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風邪の日

 

 俺は今日、風邪を引いて寝込んでいた。

 「お薬とお水、ここに置いておくわよ。気分が悪くなったりしたらすぐ呼んでちょうだいね、母さん台所にいるから」

 呼ばなくてもさっきから10分毎に部屋を訪れている彼女は、暇つぶし用に持って来てくれた山のような雑誌を枕元に積み直しながらそう言った。
 家中からかき集めたらしいが、大部分が女性雑誌なのだ。もっとも本人はあまり気にしていないようだ。

 「ああ、わかったよ。
 ごめんね母さん、今日、パート休んでくれたんだね」

 もう子供ではないから大丈夫だ、と俺は一応断ったのだ。しかしそれを押し切る形で、彼女は今ここにいる。

 「何言ってるのよ。心配でパートなんか行ってられないわ。それにしても秀一が熱出すなんて珍しいわね。最近流行ってるインフルエンザじゃないといいけど・・・。
 今日はあったかくして、ゆっくり寝てなさい。そうしたら、すぐに良くなるわよ」

 彼女は、いいわね、気分が悪くなったら遠慮しないですぐに呼ぶのよ、と念を押してから忙しそうに部屋の戸を閉めて出ていった。
 パタパタ・・・と足音が遠ざかる。その後姿はなんだか嬉しそうにも見えた。

 さっき彼女は「俺が風邪を引くなんて珍しい」と言っていた。実際今まで、風邪など数える程度しか引いたことがない。
 きっと息子が寝込んだらああしよう、こうしてやろうというアイディアが彼女の中には沢山あって、それを片っ端から実行しているのだろう。

 俺は物心ついた頃から、怪我や、ましてや病気などで寝込んだことはほとんどなかった。大体は彼女に見つかる前に自ら調合した薬草で治してしまっていた。
 彼女にいらぬ心配をかけたくなかったし、やたらに治りの早いことを不審に思われたくなかったというのもある。
 体が妖化してからは極端に体の機能が強化されたらしく、ますます病気とは無縁の生活になってしまった。

 そう、今回の風邪は、わざと引いたのだ。

 喉がイガイガと引きつるような感じがして痛い。声もかすれてしまっていて余り通らない。少し高めの熱があるので、体はだるいし、食欲もない。
 でも俺はそんな些細なことさえも嬉しかった。

 天井を見ながらぼうっとしていると、チャッと戸が開いて、お盆を手にした彼女が入ってきた。
 喉が痛いでしょ、と彼女が差し出したのは、湯気の立つ甘い匂いの飲み物。

 「ホットココア作ったから、お昼までおなかの足しにしておいてね。お昼はお粥にしたから少しぐらいは入ると思うのよ」

 起き上がってマグカップを受け取ると、痺れるような熱が手の平に伝わってきた。

 「ココアかぁ…飲んでなかったね、最近は…。懐かしいな、ありがとう」

 彼女の出ていった後、俺はほんわりとした甘い湯気を顔に近づけて嗅いだ。昔良く作ってもらったあの香りが再び甦り、自然と笑みが顔に広がる。

 これこれ、この感じ。これがいいんだなぁ。

 コホン、と一つ咳が出た。また笑みが漏れる。
 この声で幽助たちに電話でもしてみようか。きっと派手に驚いてくれるだろう…。
 今ここで寝込んでいる自分に妙な満足感があった。
 痛い喉をココアで潤しながらそんな自分に苦笑し、また咳込んだ。