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暖かい夢

 

 窓辺に置いてある目覚し時計がけたたましく鳴った。
 白いシーツに包まれた生き物が蠢く。
 そこからそろそろと手が伸びて、目覚し時計を止めようと動いているが、どこにあるのか判らないようだ。
 キッチンから覗いた俺はつい笑顔になってしまった。天下の蔵馬サマも、寝起きは悪いらしい。
 やっと探りあててベルを止めた手は、またそろそろと布団に戻ってゆく。
 俺は5分後にまた見てみようと思い、キッチンへ戻った。
 俺の部屋に置いてある時計は5分経つとまた鳴り出し、蔵馬を起こすはずだ。

 二人分のコーヒーを淹れていると、ジリリリと鳴る音がした。
 覗くと、さっき置き直した時計をまた探している手が目に入った。
 全く見当違いの場所を探している手を見て、今度は声を出して笑った。
 蔵馬、もっと右だ、と声をかけるとやっと時計を探り当て、時計を布団の中に引き込んだ。
 文字盤を読んで目が覚めたのか、急にムクリと起き上がった。
 赤い髪はくしゃくしゃでいつもより余計にはねている。まだ陽の光の明るさに目が馴染まないようだ。
 起き上がったはよいものの、ぼんやりとしている。

 「おはよう」
 と声をかけると、まぶしそうな顔をして「おはよう」と小さな声で応えた。
 俺は満足してまたキッチンに戻った。



 しばらくして蔵馬がキッチンへ来た。どうも危なっかしい足取りだ。
 そのままキッチンテーブルの椅子に大儀そうに腰掛けた。

 「お前、寝起き悪いよなあ」
 と俺が言えば、
 「幽助の寝起きの良さは異常ですよ」と皮肉を返された。可愛いのは寝ぼけている時だけだな、全く。

 「にしても、今日は例外ですよ。昨日あれだけ飲まされたんだから」

 「飲むって言ったのは蔵馬じゃねーか。大体、そんなに強くないのにガバガバ飲むから、家に帰れなくなっちまうんだよ」

 コーヒーのマグを手渡しながらそう言うと、蔵馬は「ありがとう」と言って苦笑した。

 「まさか幽助の世話になるとは…」

 やってしまった、という風に蔵馬は目を瞑ってこめかみを指で押した。しかしあながちポーズだけでも無さそうで、覚醒しない頭を持て余し、ダルそうに頬杖をつく。

 「何言ってんだ。おふくろさんには連絡しといたから問題ないだろ」

 「えぇ。次からは幽助のペースで飲まないことにします」

 「二日酔いは?」

 「ぎりぎり免れたみたいです」

 目を細めていたずらっぽく笑うと、蔵馬はそのまま立ち上がって、マグカップを持ったままベランダに出ようとする。

 「おい、危ねーぞ」

 俺は一応止めた。寝起きの悪い男がベランダから落ちたら大変だ。
 蔵馬はちょっと口を尖らせて、「こんなところから落ちませんよ」と言った。

 「外の日差しがあたたかくて気持ち良さそうだから、ちょっと出てみたいんです」

 俺は朝食の用意をしながら、パンをトースターに入れて焼き始めると、気になってベランダをうかがった。良かった、落ちてない。
 蔵馬はパジャマのまま、ベランダの手すりにもたれながら湯気の立つコーヒーをすすっている。
 何がそんなに面白いのだろう。ベランダから下を覗き込んだり、きょろきょろと見回して景色を眺めたりしている。
 俺も気になって同じ方向の景色を眺めたが、別段珍しい物もない。
 蔵馬のペースにはまっている自分に気づいて、俺は苦笑した。 
 ふと見ると、景色を眺めている蔵馬は笑顔になっていた。
 そのとき、トースターがチンと音を立てて、パンの焼けたことを告げた。
 こちらに気づいたらしく、蔵馬は戻って来た。
 俺はなんとなく、今呼ぼうとしてたんだよ、という風を装った。

