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高
田
馬場

左手しか使わずに生活する。と、堅く心に決めたとき のこのワクワク感がわかるだろか…!人は元来、ルー ルに縛られるということの快感を無意識下に持ってい る。これから、僕は左手しか使わずに生きる…。 その生活を始めてから、ドアノブをまわす時、カバン のジッパーを開けるとき、何度となく右手を使ってし まいそうになりながらも、この個人的奮闘にあけくれ た。しかし、数日してからこのルールを遵守すること の刺激に慣れてしまい、今度はその反動としてむしょ うに破壊したくなった。この、封印している右手を、 右手を思う存分使ってやろうか?大衆の眼前で、この 封印した右手で!そのスイッチが入ってしまったが最 後、僕はすぐさま部屋を飛び出し、人前で右手を暴れ させた。髪を右手でかきあげる!自動販売機のボタン を右手で連打!ケータイを右手でパカパカパカパカ! 右!右!右!この背徳行為。この、自暴自棄感。そこ に言い知れぬ陶酔を覚えた。 そして、その強烈に甘い感覚のあとに、どうしようも ない焼け野原が広がるのだ。もう、なにもない。そし て今度はまた、自分を整然と型にはめてくれるルール を探すのだ。これは、サディズムとマゾヒズムにも通 じる、支配・非支配の関係なのだろう。それ自体は人 間の誰しもが持つ本能的な衝動なのだろうけれどもこ うまでスイッチヒッター的にマッチポンプを繰り返し てしまうのはいかがなものなのか。大学在学時、2万 字のレポートを書き上げてから破り捨てる。大晦日の 大掃除の後、部屋中に陶芸用の泥をぶちまける。トラ ンプで作ったピラミッドにカカト落とし。中学生時代 は、ハゲている人としか喋らなかった。止められない。 この「法則と幾何学」への憧れとそこへの破壊行動。 地球上の全人類を一列に並べた上で即座に列を乱した い。そんなことを小学校の卒業文集に書いた。その頃 から変わらずにマグマのようにある感覚! しかし、その矛盾と業こそが生命力であるような気が するのだ。巨大な振り子にしがついているような気が する。振り子時計の巨大な振り子にしがみついて。あ っちこっちを盛大に行ったり来たり。振り子が止まれ ば、時計はもう動かない。静寂と秩序を求めながら、 実はその先の破壊と混沌なくしては生きていけないと いうのが本音なのかもしれない。そうとわかれば話し は早い。自己否定は大得意だ。これでいい…。 そう決意したハブルグ氏は、その後3年間にわたり福祉 活動に尽力した。