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貧乏性

2002.5.8 これはクルマのコラムか?タイトルが合ってない?おまけに史上最長の前フリ(苦笑)

 ここしばらく、右手の話題が続いている。去る4月26日に手術を受け、明日5月9日に抜糸の予定である。当初40分程度の予定だった手術だが、結局は1時間半近くかかってしまった。想像以上に面倒な状態だったらしい。

 現在は傷もほぼ癒え、固まった筋を動かす訓練の段階に入っている。何しろ、手術前には安静を要求されていたので、かれこれ2か月も動かしていないのだ。すっかり固まってしまって、右手首の関節の可動範囲がひどく狭くなってしまっている。力を入れて動かすのだが、涙が出そうに痛い。「アウチ!」と叫ぶ外国人の気持ちが少しはわかったりして。しかし、これに耐えないと機能は回復しないし、手術した部分が癒着して台無しになってしまう可能性がある。やるしかないのだ。

 で、手術直後に新しいエアガンを買った。「手が治ったら遊ぶ」ことを励みに頑張ろうというわけ。リハビリを兼ねて構えてみたら、これが痛いのなんのって。ハンドガン(拳銃)の構え方(握り方=グリップの仕方)には色々あるが、きちんと的に当てようとすれば要求されることは決まってくる。すなわち、「10本の指と手の平がぴったりと銃に密着するようにする」「グリップのなるべく高い位置を握る」「握る力は、手に震えが出ない範囲で最強」というようなことだ。ハンドガンはライフル等に比べ、両手だけで支えるので不安定なのだ。そこで、いかに力を有効に使うかということが問題になる。両手の指を駆使するので、想像以上にハードな運動になるわけだ。

 最初は銃が真っ直ぐならなくて狙うことも出来なかったが、少しずつ改善されてきている。回復の目標は「フォーリングプレート」という競技で、6枚のターゲットを3秒で撃つレベル。筋の突っ張りが解消されないと到底達成できない目標なので、久々に熱く燃えている。昔練り上げたテクニックを、また一から身に付けなおすのだ。

 昔、といえば、昔のエアガン(もちろんオモチャね)は酷い性能だった。当たらない、作動不良が起きる、トリガー(引き金)が重くて使いにくい・・・などなど。買ってきてそのまま競技に使用できるものなどはなく、多かれ少なかれユーザーによる改良が必要だった。

 銃身を精度の高いものに換える。銃身の固定をしっかりさせる。発射用の低圧ガスやエアの流量を安定させる。照準器を精密に狙えるものに交換する。弾(BB弾ですね)を精度の高いもの(直径や重さにバラツキがないもの)にしてみる。基本的には、これらの事で「銃本体の命中精度」は向上する。面白いのは、パワーを上げても命中精度が上がるわけではないということだ。何事もバランスが大事ということで、パワーばかり追求する人は精度追求の楽しみを知ることがないので、かわいそうだね。

 忘れてはならないのが「人間にとっての扱いやすさ」である。どんなに銃本体の命中精度が高くても、結局は人の手から撃って当たらなければ意味がない。だからこそ、トリガーを軽くスムーズにし、グリップの形状や重量バランスに工夫を凝らすのである。いわゆるユーザーインターフェイスの部分が、実は最も大切だと思う。

 このようにしてチューンされたエアガンは、どれぐらい当たるようになるのか。当時・・・1980年代後半には、ノーマルの銃で5メートル先のターゲットを6発撃って、6個の弾痕が直径15センチの円内にまとまれば「まずまず」の評価を受けたように思う。それが一般的なチューンを施せば直径5センチの円内にまとまるようになり、少し凝ったチューンをすれば3センチにまで小さくなった。最終的には1.5センチの円にまとまるようになった。

 私自身が手がけたエアガンではそれが精一杯だったが、そのレベルを軽く飛び越えた化け物のようなカスタムガンを知っている。畏友Y田が組み上げた銃は、6発のまとまり(グルーピングという)が、何と直径9ミリの円内に収まったのである。BB弾は統一の規格があって、どのメーカーも公称直径6ミリということになっている。直径6ミリの弾が6個、直径9ミリの円内にまとまるのである。ほとんど同一点に着弾していることになる。これは、オモチャの鉄砲としては驚異的な命中精度である。もちろん、Y田の腕自体も良かったんだけどね。

 私はそれと同じものが欲しくなり、Y田に頼んでみたことがある。Y田の返事は、「作るのはかまわない。しかし同じ性能が出せるとは限らない」というものだった。つまり、究極のフルチューンではノーマル以上の素性のパーツをふんだんに使用するが、ただ組み込めばいいというものではない。部品のすり合わせ、スプリングのテンション調整に始まり、細やかな微調整が必要だ。ちょっとした部品の出来不出来によっても性能は変わる。ベースになるエアガンにも個体によって当たり外れはある。そして、市販のパーツで満足できない部品は手作りのワンオフで製作するため、全く同じ性能をもった部品が作れるとは限らないのだ。Y田自身、自分の銃が壊れたときに、再び元の性能に回復させる自信がないということだった。

 それに、と私も考えた。高度なチューンを施した銃は、常に細かなメンテナンスを必要とするし、病気がちだ。性能は段違いだが、それがタレて低下するのも早く、高性能を維持しようとすれば手間も金もかかる。私が目指すのは、少し違う方向だったのだ。

 つまり、究極の高性能である必要はなく、性能は必要にして十分であればそれでよい。それよりも、その「ほどほどの性能」を安定して発揮できる方が大切だ。そのためには、難しい加工やワンオフを避け、手に入りやすい部品を元に安全マージンを十分にとったチューンをほどこすのが良い。つまり、いたずらな高性能追求より「信頼性」や「維持の容易さ」を優先させたわけだ。

 例えるなら、「ホームランはなくても安定して出塁できるイチローみたいな銃」といえばわかるかな?力士でいえば・・・もういいか。ともかく、このコンセプトなら大量にチューン済みの予備部品をストックすることも可能なので、故障→復旧が素早くできるわけだ。というか故障自体も極端に減る。

 こんなことをして遊びつつ成長したためだろうか。私の「フルチューン嫌い」は。クルマの世界においても、だ。誤解しないでほしいのだが、高度にチューンした銃やクルマを否定するのではない。素直に感心するし、憧れもする。ただ、自分のものとして所有する気がないということだ。根っからの不精者なので、「がんばって維持する」というのがひどく苦手なのである。細かい気配りも必要なく、神経質でもない。手を伸ばせばそこにあって、求めれば必ず期待に応えてくれる。クルマも銃(オモチャだけど)も、そういう存在であって欲しいのだ。だから、これからも「少々ドンくさくても頼れる相棒」を造り上げていくだろう。

 30歳ぐらいで会社を立ち上げ、当時で年収一千万円とか稼いでいた友人が、こんなことを言っていた。「会社をつくるのは誰にでもできる。だが、それを潰さずに維持するのは誰にでも出来ることではない。」彼の会社はますます好調らしく、この言葉には重みがある。会社の部分をクルマなりエアガンなりに置き換えてみてはどうだろう?結局、フルチューンに限らす、何かが完成した時っていうのはゴールじゃなくてスタートだということだ。現実に、十分なメンテナンスを受けられずに腐っているチューンドが、いかに多いことか。「次は何しようかな?」もいいけど、これまでに手を入れた部分を維持しながらだということは覚えておいた方がいいよね、やっぱり。

Y田「そーいうお前のエアガンだって、次々腐って動かなくなってるやん」

・・・確かに。こりゃまた失礼しました!