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西
日暮
 里

ぬかるんだ地面に、青い草がまだらに生えている。 空はまだ曇りだけれど、ところどかろ光が差して いる。雨上がりの匂いを風がそよりと運んでくる。 この匂いは好きだ。背筋を妙にくすぐったくさせ る。だだっぴろい平原で、コルト君はそんな風に 思いながらゆっくりと歩き出した。体にまとわり つくびしょぬれの服。その重さを肌に感じながら、 ぬちゃ、ぬちゃ、と歩き出した。煙をもうもうと あげて横たわる、巨大な旅客機の残骸を背にして。 「まだ、ぼくは生きている…。」そのことが一体 なにを意味しているのかさえわからないまま、す りむけた膝からツツウと垂れていく血に、生暖か いものを感じた。首筋の血管がどくんどくんと脈 打ち、そのビートに誘われるように、喧騒と狂乱 の記憶がフラッシュバックする。ポラロイドカメ ラで撮った写真をめちゃくちゃにコルクボードに 貼るように、それは断片的に、脳髄の中にこびり ついているのだ。 その飛行機「ノア」が作られたのは、世間が世紀 末厭世狂乱ムードにどっぷりと飲み込まれた3年 前のことだ。輪廻転生と極楽への救済を求める民 たちの声はさながら「現代版ええじゃないか」の 雰囲気を醸してさえいた。その時作られた飛行機 「ノア」。それは旅客機というスケールをはるか に超えた設備内装を持ち、完成後、空飛ぶ宮殿と いう異名を持つに至る。目的地はニルヴァーナ。 地図上にないとされるその究極のリゾート地に向 けて3年前にノアは離陸した。それが、惨劇の始 まりになろうとはその当時は誰も予想だにしなか ったことであると同時に、専門的な見地からみれ ば至極当然の結果ともいえた。 超絶富裕層の紳士淑女たちの夢を乗せた空飛ぶ宮 殿はその圧倒的な機力により恐るべきスピードで 空の上を航海していた。そしてコルト君はそのパ イロットとして紳士淑女から選ばれた使用人だっ た。 誰のせいでもなかった。ただ、ノアの飛行する空 の高さに存在する巨大な乱気流をかいくぐるには、 ノアの飛行速度は速すぎた。右の翼が折れたとき、 紳士淑女たちはまず機内のあらゆるラグジュアリ ーな物品を捨てた。その次に互いの使用人を捨て、 その後はお互いを捨てあった。空飛ぶ地獄絵図と 化したノアは、不時着する時にはパイロットのコ ルト君だけになっていた。 「歩いていこう…。ニルヴァーナまで」 そのときふと思ったのだ。ニルヴァーナには、徒 歩でしか辿り着けないのではないかと。