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2006.4.9記

「蘇える金狼」的クルマ選び


 アルファ156と直接関係ないようだが、大藪春彦の「蘇える金狼」をご存じだろうか。SMAPの香取君がやった新しいバージョンは、個人的にはダメ。原作は、主人公の平社員:朝倉哲也が、手段を選ばず腐敗しきった会社の中枢に食い込んでいく、「悪のサクセスストーリー」である。今は「ノワール」っていうの?いわゆるハードボイルドではなく、ひたすら罪を重ねていく姿が痛快な大藪流犯罪小説の中でも傑作といえる作品なのである。

 朝倉は、三流大学の夜間を抜群の成績で卒業し、一流どころの企業に就職した。毛並みの悪い自分が会社の中枢に食い込むため、昼は真面目なサラリーマンの姿を崩さず、退社後は特殊技能を身に付けたりジムに通って身体を鍛えたりして雌伏の時期を耐えていた。そしてチャンスが訪れたと見るや、暴力と情報収集能力、運転技術を生かし、ついには社長や重役連でさえも屈服させていく。そのあたりはなかなか痛快なのだが、詳しくは実際に一読してみることをお勧めする。

 さて、一介の平社員である朝倉は、はじめは自分のクルマを持っていない。会社の実権を握った後、かねてより望んでいた夢のクルマを手に入れる。松田優作が主演した角川映画版では、赤いカウンタックを手に入れた。バカバカしい派手さが、優作版朝倉の狂気(原作の朝倉は狂気で動いているのではないと思うけど)を象徴していて、それなりに面白かった。

 しかし、原作で朝倉が手に入れたクルマは、意外なほどに渋い仕立てになっている。ちょっと長くなるが、原作より引用してみたい。



「蘇える金狼」より

 朝倉は、ぼんやりとそんなことを考えながら、積んだ掛け布団にもたれ、丼に盛り上げた本物のキャビアをスプーンで口に運び、ウオツカのドライ・マルティニのグラスを傾けていた。今夜は、正月早々から溜池の東和自動車に注文しておいた車が届く筈だ。

 胸が締めつけられるような排気音が、塀の外に近づいてきたのは午後八時であった。排気音は門の外でとまる。朝倉はゆっくり立ち上がり、応接間に移ってガス・ストーブに火をつけた。

 門柱にボタンをつけたブザーが鳴った。朝倉はガウンの襟を立てて庭に出ると、表門を開いた。

 セールスの高柳が、職業的な笑顔を浮かべて立っていた。そのうしろに、ニュー・ブルーバードとそっくりの車があった。塗装はグリーンだ。

 「お約束通りに仕上げさせました。エンジンを御覧になりますか?」

 高柳は言った。

 「ああ、頼むよ」

 朝倉は、トライアンフTR4とホンダの単車を駐めてある庭のなかにさがった。高柳は、アバルトのマフラーから深く低い排気音をたてているその車−−−フィアット一五〇〇ベルリーナに乗りこんだ。右ハンドルだ。四つ目のヘッド・ライトが輝き、排気音が轟然と高まると、車は庭内に突っ込み、急ハンドルを切って、応接間のポーチに横づけになった。

 新しいブルーバードがスタイル上の手本にしたと伝えられるだけあって、そのフィアットは街を走り廻っているニュー・ブルーバードだと言われても、車に関心の薄い者は疑いもしないであろう。だから、朝倉はそれを択んだのであった。目立たぬ車でないと犯行には使いにくい。

 朝倉は応接間のカーテンを開き、応接間の電灯の光を庭に放った。高柳は車のボンネットを開き、懐中電灯を照らしていた。朝倉はエンジン・ルームを覗きこんだ。

 エンジンは、もともとこの車についている筈の一四八一CC八十馬力のもののかわりにフィアット一六〇〇Sスポーツの百馬力のものがついていた。ダブル・オーヴァーヘッド・カムのエンジンに、結晶仕上げのダブル・チョーク・ウィーヴァーのキャブレーターが美しい。  ステアリングのギア・ボックスはアバルト一六〇〇スパイダーの五速がついていた。ハンドルは二回転をちょっと廻すだけで完全に切れるから、ハンドルを握る手は手首を動かしただけでも、車は敏感にドライヴァーの意思に反応するであろう。

 朝倉は車内に入ってみた。シフト・レヴァーはハンドルの脇から床に移され、スピード・メーターの脇に八千回転まで目盛ったエンジン回転計が嵌めこまれて、九百回転のあたりで小刻みに針が震えている。エンジン・スウィッチはハンドルのコラムの左にあってハンドル・ロックを兼ねているから、エンジン・キーを差しこまないとハンドルは切れず、盗難防止にはもってこいだ。

 「走らせてみますか?」

 ボンネットを閉じた高柳が、バケットになっている助手席に乗りこんできた。

 「いや、ちょっと酔ってるし、まだパトカーがお寝んねしてないから、朝早くにする」

 朝倉は言ってエンジンを止めた。


(中略)


 翌朝四時、朝倉は咽頭の渇きで目を覚ました。枕許には、読み返しながら放りだして眠った一五〇〇ベルリーナと一六〇〇Sの取扱い説明書が転がっている。

 朝倉は台所に行き、大コップに水を満たしてヴィタミンCの発泡錠を三粒放りこんだ。それを一息に飲むと頭がはっきりする。昨夜はウオツカを一壜あけたが、頭痛は無い。

 四時から七時にかけては、白バイは無論、交通専門のパトカーもほとんど通らなくなる。朝倉はジャンパーを着こみ、車検証と取扱い説明書を持って霜柱がたった庭に降りた。

 フィアットに乗りこみ、チョークを引いてエンジンを掛け、二千回転でアイドリングさす。二、三分してからチョークを戻し、軽くアクセルを踏んで水温の上がるのを待った。

 七分ほどしてエンジンは完全に暖まった。朝倉は門を開いてゆっくりと発進させた。バケットのシートは、すっぽりと体を包んでくれる。背もたれは水平に近く、寝かすことも出来る。

 門を出るとアクセルを踏みこむ。エンジンは電気モーターのように素早く回転が上がり、二千五百回転のあたりでキャブレターの加速バレルが開き、フィアットは猛然と加速しはじめた。回転計の針が止まるところを知らぬようにはね上がっていく。

 慣らし運転が済めば、七千回転近くまでエンジンをブン廻しても無理ではない。しかし、今はまだまったくの新車だから、五千回転に押さえてセカンドにギアをシフトした。

 住宅街の狭い十字路を五十で廻る。ロールは少なく、ミシュランのタイヤは泣かない。朝倉はパッシング・ライトのスウィッチを入れて、ライトを自動的に上下に切り替えて跳びだしの車に警告を与えながら、制限速度二十五キロの一方交通路をサードで八十で飛ばして甲州街道に出ていく。

 凄まじい排気音が左右の塀に反響して朝倉に快感の身震いを起こさせた。




 ね、渋いでしょ?まさに、「羊の皮を被った狼」的セダン(ベルリーナ)。私が156を思い浮かべるとき、なぜかこのシーンを思い出すので紹介してみました。156だと、ちょっと艶っぽすぎて犯行には使いにくいんだけれども(苦笑)。

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