 「パン焼けたぞ。メシにしようぜ」







 「なぁ、何がそんなに面白かったんだ?」

 有り合わせではあるが、パンにサラダ、卵焼き、そんな朝食を食べている時に蔵馬に尋ねてみた。

 「え?何のこと?」

 不思議そうな顔をして、蔵馬が聞き返す。

 「さっきさ、お前、景色見ながら少し笑ってただろ」

 「やだな、見てたんですか」

 やだなと言いつつ、そんなに嫌そうな顔をするでもなく、蔵馬はパンを齧りながら答えた。

 「そんなに面白い景色でもないだろ、うちから見るのなんて」

 「まぁそうですけど」

 「何見てたんだよ」

 もう一度聞くと、蔵馬はふふっと笑った。

 「見ている風景が面白かったわけじゃないんです。なんかね…“人間”っぽいな、って。それが何だかイイなぁと」

 「お前が?」

 「いや、幽助が」

 あっけにとられた。俺は既に魔族だというのに、何を言っているんだこいつは。

 「潰れたら介抱してくれる、部屋に寝かせてくれる、寝坊したら起こしてくれる、起きたらコーヒーを淹れてくれる、おなか空いたらご飯用意してくれる、声をかけてくれる…」

 蔵馬は楽しそうに、指折りながら数え上げた。

 「そういうのが、人間っぽいなって思ったんですよ」

 俺たちが出会ってからもう何年も経つ。恐らく、蔵馬の身体は既に妖化しているに違いない。そういう俺だってもう人間の体じゃない。
 うらやましいのか、人間が?
 戻りたいのか、人間に?
 俺はそうは思わない。人間と妖怪、どちらが良いかなんて事ではなく、俺は俺だから。
 そして仮に蔵馬の体が人間のものでないとしても、十数年「南野秀一」という人間として生きてきた蔵馬の根底が崩れるわけではない。
 だからそんな風に、人間であった時を懐かしむような事を言って欲しくない。

 「人間か妖怪かなんて関係ねーだろ。俺は俺、お前はお前、あるがままでいいじゃねーか。」

 そう言うと、俺の考えを見透かしたかのように蔵馬は笑顔で「違う違う、俺がイイなと言ったのは人間の体じゃなくて、幽助の姿勢ですよ」と言った後、

 「自ら与えようとするでしょう、それってすごく幸せにつながりやすいことですよ」

 と続けた。「俺はそれが羨ましい」とも。
 ようやく自分が褒められているらしい事に気づき、俺は困惑した。

 「さ、はやく食べないと冷めちゃいますよ。」

 俺がつくった朝メシなのに反対に促されてしまった。
 気恥ずかしさをごまかすように、俺はいきおいよくパンにかぶりついた。






 蔵馬が帰る頃になって、俺はある事を思い出した。

 「おい蔵馬、この前うちに泊まっていった後、なんだか判んねー種がベッドのあたりに散乱してたぞ。」

 振りかえった蔵馬が怪訝な顔をする。

 「種…?どんな種でした?」

 「覚えてねー。蒔いちまったからな」

 「エッ?( ̄□ ̄;)」

 「ベランダのはじの方にあっただろ、プランターが」

 「気づかなかった…」

 「景色ばっかり見てっからだよ」

 と俺が笑うと、蔵馬もつられて笑った。

 「何が出てくるかわかりませんけど、そんなに変な種は持ってませんから、大丈夫でしょう」

 「その言い方…なんか不安になるな」

 と軽口を叩きながら、お互いに出かける用意をする。
 蔵馬は会社へ、俺は最近始めた夕方までのバイトへ。それから屋台の営業だ。屋台はもちろん今でも続けている。

 「あ、もうこんな時間だ。ごめん、先に出るよ」

 蔵馬がちょっと焦った風に玄関から声をかけてきた。

 「今度芽が出たら電話するからさ、そうしたらうちに来て、どんな花が咲くか教えてくれよ」

 「OK。多分芽が出るより先に、また遊びに来ます」

 じゃ、と蔵馬は笑顔で出ていった。





 一人になってから、俺はベッドサイドに戻って、洗濯をしようとシーツを引っ張った。すると、種がコロコロと…。

 「またか…今度は一体何の種なんだろなぁ」

 一人で呟きながら種を大事に左手に握り締めると、シーツを洗濯機にほうり込むついでに、ベランダに出て、空いているプランターに蒔いて水をやる。日課ともなれば手際も良い。
 暖かくなればこのベランダに、蔵馬の残していった種が満開の花となって咲き乱れるのだろう。
 少しプランターを買い足しておかねば、と考えながら、幽助はちょっとした幸せにひたった。

 一方、会社に向かう電車の中、蔵馬は悩んでいた。
 (シマネキ草…?いや違うな…あんな危ない種は最近持ち歩いていないし。オジギ草…?も違うな。薔薇か…薬草…だといいなぁ…)

 果たして幽助のベランダには何が咲き乱れるのだろう。
 それは暖かくなってみないと蔵馬にもわからないのだった。