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浜松
 町

「お前、なんで桂馬なんかになったんだよ」と、 飛車は言った。 「桂馬なんてあれだろ。成っても金将と同じよう な動きだし。不便だろ」 桂馬は表情を変えなかった。そして落としていた 視線を少し上げて、ゆっくりと言った 「僕は、成るつもりはないです」  実際問題、桂馬自身、なぜ自分が桂馬になろう と思ったかはわからなかった。この町では同期の 誰もが飛車か角を志望したし、そでが現在的な 「流行り」でもあった。桂馬にしかなれなかった わけではないのに、桂馬になったのはなぜなのか。 それを、単純に言えば「そうしたかったから」と しか言いようがなかった。駒をして物心がついて の原体験になにかあったのだろうか。とにかく 「斜め前方飛び」の、この桂馬の動きが好きだっ た。というより、他の動きをしたくなかったのだ。 特に、角の動きが嫌いだった。斜めにススーっと 動くあのやり口!出世に便利だから、みんないや いや志望しているだけかと自分は思っていた。が、 養成所時代にそれを尋ねたら、誰もが不思議そう な顔をした。「なんで嫌なの?」なんでと言われ てもよくわからない。ただ、駒である以上は…と いう「駒たるもの」という感じからそれている気 がしたのだ。  格好良く言えばそれは美学ということにもなる かもしれない。しかし、桂馬一辺倒だったかと言 われればそれも違う。昔あこがれたのは香車であ り、尊敬する香車の動きはよく研究した。しかし、 香車になろうとは思わなかった。そこも自分自身 不思議なところがあった。香車は見ていて憧れて いるけれど…。それでも自分は桂馬だった。桂馬 であるという断固とした確信しかなかった。  とはいえ、当初は斜め前方飛びでやっていける 自身がなかったから、無難な金将をやったりして いたこともある。それでよけいに混乱してしまっ た。金将をやめて桂馬に、という感覚が周囲に理 解されなかった。金将向きなのに、とよく言われ た。  飛車と話した帰り、妙にセンチメンタルな気持 ちになって、桂馬の足は自然と海に向かった。松 の木にもたれかかって、桂馬は波の向こうの水平 線を見つめた。ふいに、その波が話しかけてきた 「君は誰?」  桂馬は、たまらない気持ちになって叫んだ。 「僕は…僕は桂馬だ!」  桂馬として、飛車を倒す。 それだけが僕の「つっぱりかた」なんだ…。  浜風は冬の名残の寒さを頬にぶつけてきた。 桂馬は、まだ少し遠い春を抱きしめたくて、近づ きたくて、砂の上を走り出した。