remove
powerd by nog twitter

野望のルーツ

2002.1. 27

 このタイトルを見て、某TVアニメから発展したオリジナルビデオを思いだした人は、かなり偏ったおじさんです。私もそうですが。

 このように、幼い頃や、大人になっていてもその分野に大して知識がなかった頃の記憶が、ふと甦ることがある。それは、自覚がある場合もあれば、全く無意識のうちに行動に反映されることもある。それが、意外な結末を招いたり、永きにわたって人生に影響を与え続けたりすることもあるのだ。

 私の場合。クルマに興味を持ったのは、意外なぐらい遅かった。高校生ぐらいだったから、早熟なクルマ好きの男の子なら、もう自分のクルマを買う計画を立てている頃だ。小学生の頃に例のスーパーカーブームを経験していて、お約束のようにカウンタックが好きだったにもかかわらず、クルマそのものには興味がなかったのである。単なるカウンタック好きというだけだったわけ。たしかにアレと普通のクルマを同じものとして扱うのは、現在でも抵抗があるな。

 で、初めて購入の意欲をもって「かっこいい」と感じたクルマは、70のスープラであった。ロングノーズ&ショートデッキのスタイリングは、スッキリとしていて美しく、リトラクタブルヘッドライトが典型的なスポーツカーの雰囲気を醸し出している。その後、マイナーチェンジでワイドボディが加わり、ディテールが少し変更されたが、これもボディラインに色気が出て美しいと思う。スタイリングに惚れたので、エンジンは何でも良かった。ただし、ボディカラーは白。しかもエアロトップ。これは譲れない。

 当時「ナイトライダー」流行っていたためか、スープラのボディカラーは圧倒的に黒が多かったように思う。少なくとも後期のJZA70では。私のまわりでは、これにボルクレーシングの「ナントカC(要するに忘れたのである)」という5本スポークのホイールを履かせるのが定番になっていた。スポークに楕円のディンプルがあるヤツで、何種類かあったのでご記憶の方も多いだろう。今ほどインチアップが盛んではなかったので、16インチのままで交換してあるのだが、控えめなドレスアップも似合うクルマだった。

 だが私には、「70スープラ=白」なのである。スープラが販売されていた北米のカリフォルニアあたりの青空には、白がよく似合う。トップを外して、パームトゥリーの並木がある通りをゆっくり流すのが、私の中のスープラのあるべき姿なのだ。実際にはエアロトップは雨漏りやボディ剛性の面で問題もあったようだが、なにしろイメージの世界でのことなので、スープラファンの方にはご容赦願いたい。

 結局、金銭的な問題が主な障害となって、私がスープラを購入することはなかった。中古車の価格が下がってきて「チャンスがあれば乗りたい」とは思いながらも年齢を重ねてしまい、クーペ(スープラはハッチバックか)を買いにくくなったということもある。が、後に私が購入したスプリンターマリノの前期型。アレのテールランプが70スープラのテールランプに少し似ていたという事実は、購入の決定的なポイントではなかったものの、私の心を疼かせる力を持っていたことは否定しない。

 人生には、転機となる出会いがいくつかあるものである。私の場合、それは平成9年頃にやって来た。深夜に訪れた、コンビニの駐車場。そこに停まっていたR32GTSの4ドア。純白のボディから、私は目が離せなかった。大仰なエアロなどは組んでいない。やや車高が下がっているくらいだ。その控えめなドレスアップが、スッキリとしたボディラインと相まって、美しい。そう、「かっこいい」というよりも「美しい」のだ。それも、私の心に響く「清楚な」美しさなのだ。ちなみにコレは私の女性の好みと一緒です。関係ないですが。

 そして、足下を飾るのはボルクのC−ULTRA。鍛造の3スポークホイール。スポークのディンプルが、ボルクの血統を物語る。インチアップしていたのかしてなかったのか、もはや記憶がない。が、「セダンに3スポークは邪道だ」という私の先入観は、この時崩れた。エエじゃないの、これ。一時の「白ブーム」への反発からか、無意識のうちに白以外のボディカラーを選んでいた私だが、その頑なさも崩れ去った。

 白い4ドアを買おう。

 実際、チェイサーの購入に動き出した時、最後までダークグリーンと白で迷った。結局、特別外板色とはいえ白に決めたのは、この出会いがあったことが大きい。そして、同じボルクのC−ULTRAを履かせることにしたのも、あの時の「清楚なセダン」の記憶によるものだろう。

 だが、よくよく考えてみれば。チェイサーの1JZはスープラに積まれていた歴史があるし、チェイサー(や兄弟車)のことを「4ドアのスープラ」と呼ぶ人もいる。白のボディカラーにボルクのホイール・・・まさに高校生だった私の夢が、形を変えて実現しているではないか。しかも、アメリカを流すなら、ターボよりもNAが雰囲気に合う。・・・うむむ、結構理論的に自分のクルマ趣味を語ってきたつもりだったが、結局は過去のイメージに操られていただけなのかもしれんな。

 まあ、それもいいか。最近は、そういう気分なのである。

 それにしても、チェイサーにC−ULTRAを履かせている人はめったに見ない。「ちょっといないセンスの持ち主」と自慢していいのかどうか、ともかく1人悦に入っていたところ、思わぬところで発見!何と隣市。向こうは17インチかもしれないが、ともかく少数派のC−ULTRA。同じ純正エアロ。もしかして、ボディカラーまで同じかも。グレートは・・・ちょっと分からない。

 妙に嬉しいような悔しいような、「同じような事を考える人もいるんだな」という気持ち。で、隣に並んで停まった。信号待ち。よくよく見たら、隣のチェイサー、追突事故を起こした直後じゃないの。現場検証待ち、というところか。鏡を見るみたいで気持ちが悪く、その日はいつも以上に安全運転で帰りました。大してダメージはなさそうだったけど、ちゃんと直ったのかな。どこかにいる双子の兄弟を想うように、時々思い出すのです。

補足

○ 同じ1JZといっても、70スープラのものと100チェイサーのものは、
 違うエンジンといった方が正しいでしょうね。

○ 「アメリカを流すならNA〜」の部分はあくまで私的イメージの話です。
 実際の北米仕様スープラについて述べたものではないので悪しからず。
 大排気量のアメ車を相手に、小排気量(3リッターでも)+ターボで対抗するのが、
 日本車のスマートさだったとも言えるでしょうね。