など、車外の存在に対するさりげない配慮だ。この2つのどちらが優れているのかという問題ではない。視線がどちらを向いているかというだけのことである。

 ただ、なぜ日本に自動車「文化」というものが育たないか、その理由は何となくわかったような気がするよ。道ですれ違った見知らぬ人に、軽く会釈をするような文化が日本にもあったハズなんだけどね。