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駒込

沢村光次は子供のころから改造をするのが好きだ った。小学4年生の夏休みの自由研究では、父か らもらった懐中時計に車輪とモーターを付けた 「自走時計」を提唱したが、担任およびクラスメ ートの理解は得られなかった。沢村としては、時 という概念の持つ強力な不可逆性を示し、それを 捕らえようとする人間の滑稽さを浮き彫りにした 痛快でシニカルなアートのつもりであったが、担 任の「真面目にやれ」の一言が沢村の自尊心を深 く傷つけ、大衆的で下世話な感覚しか持ち合わせ ない人間社会への痛烈な不信感をつのらせる結果 となった。 沢村はその後高校に進学。在学中に、歯ブラシの ブラシ部分を全て光ファイバーで製造した「飲み 込まれる情報〜人間の進化の副産物としての精神 的汚濁あるいは浄化への哀れな懇願〜」を制作。 技術家庭の時間にクラスメートがはんだづけにい そしむさなか、全く独自のカリキュラムから成し 遂げられたその授業成果に対し、教師は鉄拳とい うごほうびを見舞った。 この時点で完全にふてくされた沢村は、心の光を そのままに世界に投影することに絶望し、そこに プリズムをおいて光を分解していくことを決意。 バイクの修理工として小さなバイク屋に就職した。 黙々と油にまみれて実直に仕事をこなしていく毎 日。「これは、ゆるやかな自殺である」という詩 を毎日日記につづった。 そんななか、沢村は改造バイクという存在にぶつ かる。これは、改造といえるのか。たしかに通常 の機構とは異なるが速度と威圧感ばかりにこだわ るその方向性に対して疑問の念を禁じえなかった。 真の改造とは何ぞや。真の改造とは、神に与えら れた枠組みの中でもがきながら己の存在を叫び続 けるという魂に他ならないのではないか。とすれ ば、この改造バイクなるものは断じて「改造」バ イクなどと呼べる代物ではない! 何年かぶりに心の底からわきあがる熱情に沢村は 文字通り体を震わせた。沢村はバイク屋をやめて 自室にこもり、ネット上にサイトを立ち上げて店 を構えた。 「改造屋」。だか案の定、説明不足な沢村のサイ トには、アクセスこそあれど、仕事依頼は皆無だ った。 貯金を食いつぶし、21世紀日本にレアな餓死へ と一直線。まだ見ぬ子、孫、面倒な未来よさらば。 そう思われた矢先、一通の仕事依頼メールが届い た。 「僕を改造してください。」 その依頼主は、名を「大久保慶太郎」といった。