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有楽
 町

穏やかで、慎ましく、健全な日々というのはひと つの奇跡だ。凪と時化を繰り返す海原の上で、沈 むことなく溺れることなくぷかぷかと浮かびつづ けることは可能なのだろうか。はたして、全ての 生き物は自分の「分」をわきまえているのであろ うか。自分の生存と尊厳をおびやかす天敵のいな い生物はいるのだろうか。もしいるのだとすれば、 それはどのような心理状態なのだろうか。それは 状態として正解なのだろうか。 欲というのはいわば「欠落の感情」だ。それを埋 めようとするエネルギーのことだ。それがあるか ら動くのだけれども、それが不安定な状態を産む ことは間違いないことだろう。だがその欠落の感 情をなくす、というよりも欠落を欠落として捕ら えないという主義、は安定を本当に生むのだろう か。足るを知るということは、そういうことなの か。しかし内的な動きはそれで抑えられたとして も、外部からの侵入に対してはそれだけでは対抗 できないのだ。やはり必然的にそれらから自己を 防衛するために動かなくてはいけない。結局のと ころ、どうあがいても不安定な状態からは脱する ことができないのだ。 というところで、宇宙に目を向けると、それもそ のはずなのではないかという気がしてくる。ビッ グバン理論だかなんだかによれば、無から大爆発 が起き、その後宇宙は膨張し続けているのだとい う。全ての生き物を包む容器自体が変動と不安定 のさなかにあるなかで、その中の一分子が安定す ることなどはなはだ滑稽な願望なのだろうか。 風船が言葉で飽和していく。けれどそれがなんら 意味をもたないヒマつぶしでしかないことを私は 知っているのだ。と、覚めてみたところでしかし その覚めた態度というのももうありふれていて嫌 だな、と一周回ってもういちど「動いて」みよう かと考えるのだ。凪を目指して。しかしながら、 旅というのはどこかの町に辿り着くことを言うの ではなく、そのどこかの町へ辿り着こうとする道 中のことを言うのだ。その道中にこそ楽しみは有 るのだろう。ゆえに、このままでいいのだ。この ままでいいというのは「このままではいけない」 と思う現在の不安心理を肯定しているという意味 だ。要するに、わけがわからない。しかし、わけ がわからない連中の大集合が宇宙なのだ。なんだ その結論は。言葉遊びだこんなものは。しかし、 しかし、だが、つまり、だから・・・。 無限の荒野に、接続詞だけが降り積もる。 そして今日も僕は、飢えている。