remove
powerd by nog twitter

ちょっと不思議な、こと。

2003.2.24

 今、この文章を書いているのは、2003年1月30日。この文章が無事に公開されているということは、すべてが問題なく進行しているということだ。のっけから、訳の分からない書き出しで申し訳ない。

 先日の胃ガン検診で、私の父に異常が見つかり、手術を前提とした精密検査を行った。胃カメラ、CT、組織検査etc.による吟味の結果、悪性のものと判明し、いよいよ具体的に切除手術に向けて準備が始まっている。では、我が家は「暗い」雰囲気なのかといえば、実はそうでもないのだよ。検査で他所への転移が認められなかったのも、理由の1つではある。が、それ以上に「これは、きっと助かるな」と感じる出来事が、ちょっと重なったものでね。それが、ちょっと不思議な気がする話なのだ。

 まず、今回に限って母親が強硬に検診の受診を父に勧めたということ。貧乏暇無しに加え、医者嫌いの父が、行かざるを得ない勢いだった。ついでに言えば、私自身も普段無い強さで行くことを勧めたのも妙といえば妙なことだった。まぁ、永年勤めた会社をひとまずリタイヤしたから、「節目」だったのは確かだけど。それにしても、発見された腫瘍が10年近い時間をかけて形成されたものであったことを考えれば、今回がタイムリミットであったことは容易に想像がつく。どこかで「そのこと」を感じていたのかも知れない。

 次に、私自身のこと。私の仕事は年にもよるが2月の中旬に忙しさのピークを迎える。今年は特に忙しくなりそうなのは分かっていた。そこで、年内からそれに備えて前倒しで仕事をこなしていたのだが、その取組ぶりは我ながら異常だった。年末年始の休みも初詣以外は返上し、パソコンにかじり付く日々が続いた。1月の仕事始めの日には、すでに疲労困憊で倒れる寸前の状態の私は、職場でも異様な存在であった。その後も土日の休日も単独で出勤してがんばったおかげで、1月末現在で、なすべき仕事はほぼ完了しているのだ。あとは、私以外の人間でも、かんたんなデータを入力すれば、完成するところまで来ている。机を並べて仕事をしている同僚に比べても突出した進捗度ではある。が、やっている本人にもなぜ自分がこれほど焦って働くのかさっぱり分からなかった。いつものペースでやっても十分間に合うし、遊ぶ時間だって作れる。

 父の病状が判明し、手術がまさに2月の中旬〜下旬になりそうだと聞いた時、初めて「これだったのか」と思った。異常に働いたおかげで、時間に余裕ができ、正しい判断を下すことができる。その状態を作るために、何かに追いかけられるようにして、これまで働いてきたのか。そう、思った。同時に、「すべての物事が『間に合う』ように働いている」と感じた。何のメッセージかは知らないが、母も自分もそれを受け止めて、間に合えるように行動できた時点で「助かるな」という感触を得たのだ。

 このあたりは言葉では説明しにくいのだが、実感としてそう感じたわけだ。オカルティックな感覚でもなく、ごく自然にそう信じることができたのも不思議な話ではある。もともと、不思議なものの存在は否定しない立場だが、特に霊感のある方でもないし。まあ、その時は「ただ幸運なだけかも」という気もしていた。

 ところが、父を検査した医者から次のような話を伝え聞いた時、私の考えは一変する。曰く、「病気の大きな要因は長年の喫煙です(以前の父は、かなりのヘビースモーカーだった)。現在も呼吸に『ヒューヒュー』音が混ざっていますから、少し訓練して肺を鍛えましょう。ところで、タバコをやめて3年くらいでしたか?やめてよかったですね。もし現在もタバコを吸っていたなら、今回の手術はできないところでした・・・」

 冗談ではなく、鳥肌が立った。実は約3年前のこと。父が原因不明の高熱を出して、1週間それが下がらなかったことがあった。40℃の熱が、なにをやっても下がらない。風邪でもインフルエンザでもなく、とにかく原因が分からない。救急外来に助けを求めたこともある。「これは、大変な病気なのかも」と本格的に心配を始めた頃、ウソのように熱が引いた。随分こたえたのか、父は「ワシ、もうタバコやめるぞ。こんなこと続けていたら本当に死んでしまうからな」と言って、本当にスッパリとやめてしまった。何度も禁煙に失敗しているのを知っている家族も信じられないほど、見事にやめてしまったのだ。あの時、もしズルズルと禁煙できないままだったら・・・。これで、すべてのパズルのピースがそろった!

 タイムリミット間際で見つかった病気。異常に進んだ私の仕事。手術に間に合うように成功した禁煙。そして、そのきっかけとなった原因不明の高熱。とにかくタイミングが良すぎるのだ。ほとんど「ピンポイント」といってもいい精度で、物事が進行している。さほど信仰心の厚くない私だが、今はただ「感謝」だ。誰に感謝していいのかもよく分からないが、「生かされている」ことに素直に感謝している。かなり不思議なタイミングだと思うんだけど・・・そうでもない?

 さて。一応はクルマのコラムだから、そっち方面にもつなげておくかな。クルマと怪談・不思議な話というのは、切っても切れない関係にあるようだ。運転中の異常体験の話も後を絶たない。なぜか・・・と考えると、「運転中は半分死んでいるから」とも思える。たとえば時速100qで走っている時は、ほんのちょっとしたミスが死につながる。つまり、生と死の可能性が、共に等しい状態にあると言える。その、生と死の狭間にいる時、あちら側からのメッセージを受け取りやすい瞬間ができるのでは・・・と思ってみたりもする。

 または、長時間運転していると、いわゆる「感覚遮断」に近い状態に陥ることがある。知覚が普段と違う状態になるといってもよい。その状態の時に、いわゆる五感以外の感覚が働いて、何者かのメッセージを受け取る、ということはあるかもしれない。今、ハンドルを切ったのは、果たして自分の意志だろうか?アクセルは?ブレーキは?

 私たち一家が「生きろ」というメッセージに従って行動したように、もしかすると逆の場合もあるのかもしれない。深夜の1人ドライブは、ご用心・・・なんて、ちょっとおどかしたりして。


追記:
 親父よ、そういう訳で簡単には死なせてくれないみたいよ。あきらめて、もうしばらく生きてみな。この文章は、親父の手術が無事成功したら公開することにするね。

追記その2:
 2月24日、6時間に及ぶ手術の結果、私の父は無事生還することができました。ご心配をお掛けした各方面の方々、そして激励いただいた多くの友人たちへ、ご報告します。